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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

三国志に出会える街、新長田-前編- 

前日の夜は倉敷市郊外にある「炭火焼肉 関羽」で、妄想的に関羽まみれな至福の時間を過ごしました。
その晩、社用のモバイルPCが突然ネットにつながらなくなるというハプニングに遭遇しながらも、回復の見込みが立たないため…建国記念日のお昼過ぎに東京へ向けて出発。
途中なんとか時間を捻出して、とある「三国志スポット」に立ち寄ることにしました。
「鉄人と三国志に出会える街、新長田」です。
前々から行きたい!生きたい!と思っていたのですが、ようやく念願叶って訪れることができました。
この記事も長くなりそうなので、3回に分けて書きます。

あの「阪神・淡路大震災」で甚大な被害を受けた神戸市長田区。
その長田区が、商業者や神戸市の関連諸団体による「KOBE鉄人PROJECT」で復興、活性化しているということは、ネットほかで目にしていました。
KOBE鉄人PROJECT」とは、三国志ファンが崇拝して止まない巨匠・横山光輝大先生の偉業をたたえ、ご出身地である神戸に「鉄人28号の巨大モニュメント」や「三国志」をテーマとした施設整備などを推進し、地域活性化を目指す活動とその団体(NPO法人)です。
「三国志」が関係していることも勿論そうですが、地域活性化のひとつの成功事例(現在進行中)として、個人的にとても強い関心をもっています。

ということで、新神戸駅で新幹線を降りて、地下鉄に乗り換えて新長田駅まで。
そういえば、関西のエスカレーターは右側に並んで、左側で追い越しですね、どうでもいいことですが。
新長田駅を降りると、いろんなところで「回遊散策MAP」が目に入ります。
まずは駅から近い「鉄人28号の巨大モニュメント」を見に行きました。新長田1
左右に並ぶお店やビルを横目にテクテク歩いて行くと、突然視界が広がり、デデーンと鉄人28号が目の前に現れました、デカイッ!ガオーッ!
カッコいいなぁ、そしてカッコよさの中に可愛らしさも垣間見られる絶妙なバランスが、横輝大先生の偉大なところ。
ひとしきり眺めた後、モニュメントを背に新長田一番街商店街から大正筋商店街へ。
地下鉄新長田駅から駒ヶ林駅にかけて、複数の商店街がひとつの街を構成しています。
商店街がイキイキしていると、街もイキイキ感じますね。
あいにく雨降りな日だったのですが、アーケードが続くのでとても助かりました。

商店街の一角にある「アスタくにづか1番館」の中には、「まちかどサロン」があります。新長田2
いわゆる「休憩所」ですが、ここでも三国志な展示物が壁を埋め尽くしています。
「天下三分の計」の解説、三国志年表、三国志の代表的な人物紹介などなど、横山光輝『三国志』からの抜粋イラストも添えられており、時間がないのにジロジロ見入ってしまいます。
人物紹介のコーナーでは、特徴を一言であらわすコピーが各人物にひとつずつ添えられており、これが面白い。
たとえば
 法正=「悪軍師」
 孫策=「江東の流れ星」
 司馬懿=「しぶとい寝業師」
法正の「悪軍師」…たった3文字で表現し切るセンスがとくに抜群だと思うのは、私だけでしょうか?

しばらく歩いていると、右手の方に見えてきたのが関羽の石像!新長田4
この石像は等身大で、商店街各所に4体点在する三国志人物石像の1体です。
彫刻家・馬渕洋さんが、横山光輝『三国志』に題材をとりながら、独自の解釈で創り出した三国志アート。
細工を施しにくい石という素材で創られた作品は、逆に無駄が省かれたシンプルな存在感、ミニマルな魅力で見る者を惹きつけるように思えます。
関羽のトレードマークである「美髯」もちゃんと再現されていますよ。
ちなみにこの石像は、(財)阪神・淡路大震災復興基金の補助を受けて制作されているようです。こういう資金的バックアップは欠かせませんよね…なるほど。

大正筋商店街の入口から、商店街の左右の壁に、三国志の人物が描かれた「バナー」を見かけることができます。新長田3
このバナー、全部でなんと128人もの横山光輝『三国志』に登場する人物が描き出されているそうです。
すべて見ていると数時間じゃ足りないですね。
入口から人物名「あいうえお順」で配されているようで、伊籍、于吉、于禁、袁術…とかなーり地味めな出だしにはなっているんですが、むしろ三国志ファンにとっては思わず「ニターッ」と頬が緩んでしまうセレクションですよね。

