底本には初摺本と後摺本、各一種を用い、それぞれの欠けたるを補い、或いは両者の相違点を比較対象して掲出した。
三女、東男と會して天地交合のお祭、偕老同穴の契りをむすび、心力を合せて同年同日に生れずとも、同年同月同日に死せんことを誓ふ。
羽兵ヘ「…此あいだも臥龍が岡のお孔が所へ、雪の降るのにおいらたちを連れて、二度無駄足をさせて、とうとう三度目に本望とげたのサ…」
お関「…一ト晩の内に五人仕て、魏の国屋の曹さんから羽織をこしらへておもらひじやアねへか。…」
玄「…アレ誰だか囲ひで雷のやうなうなり声がするぜ。又長公か。アノ虎髯でこすられちやアたまらねヘノウ」
お徳「…どうもどうもよくつてよくつて三国が一つになるやうだ。…」
桃園ハいづれあねやら妹やら、
梅とさんさん三ごくのとき 蜀三人
鼎の器たるや。小なれども重くして。其家の神、是を寳(たから)とす。
男根の大なるを。俗に三足といふ。両足ハ千里を自由に。歩行なすの徳あり。亦男根ハ。交合なして世継をもふけ。宝とすといへ共。
霊帝記の論に云(いふ)。
むつましき中は鼎のごとくにて
祝ふ雑煮も三つのあしたか
國の鼎ハ長久に動かさず。民の鼎ハ。中に入実を覆(こぼ)すことなかれと。
『風俗三國志』全三巻目次
上巻
祭天地桃園結義
董卓起兵入洛陽
曹操謀殺董卓
孫堅奪玉璽
鳳儀亭呂布戯貂蝉
遷鸞輿曹操乗政
劉玄徳北海解圍
呂布轅門射戟
青梅煮酒論英雄
中巻
関羽千里獨行
関羽五関斬大将
玄徳敗走荊州
玄徳躍馬跳檀渓
玄徳新野遇徐庶
玄徳風雪訪孔明
定三分孔明出茅盧
長坂坡趙雲救幼主
張飛據水断橋
孔明舌戦呉羣儒
下巻
孔明智説周瑜
孔明計伏周瑜
七星壇孔明祈風
龐統献連環計
曹操三江調水軍
周瑜赤壁破魏兵
関羽義許曹操
其二
其三
曹操敗走華容道
◎寛文末~延宝頃(1670~1681年頃)
古浄瑠璃『通俗傾城三国志』
土佐少掾正勝(江戸)
●元禄2~5年(1689~1692年)
読本『通俗三国志』
湖南文山(京都天龍寺の僧義轍及び月堂の筆名)訳
●宝永6年(1709年)夏
歌舞伎『三国志』
大阪嵐座初演
◎享保9年(1724年)
人形浄瑠璃『諸葛孔明鼎軍談』
元祖武田出雲 大阪竹本座初演
●元文2年(1737年)
歌舞伎『関羽』
江戸河原崎座初演
◎天明元年(1781年)
洒落本『通人三国師』
夢中楽介
◎天保元年(1830年)正月
會本『風俗三國志』
惡失兵衛景筆作・不器用又平画
●天保7~12年(1836~1841年)
絵本『絵本通俗三国志』
池田東雛亭編・葛飾戴斗画
「私は以前から江戸文学研究者が浮世絵(挿絵や板画)に関心を持たないのが不満でならないのだが、この二つは両々相俟って研究の成果をあげ得るもので、江戸文芸の研究にあっては、別箇に切離さるべき性格のものではない。だから江戸文学研究家も浮世絵を研究し浮世絵研究家も江戸文学を研究すべきなのだ…」
林美一『會本研究』創刊号(1978年)
という風に、『正史』の中に登場します。先主はかくて江南の地を手中におさめ、諸葛亮を軍師中郎将にして、零陵・桂陽・長沙の三郡を治めさせ、その賦税を調達して、軍事費にあてた。…『零陵先賢伝』にいう。諸葛亮はそのとき、臨烝に居住した。
(『蜀書』「諸葛亮伝」)