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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

魏呉蜀の姻戚連鎖 

樹形図シリーズ第2弾。
血で血を洗う戦いをくり広げた魏呉蜀三国。
曹氏、孫氏、劉氏の軋轢は余程深く…各氏さぞや仲が悪かったんだろうなぁ…と思ってしまいますが、意外や意外。
曹・・劉の3氏は、遠近の差こそありますが一応姻戚関係で結ばれちゃっています。
しかも姻戚関係が連鎖反応を起こし、3氏が徐々に「一つの輪」で結ばれていくという奇妙な状況すら呈しているのです。
政略結婚は、政治、とくに外交のための重要な手段。
この事実は、三国志が単なる「英雄譚」に終わらず、手段を選ばないマキャベリズムに通ずる非情な「政治」の物語でもあることを如実に示していると考えます。
添付したような3氏に関わる姻戚関係は簡略化したものなので、もっと深掘りすると複雑な姻戚関係が顔を出すでしょうし、またそこから新たな事実や仮説が芽を出すかもしれません…。
機会があれば、また樹形図シリーズで追跡報告を。


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[ 2004/05/18 03:10 ] 樹形図で見る三国志 | TB(0) | CM(0)

劉表の荊州政権と諸葛亮の関係 

三国時代に限ることじゃないですが…何かの事実・事件、その事実・事件の背景などを考察するとき、中国の歴史では「血縁関係」が重要なファクターとなることが多いように思います。
そこで、みなさんに少しでも「Oops!」と思ってもらえるような意外な血縁関係をクローズアップして、樹形図で表現してみたりするシリーズを用意しました。

第1回目は、「劉表の荊州政権」と「諸葛亮」の意外な関係。
「三顧の礼」以前の諸葛亮のイメージは…桃源郷を彷彿とさせるような隆中に住まい…晴耕雨読の生活ですっかり浮世を離れたような隠遁者…そんな感じでしょうか?
しかし、このイメージは三国時代以後に流行した道教的なオブラートに包まれたちょっと脚色された諸葛亮のイメージに思えます。
事実、「三顧の礼」以前の諸葛亮は、姻戚関係によって当時の荊州政権の中心人物だった劉表や蔡瑁らとコネクションをもっていたのです(劉表との関係は、現代日本の『民法』に照らすと、正確には「親族」といえないみたいです。ただし、蔡瑁とは3親等の姻族ということで立派な「親族」です)。
諸葛亮は、その青年期を俗世間と距離を置いて過ごしていたわけではなく、逆に中原の混乱も影響して人材の流入が激しかった荊州において、人脈の形成を通して密かに爪を研いで世に出る機会を伺う…そんな青年期を過ごしていたのではないでしょうか?
ただ、どこかの政治家みたく社交的に手当たり次第な人脈形成を行うのではなく、諸葛亮自身の価値観による交流の取捨選択があったので、前述のような「脚色されたイメージ」が作られる遠因になったのかもしれません。
「三顧の礼」以後、老練の域に達しつつある劉備が若年の諸葛亮を大抜擢したことは周知の通りです。
この大抜擢は、諸葛亮自身の才能もさることながら、長い流浪生活に終止符を打つため強固な地盤を築きたい劉備にとって、諸葛亮が培った人脈を欲したためとも考えられます。
政権内においては劉表に近い人脈を、また在野においては名士・黄承彦に近い人脈を培っていた諸葛亮の戦略が功を奏した何よりの証拠のように考えるのです。


[ 2004/05/02 01:20 ] 樹形図で見る三国志 | TB(0) | CM(0)
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