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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

建安の疫病大流行 ~後編の後編~ 

随分間があいてしまいましたが、このシリーズもいよいよ最終回です。
今回は
『サバイバル「三国志」』(若林利光著/インデックスコミュニケーションズ刊)
で展開されている「『赤壁の戦い』での疫病=発疹チフス」説について考えつつ、大円団としていきます。

◇◆「発疹チフス」とは?◆◇
「シラミ」によって媒介され、戦争、貧困、飢餓など社会的悪条件下で流行することが多い感染症です。
第一次大戦中、ヨーロッパでは数百万の死者を出す程の猛威を振るった…とのことです。
私が赤壁の戦いをはじめとして大流行した「建安の疫病」の主因と考えるに至った「腸チフス」と、この「発疹チフス」。
どちらの名前にも「チフス」という文字が入っているので似た感じを受けますが、いろいろと違いがあります。

★腸チフス★
病原体:チフス菌
感染経路:水、食物による経口感染
流行地:衛生不良地域ならどこでも
※流行地地図を併せて参照。
症状:高熱、比較的徐脈、意識・神経障害、腸潰瘍など
致死率:10~30%
※下から8行目あたりに根拠数値アリ。

★発疹チフス★
病原体:発疹チフスリチッケア
感染経路:シラミによる咬感染など
流行地:一般には寒冷山岳地帯が多い
症状:高熱、頻脈、意識・神経障害、全身発疹など
致死率:10~40%


いずれも致死率高いですね…コワ。
この高い致死率は、「赤壁の戦いでの疫病=日本住血吸虫症」説よりも信憑性が高いことを窺わせます。

◇◆赤壁の戦いの「疫病」=発疹チフスの可能性◆◇
シラミによる感染は、極度に人口が密集する軍隊内や衛生状態のよくない民衆間でとくに流行しやすいもの…であると想像に難くないし、たしかに赤壁の戦いをはじめとして大流行した「建安の疫病」=発疹チフスと考えられなくもないと思います。
しかし、ちょっと気になるのが…
1.「赤壁の戦いでの疫病=発疹チフス」は推論に過ぎず、書物の記述や物的な根拠は何一つない。
2.一般に寒冷地帯や山岳地帯を好む感染症であるならば、たとえば華北で戦われた「官渡の戦い」や諸葛亮の「北伐」においても同様の「疫病」に関する記述が見られてもいいんじゃないか?むしろ、そちらの方が発症確率は高いのではないか?
3.「全身発疹」という外見上とても判りやすい症状があるならば、書物の何処かにかそのような記述があってもいいんじゃないか?
…といったところ。
上記3つの疑問は、消極的な疑問(積極的に論証できないもの)なのであくまでも「?」を投げかけるに留まります…が、やはりしっくりこないです。

◇◆おわりに◆◇
以上、張機の『傷寒雑病論』を主なよりどころとして、赤壁の戦いをはじめとした「建安の疫病大流行」を「腸チフス」を主因として捉えてきました。
…といっても、書物だけから約1,800年前のことを正確に知るには、やはり限界がありますね。
「赤壁」あたりを掘り返したら、疫病に罹患して死んだ兵士の屍骸とかいっぱい出てこないですかね?
そしたら、その屍骸からSF浪漫チックな最新の科学技術とかで
「ビョウゲンタイヲ トクテイセヨ!」
ピ~ピピピッ、ビシッ
と、一発で当時流行した疫病の病原体がわかったりすればいいのに。

ちなみに、以前、私、西アフリカぶらり旅をした際に「熱帯熱マラリア」に感染して生死を彷徨ったことがあります。
その折、合併症として「腸チフス」の疑いをかけられ、検査した経験があります。
検査の結果は、勿論陰性でしたよ。

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建安の疫病大流行 ~後編の前編~ 

「建安の疫病大流行」について、まだ書きますよ。
前2回で
「建安の疫病」≒「腸チフス」説
に至ったわけですが、あと2回くらい使って他説の可能性に触れたり、言い訳したり弁解したり申し開きしたりしようと思っています。
今回は、戸隠かれんさんからコメントをいただいていた「寄生虫」説について。
一口に「寄生虫」といっても、目黒に寄生虫館が建つほど世の中には多種多様の虫たちが蠢いているんですが…とくに赤壁の戦いでの「疫病」の原因として注目されている寄生虫「住血吸虫」について突っ込んでみます。

◇◆住血吸虫説◆◇
この説の出典は
『三国志新聞』三国志新聞編纂委員会編/日本文芸社刊
です。
その内容は、以下の通り。

おそらく住血吸虫病の一種でしょう。秋に感染して1か月の潜伏期間があり、体内で卵が孵化して発病すると、高熱が出て、死に至ることも少なくない。南方人は免疫を持っているが、北の人たちが長江中流に長期間滞在すると、発病する可能性が高い


多分、ここでいう住血吸虫とは「日本住血吸虫」(写真)のことだと思います。
1972年以降、歴史的な発掘が相次いだ「馬王堆」(湖南省長沙)では、日本住血吸虫症の虫卵も女性の遺体から発見されている(リンク先の下から6段落目くらいに関連記述アリ)ので。
※ちなみに2,000年以上経た現代でも、長江近辺では相変わらず日本住血吸虫症が、人民を悩まし続けているそうです。

一見、もっともな説のようにも感じますが…この「住血吸虫説」で私が疑問に思ったのは、以下の2点。
1.発症後半年未満でホントにバタバタ人が死んじゃうのか?(「半年未満」というのは、曹操の荊州侵攻開始が7月で、赤壁の戦いは12月頃だから)
2.日本住血吸虫症の免疫って、再感染にどの程度効果を発揮するのか?