上ばかり見ながらホケーッと歩いていると、ちょうど「王允」のバナーの下にあるお店「お茶の味萬」で気になるモノを発見。
どうも「鉄人や三国志グッズが一番多いお店」として台湾で紹介されているお店らしいのです。
店先のグッズを眺めてみると革製のグッズが目立ちます。
ご主人が店先に出てきて、いろいろお話を聞かせてくれました。
ご主人によると、昔から長田区では革製品の加工業が盛んだったそうです。
ところが、阪神・淡路大震災によって工場が壊れ、約10数年かけて復興している間に中国などのアジアに生産の主導権が奪われ…それでも確かな腕をもつ職人のみなさんが、革製品のハギレなどを使って手作りしているのが、このお店に並ぶ革製の三国志グッズとのこと。
諸葛亮関羽、孫権、曹操、劉備などの肖像画が刻印された色とりどりの革製メガネケース、ペン入れ、名刺入れ、小銭入れ、ストラップが並んでいました。
これらのグッズ、縫製含めて品がイイのに、お値段が安い!
小銭入れやストラップは400円、名刺入れは500円でペン入れが700円。
私は、諸葛亮のペン入れを購入しました。
すると、ご主人が1枚100円で売っている三国志はがき、さらにお茶味の飴玉(10個も!)をオマケにつけてくれました…泣けてくるほど人がイイ!
好き!神戸

えー、まだ商店街に入ったばかりなのですが、既に冗長になってきたので今回はココでおしまいです。中編に続く…ガオーッ!
[ 2010/02/14 08:00 ] 三国志之旅 | TB(0) | CM(1)

八ツ場ダムに沈む、臥龍 

今月上旬の三連休を使って、温泉&雪山遊びに行ってきました。
場所は、八ツ場ダム建設でホットな群馬県の奥深くにある川原湯温泉です。
この川原湯温泉は、はるか昔、源頼朝が狩りの最中に見つけたという伝承のある由緒ある温泉地。
私は「山木館」という温泉宿に一泊したのですが…これがとんでもなくサイコーのお宿でした!山木館
慶長年間に創業された由緒正しいお宿で、お部屋の調度品などにも江戸時代の残り香が随所に。
温泉もイイ感じに硫黄臭が鼻をつき、ムード満点。水車を間近に見られる露天風呂なんかもあって、快適な朝風呂もいただきました。
そして、このお宿の最もユニークなところは…宿のお庭にある立ち枯れた大木に、夜になるとムササビが2匹(モモ太とその仲間)餌を求めて飛来し、その可愛い様子を惜しげもなく見せてくれることです。
仕事上のトラブルで宿に着いたのが20:00過ぎとなりムササビとの対面を諦めかけていたのですが…食後に覗いてみると、運良くムササビを見ることができました。
いやぁ、癒されました。

と、三国志と全く関係のないただの「温泉日記」になりかけていますが…ココからです。

翌日は朝から、凍結のため車が駐車場の坂を上れない…というアクシデントに見舞われ&克服しつつ、草津国際スキー場へ。
日本初のスキーリフトが営業したのは、このスキー場らしいですよ、老舗ですねぇ(関係ないですが…スキー場には「殺生クワッドリフト」というゾクッとする名前のリフトもあります)。
スキー場に向かって国道145号線をブーッと走っていると、JR東日本吾妻線の川原湯温泉駅から少し行ったあたりでナビ上に気になる文字を発見。

「…臥龍岩??」

あまりに唐突でうっかり過ぎてしまったため、Uターンしてナビ上で表示されているポイントへ戻ることに。
「臥龍」なんて文字を目にしたら居ても立ってもいられないですよね…まさか八ツ場で諸葛亮に出くわそうとは!臥龍岩1
道路脇に車を停めて、「臥龍岩」なるものがあるらしい場所にテクテクと…するとたしかに「臥龍岩」を紹介している掲示板(?)がありました。
この「臥龍岩」、なんと国の天然記念物だそうです。
正式名称は「川原湯岩脈(臥龍岩および昇龍岩)」といって、1934年12月に指定を受けています。
ちょっと調べてみたところ…地層や岩石の割れ目にマグマが貫入して固まったものを「岩脈」と呼び、さらに、それが地層面にほぼ平行に貫入したものは「岩床」と呼ぶそうです。
「臥龍岩」は約230万年前にできたものらしく…相当古いものですね。臥龍岩2
その独特な柱状の模様が龍の背中に見えることから、川を横断して地を這うように横たわっている方を「臥龍岩」、一方、断崖を駆け登るようにそびえている方を「昇龍岩」と名付けたそうです。
地面に平行&垂直な二様の岩脈をセットで捉えた、センスのいいネーミングですね。

三国志と八つ場がこんな素敵でサプライズな出会いを用意してくれていようとは。
多謝!!

