川本喜八郎先生が、8/23に85歳で永眠されました。
ご冥福をお祈りします。
久方更新することのなかった拙BLOGですが、私の三国志好きに決定的な影響を与えてくださった川本先生への追悼の意を込めて、勝手な文章を書きなぐらせていただきます。
私は三国志が好きなことと同様に、人形アニメ・人形劇が純粋に好きでもあります。
この両方をとことん満たしてくださったのは、川本先生の存在以外にはありません。
そういう意味で、私にとって唯一無二の存在です。
日本最大級の人形劇イベントである「
いいだ人形劇フェスタ」に、ここ数年は毎年必ず赴き、その際に飯田市にある
川本喜八郎人形美術館も必ず訪れ、都度変わる展示内容を堪能していました。
今年は、ここ数年で展示内容が最も変わっており、大河ドラマ化が決定したことも受けてか『人形歴史スペクタクル 平家物語』がメインとなり『人形劇 三国志』はサブ的位置づけとなっていましたが。
川本先生を語るうえで、チェコの人形アニメとの関わりは切っても切り離せません。
川本先生は30代後半で、旧チェコスロヴァキアに人形アニメの修行に出られています。
そこで師事されたのが、イジー・トルンカという人形アニメの第一人者と今でも讃えられる人物です。
私は一昔前チェコアニメブームが到来した際、ものの見事に感化されて、ヤン・シュヴァンクマイエルらと同等にこのイジー・トルンカの作品にもどっぷりはまりました。
たとえば、『
真夏の夜の夢』はシェイクスピアの同名小説を美しく幻想的な作品に、最晩年作である『
手』では「プラハの春」後の暗黒時代の到来を象徴するかのような自由の束縛をシュールに描く作品にそれぞれ仕立て上げられています。
これらの作品では人形アニメでしか表現しえない、独特の世界観が構築されています。
ただ、川本先生はだからといってイジー・トルンカ的人形表現をそのまま真似ることはしませんでした。
イジー・トルンカに感化された後、美しく静謐な世界観はそのままに、むしろ自身のオリジナリティやアイデンティティの問題に正面からぶつかり、結果日本古来の伝統や芸能に目を注がれ、能や文楽からあの独特な表情、佇まいの人形表現を会得されました。
■人形は神と人間とをつなぐもの
■人生の「苦」こそが人形の表現
■その国の伝統、文化をもっていなければならない。日本の伝統を学ばなければいけない
このようなことを川本先生は生前おっしゃっていました。
思えば、川本先生が三国志を愛して止まなかった理由は、必然だったのですね。
三国志には、本質的に勝者がいません。無常の物語です。
後漢末に跋扈した英雄豪傑たちは非業の中に倒れていき、魏呉蜀のいずれもが天下統一を成せず西晋が統一、しかしそれも束の間異民族に中華が飲み込まれる…無常が支配する世界です。
三国志の世界に通底する人生の「苦」を浄化するが如く、また神々となった英雄豪傑たちと今の世に生きる私たちとをつなぐ、唯一無二の表現方法としての日本伝統芸能「文楽」を昇華した川本先生による人形劇…それが『人形劇 三国志』。
『人形劇 三国志』自体についても、書籍などから得られる川本先生の個々の人形への想いやウラ話は山ほどありますが、キリがなくなるのでここでは触れません。
川本先生は、ご高齢どこ吹く風で『項羽と劉邦』の人形劇化のため制作を進められていたと伺っていますが、それも永遠に実現されることはなくなりました…。
あーだこーだと書いていたら、やっぱりキリがありません。

最後に、川本先生がお亡くなりになった8/23は、奇しくも『演義』における
諸葛亮の命日です。
川本先生は、とくに
諸葛亮に想い入れがあったと伺っています。
そんな
諸葛亮と同じ日に亡くなられるとは…先生。
※画像は、2007年に行われたイベント『
三国志の宴2』で、知人に譲ってもらった漫画家末弘先生による川本先生のイラスト入り色紙。宝です。