といっても、世の中の約99%の人と同じように、寄生虫のことなど何にもわかりゃしません。
そこで、私が小学生の頃、特痛ビンタを喰らった4年2組の担任山田先生が言っていた通り、兎に角わからないことは詳しい人に聞いてみました。

プルプルプル…がちゃ。
USHISUKE(以下、U)「…もしもし、目黒寄生虫館でしょうか?」
寄生虫館の人(以下、虫)「はい、そうですが」
<略>
U「日本住血吸虫症には発症後に『急性期』と『慢性期』とあるそうですが、それぞれの具体的な期間を教えてください」
虫「感染して1か月くらいすると発症して、『急性期』は大体1年以内ですね」
U「『急性期』と『慢性期』とでは、どっちが死にやすいんですか?」
虫「『慢性期』ですね。『急性期』ではほとんど死にません」
U「日本住血吸虫症には、免疫があるそうですが…」
虫「そうです」
U「免疫のある人はどれくらい罹りにくいんですか?」
虫「ウィルスの抗体ほど強い抗体ではないので、再感染は当然起こりますよ」
U「ありがとうございました!」

…さすがは専門家。
突然の電話、しかも土曜日の朝にもかかわらず、淀みない清流のようにひとつひとつお答えいただけました。

はっきりしましたね。
「日本住血吸虫症(寄生虫)」の影響はゼロではありませんが、曹操遠征軍の多数の官吏士卒を死に追いやった「疫病」の主原因とはなりえません。

長くなりましたが、次回は「発疹チフス説」について触れるとともに、いい加減に締めくくりたいと思います。

--今回の記事の参考資料

建安の疫病大流行 ~中編~ 

**≪おねがい!≫*******************************
「アサヒ本生」のCM(武蔵丸が見送り三振するCM)で、江口洋介とかが叫んでいる
「ワンッセー!!」
ってヤツ…ホントは何って叫んでいるんでしょうか?
イノキ!ボンバイエッ!」がわかんなくてムズムズしたときくらい気持ちが悪いので、知っているかた、是非コソッと教えてください!!
***********************************************

さてこっからが、本題です。
天下分け目の「赤壁の戦い」他、魏VS呉の局地戦に多大な影響を与え、陳琳、司馬朗ら著名な人士や多くの兵卒、民衆らも続々と死に追いやった「建安の疫病大流行」…その肝心の疫病の正体とは!?
ズバリ!
西洋医学でいうところの
「腸チフス」
の類じゃないか…というのが私の仮説です。
はぁ?「腸チフス」って聞いたときないんだけど、何よ?
なんで「腸チフス」なんか出てくんの??チョーキモイんだけど。
…と思われるかもしれませんが、3ステップとかでちょっと理由を述べてみたいと思います。
┏━━━━┓
┃ステップ1┃
┗━━━━┛
前回、引用文の中にヒントがあると書いていましたが、そのヒントというのは
「傷寒(しょうかん)」
という単語です。
この単語を出発点に、推論を組み立てていきます。
「傷寒」って、一体何のことなのか??
私が小学生の頃、臨時採用で3年2組の担当っぽかった楠田先生に言われた通り、兎に角わからない言葉は辞書で調べてみると…

高熱をともなう急性疾患。腸チフスなど。(infoseek『大辞林(国語辞典)』)


…との説明アリ
高熱をともなう急性疾患…ともありますが、焦点を絞るために敢えて「腸チフス」の方に着目して、以下掘り進めてみます。
┏━━━━┓
┃ステップ2┃
┗━━━━┛
さて「傷寒」と「腸チフス」…医学の素養ゼロな状態ではチンプンカンプン。
なので、「傷寒」については『初めて読む人のための傷寒論ハンドブック』(池田政一著/医道の日本社刊)を購入して、「腸チフス」についてはNETに散在している情報を元に検証します。
まずは、「傷寒」側から攻めてみます。
上述書籍を読んだうえでの、「傷寒」についての私の解釈ですが…
★「傷寒」の主症状は、発熱。
★初期症状は発熱に加え、うなじの強張り、悪寒といった「風邪」全般に見られるような症状。
★しかし症状が進むにつれて、うわ言(意識障害)、腹部の膨張感、耳が聞こえにくくなる…などの特徴的な症状が見られるようになり、治癒できないと死に至る。
…となると、確かに「腸チフス」の症状と似ている感じが強くなってきました。
┏━━━━┓
┃ステップ3┃
┗━━━━┛
さらに、「腸チフス」側からも攻めてみます。
「腸チフス」の一般的な感染経路特徴的な事柄を拾ってみると…
1.チフス菌で汚染された生水、食物などを摂ることで感染。戦争や貧困などのために清潔な環境が損なわれたときに起こりやすい、経口感染である。
2.腸チフスの罹患者には抗体ができる。一定期間が経過すると抗体はなくなるが、1度罹患した人が再罹患する確率は、罹患経験のない人が罹患する確率よりも低い。
…ということもわかってきます。
3.腸チフスは、川を媒介として、また戦陣という閉鎖的な環境においても感染が広がり得ることを示唆します。さらに、