…ただ、喜んでばかりもいられないということに、すぐ思い当たりました。
そう、ここは八ツ場なんです。八ツ場ダム
「山木館」も「臥龍岩」も、みーんな八ツ場ダムができてしまうと水没するエリアに位置しています。
TVの向こうの他人事のような出来事が、一気に身近な関心事に変わりました。
八ツ場ダム建設はいろんな人々によるいろんな解釈があり、何よりもそこで生活する人々の生活や人生に多大な影響を及ぼしている問題なので、軽々しいことは言えませんが…素敵な温泉や人々に触れたり、三国志に所縁のある「臥龍岩」を目の当たりにしてしまうと、私的感情として賛成したくなくなりました。

「山木館」の女将さんのお話だと、来年も今の場所で営業しているかどうかはわからない…ということ(移転地での営業継続の可能性はあり)。
みなさんも機会があったらば、ぜひ一度、今のうちに、川原湯温泉、八ツ場を訪れてみてはいかがでしょうか?
そして、臥龍=諸葛亮にも会ってきてください。
深い深いダムの底に沈み、臥龍が永遠に昇天できなくなる、その前に。

[参考]文科省の国指定文化財等データベース
http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp
※臥龍岩、で検索してみてください。
[ 2010/01/30 22:06 ] 三国志之旅 | TB(0) | CM(2)

中国旅行から~番外編~ 

前回の「水牛話」に絡めて、ちょっとプクイチ…。
横山光輝『三国志』でも、水牛大登場。
白目剥き出しという不気味なおめめの水牛の背には、「源平合戦」を髣髴とさせるような名乗りをあげる“南蛮軍副将”忙牙長あり。
漆黒の水牛と髭ぼうぼうの武将のコラボ…いかにもって具合の猛々しさが漂っていますね。
横山光輝氏のイマジネーションに、感服です。


あ!そこに、なんと“実写版”忙牙長もトボトボ登場。
う~ん、その目つきは忙牙長の狂暴さそのもの!
(実際は、汚い身なりのアジア人旅行者に対する不審な眼差しなんでしょうが…)
この写真は、西アフリカのマリ共和国をぶらり旅したときのものなので、対象はアフリカ人だし、子どもだし、水牛じゃないし…“バッタもん”忙牙長ですが、もし忙牙長が実在していたら(『演義』のみの人物なので)、雰囲気はこんな感じだったでしょう。


[ 2004/12/06 06:45 ] 三国志之旅 | TB(0) | CM(0)

中国旅行から~其の五~ 

バナナ牛乳さんからいただいたリクエストを真に受けまして…調子に乗らせていただきます。
追加でもう1回、中国旅行レポートをお送りします。
今回は三国時代の、主に華南の風景について、イマジネーションを膨らます参考材料として。
華北(黄河流域)と比較して、華南(長江流域以南)の風景を特徴づけるとっても印象深いものは、水田と水牛(写真)の存在です。
「畑作(小麦など)+牛」中心の華北と、「稲作+水牛」中心の華南。
私にとって田舎といえば、広々とした田んぼと、秋になると一面を金色に染め上げる稲穂のイメージ。
だから、華北にも華南にも旅したことはありますが、気持ちが落ち着くのは水田が広がる華南です。
しかも、日中のんびり泥水を浴びていたり、あくびをしたりしている水牛を見ると、こっちまでホケーッとした気持ちになってしまいます。

華南で普通に見かける水牛(アジアスイギュウ)は、牛とは異なる性質をもっています。
※以下『世界大百科事典』(平凡社刊)から一部拝借。
彼らは体温調節機能があまり発達していないため、高温多湿を好み、暑い日中の労働はニガテ。
たとえば三国時代当時、牛は輜重を牽引する役用牛としての役割もあり、馬と比べると、とくに運搬力の強さから坂道で力を発揮していました。
牛は、軍事にも密接に関わっていたんですね。
しかし、水牛は不適…力はあっても、水のない状態での労働はニガテなので。
田んぼの土を起こしたり、泥土を攪拌したり、収穫した稲を夕方に運んだり…時たま儀礼用の供物として捧げられたり…。
三国志の英傑たちが火花を散らして戦うその場面に登場する機会は少なかったかもしれませんが、より民衆の日常生活にピッタリ寄り添った形で、三国志の風景を構成していたことに間違いはありません。
そんな平々凡々な風景も大切にイメージしながら、三国志の世界を堪能していきたい…そう感じています。


[ 2004/12/05 23:39 ] 三国志之旅 | TB(0) | CM(0)

中国旅行から~其の四~ 

今回は第4回目ですが、「中国旅行から~其の弐~」の補足です。
「中国旅行から~其の弐~」で書いていました…
[ 2004/12/02 02:34 ] 三国志之旅 | TB(0) | CM(2)
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