去る1/31(日)、「
三国志街道の集い」というイベントに参加してきました。
昨年11月に
プレイベントに参加した際の記事書きましたが、今回は「第1回」という記念すべき回でした。
前回同様、場所は亀戸にある「中国料理 三國志」。
進行役のおふたりも変わらず
「張飛好きお笑い芸人」でお馴染みのカオポイントの
おくまんさん中国古代史とくに『三国志』に関する史学史を専攻されている
満田剛先生という顔ぶれ。
今回も楽しく、かつ発見に溢れた濃厚な約2時間を過ごせました。
当日の内容をまとめて書こうと思っていたら、なんだか長くなりそうなので、前後編に分けて記事にします。
まずは、なんといっても昨年末に世界を駆け巡ったニュース「
曹操の墓発見!?」ですね。
こちらについては、満田先生からいろんな情報が。
「
曹操の墓」の真偽について、日本の研究者の間では
「ネットの情報だけだとわからん!早く情報公開を!」
というのが現在のところでの結論とのこと。
ネットに流れている以上の情報は、研究者の方々の手元にもないようです。
ただ、いろんな情報、解釈、説が流布しているようで、様々なWEBサイトにアップされている画像(出力紙)も見ながら、先生がまとめて話してくださりました。
1.「
夏侯惇の墓」説
これは早くから流れていた説ですよね、たしか私もネットで見ました。
曹操の墓は単独ではなく、
曹操に関わりの深い高官らの墓とともに「墓群」を形成していたようです。
曹操が最も信頼していたのが
夏侯惇であり、今回の墓は出土品から見て
夏侯惇の墓と捉えるのが妥当じゃないか?という説です。
でも、さくら剛さんの不朽の名作『三国志男』でも紹介されていましたよね。
石油会社の敷地内にあったけど邪魔だから壊されたという…
夏侯惇の墓はいくつかあるようです。
[参考]Searchina
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0105&f=national_0105_015.shtml2.「
常林の墓」説
「
曹操の墓」からはいくつか石板が見つかっているそうなのですが、そのひとつに
「魏武王常所用格虎大戟」
と刻まれた石板があります。
この中の「常」を指して「
常林じゃねぇ??」という説です。
「常所用」の部分を「常某が使った」と読めるそうですが…
常林っていわれてもマイナー寄りでいまいち燃えor萌え的な部分に欠けますね…。
[参考]簡体文なので注意!私は読めません…。
http://www.scol.com.cn/nsichuan/sczh/20100107/20101751600.htm3.「
冉閔の墓」説
冉閔って誰?そもそも読めないし。
冉閔(ぜんびん)を知っているかたは、かなりの中国史通ですよ(私は知りませんでした)。
実は彼も、魏の武王なんです。
魏といっても五胡十六国時代の「冉魏」なんですが…「魏の武王」は曹操以外にもいたんですね。へぇー。
墓が発見された近隣が
冉閔の出身地らしいこともあって、もしや…と「
冉閔説」が囁かれているそうです。
[参考]「
冉閔説」をわかりやすく解説いただいている「枕流亭ブログ」さん
http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/20100120[参考]冉閔-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%89%E9%96%94一方、中国では「『珍百景』登録なるか?さあボタンをどうぞ!登録けってーい!!」的に、既に公的なお墨付きが出ている、という事実もあるそうです。
「中国社会科学院」というとっても権威的な団体(組織)が
「2009年度六大考古新発見」の中に「西高穴曹魏高陵(=『曹操の墓』のこと)」を加えたという事実が、それです。
中国社会科学院がホンモノと言えば、事実上ホンモノだそうですから、ある意味議論の余地はもうないのかも。
ちなみに、「曹操の墓」発見による経済効果は56億円(!)にのぼるそうです。
観光客とか既に大挙して押し寄せているおり、早速観光地化が進んでいるそうです、さすが中国。
さらにちなみに、現在復旦大学で中国全土の曹姓の人たちのDNAを調べるプロジェクトが始まったそうです。
この発想自体、スケールのデカさに圧倒されますね…1800年も昔の人物の遺伝子をマッチングさせようというのですから。
「卑弥呼の子孫集まれー!」というところでしょうか。
「曹操の墓」で相当に盛り上がった以外にも、簡単ですが、当日話された内容を列挙します。
■
孟獲は漢人かも
孟獲は「南蛮の非漢民族」と捉えられがちだが、そうじゃないかも。
■蜀の人たちは非漢人だらけだったかも
劉備は蜀の人たちにとっては「外人」そのものだから、感覚があわなかったのでは?
■当時のコミュニケーションは筆談?
洛陽に留学経験ありなどでないと共通語を話せなかったのでは?
となると、生活圏の異なる人々のコミュニケーション手段は筆談だったかも。
■最近は「辺境から見る三国志」が流行り
・孫権の外交政策は
士燮がモデルじゃないか?
・公孫度の影響力について
・諸葛亮の北伐とシルクロードの関係
■「宗教から見る三国志」も熱い
とくに「辺境から見る三国志」についてはまったくもって同感このうえないです。
ひとり頷きまくり。
拙BLOGにも「辺境三国志」というジャンルがあったのをふと思い出しました(まったく更新できていませんが…)。
http://3594h.blog95.fc2.com/blog-category-30.htmlと、ここで長くなってきたので前編終了。
後編は
■スペシャルゲスト許褚降臨!?
■天才少年現わる!?
■待望の三国志料理の正体は!?
など、ホントにたった2時間だったの?というぐらい濃密な内容でお送りします。
年末の曹操祭りからピタリと続報がなくなり、
ずーっと気になっていたのですが、
個人的には夏侯惇の墓説がいろんな意味でツボ! ←オダマリ
本物であってほしい、という思いとは別に、
揺り戻しのように全世界に曹操という人物のことが
広くニュースになることがとても嬉しかったりします。
ヲタクだからでしょうか・・・