この病に罹ったものは、粗末な毛の衣を着て豆を食べている子供や、貧しい家の男女ばかりで、食事も十分で、貂を重ねたベットで眠っているような富家の者で、疫病によって死に至る者はたいへん少ない。(『説疫氣』曹植作の詩より )
※陳琳らの命を奪った217年の疫病に対して、曹植が詠った詩。


という惨状から、戦陣のみでなく、一般的に不衛生な環境に置かれがちな民衆レベルでとくに猛威を振るったことなども読み取れます。
「2」については、長江付近で大流行した疫病が、主に魏兵など「よそ者」に打撃を与えた証左になりそうです。

以上、「傷寒」側の特徴から、また「腸チフス」側の特徴からも刷り合わせてみると、「建安の疫病」≒「腸チフス」説ってそれっぽくないですか?
決定!
赤壁の戦いで魏兵がバタバタ倒れた疫病も、陳琳や司馬朗らを殺した疫病もぜ~んぶ「腸チフス」の類ということにします!

そして次回、怒涛の後編では、沢山の言い訳と若干の補足で強引に締め括ります!

建安の疫病大流行 ~前編~ 

カミングアウトしますが…私、実は今ちょっとした身体的な病気を抱えています。
具体的にはそのうちお伝えしたりしなかったりしますが、そんなこんながありつつ、今の私の関心事は「病気や医療」。
ということで、これから三国志に見られる病気や医療…的な記事を不定期に書いていきます。

まず今回は、「建安の疫病大流行」について。
「建安の疫病大流行」…この語呂の悪い名前、ピンとこないですよね…それもそのはず、ちょっとした出来心で勝手に名前をつけてみました。
「建安」というのは年号で、後漢末の196~220年の約24年間を指しますが、この建安年間…疫病の流行に関する記事が、これでもか!これでもか!と頻出する時期なんです。
とりあえず私が掴んでいる範囲で、疫病に関する代表的な記述を列挙してみますと…

◇◆199年◆◇
★流行病の記録としては、建安4年(199)3月に「大疫」とある。(『漢方』石原明著/中公新書)

◇◆196~206年◆◇
★建安(196~220年)と年をしるすようになってからまだ10年もたたないのに、そのうち死亡した者が3分の2あり、傷寒によるものが10分の7を占めた。(『傷寒雑病論』張機著)
※張機(張仲景)はこの時期、太守として長沙に赴任していました。

◇◆208年◆◇
★建安13年(208)、孫権が軍勢をひきいて合肥を包囲した。そのとき、(魏の)大軍は荊州を征討していたが、疫病の流行にあった。将軍の張喜に単身千騎をひきいさせ、汝南を通過の際その兵を配下に収め、それによって包囲を解かせることにしたが、やはりかなりの兵が疫病にかかった。(『魏書』「蒋済伝」)
★公は赤壁に到着し、劉備と戦ったが…疫病が大流行し、官吏士卒の多数が死んだ。(『魏書』「武帝紀」)

◇◆217年◆◇
★昔年(217)疫病が流行し…徐幹・陳琳・応瑒・劉も同時に皆なくなった(『魏書』「王粲伝」)
★建安22年(217)、(司馬朗は)夏侯惇・臧覇らと呉を征討した。居巣まで来ると、兵士たちに疫病が大流行した。司馬朗は自身で巡視して医薬を与えたが、病気にかかってなくなった。(『魏書』「司馬朗伝」)

◇◆219年◆◇
★この歳(219)、流行病がはやり、荊州の住民の租税をすべて免除した。(『呉書』「呉主伝」)


…まさに疫病のディズニー・オン・パレード
どうですか?異様じゃないですか??
しかも、この疫病には奇妙な共通点が見られます。
いずれも中原(華北)ではなく揚州や荊州の、とくに長江周辺で大発生していますね。
しかも一部の例を除いて、現地民ではなくよそ者に対して非常な猛威を奮っていることもわかります。

一体、この大疫病の正体は何なんだろう??
うんうん頭を抱えていたら…その謎を解くヒントが、上述の列挙した文章の中にありました。
ヒントって?大疫病の正体とは??
次回、全貌が明らかに!
じっちゃんの名にかけて!?

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