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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

[続報]ほうれん草を栽培する劉備 

前回書いた「ほうれん草を栽培する劉備」の続報です。
私が持っている中国古代の食べ物関連書籍で1冊チェックを忘れていました。
『中国食物史』篠田統著/柴田書店です。
索引を調べてみると「ほうれん草」に関する記述が計6箇所もありました!
さすが篠田先生!!頼りになります、もう漏らしません。
とうことで、三国志な時代とは関係がなくなってしまいますが…ほうれん草のアレコレを一部抜き書きしておきます。

陸のものでこの時代に伝わったものに波稜草(ほうれんそう)がある。波稜(ポーリン)はペルシアの意味だ。
(第三編 近古 第一章 隋・盛唐 ロ 唐代の食物)


彼の詩の中で特に食膳をとりあつかったもののリストを作ると、
蔬菜
波薐草(ほうれんそう)・蘆(だいこん)・蔓菁(かぶら)…
(第四編 中世 第一章 北宋 ホ 中期の士人の食膳-蘇東坡をめぐりて)


『農桑輯要』 司農司の官撰で、世祖の至元十年(1273)の序文がついている。…内容は『齊民要術』を筆頭に、後漢崔寔の『四民月令』…などよりの引用が殆どで、オリジナルな部分は少ない。…
菠薐
正月か二月に蒔く。次々食べて行っても、いつも無くならない。沸湯でサッと湯がき、陽に乾しておき、菜園が枯れ尽きた時に水で戻して食べるのも、甚だ宜しい(『新添』)
(第五編 近世の上-元 第二章 元 ト 農書類)


やっぱりほうれん草は唐代に中国に伝わった食物のようなので、劉備の「張騫伝来説」は誤りですね。
というか、三国志な時代ではほうれん草を食べるというシーン自体が考証的にNGです。
『赤壁賦』で著名な蘇軾(蘇東坡)の詩にほうれん草が出てきたりするのも、辛うじて三国志な時代とのつながりを感じることもできなくはないです。
ということで、ほうれん草ネタは終了。
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[ 2010/10/26 22:21 ] 農三国志農ライフ | TB(0) | CM(0)

ほうれん草を栽培する劉備 

みなさん、こんばんは。
毎週日曜日9:30-10:00『最強武将伝 三国演義』を観ていますか?
私は鬼のように録りためてしまっており…ようやく第11話「英雄の資格」(6/13放送分)を今週観終わったところです。
この11話では、許田の巻狩や「君と余だ!」な英雄論のエピソードが展開されました。
他にも張飛による夏侯氏略奪話をもじった、「夏侯蓮」という女性との淡い恋の物語なども見せ場のひとつでした。
で、そんな中で気になってしまったのは、劉備が鍬で土を耕しながら交わした以下の会話。

兵士「仰せの通りに、異国の商人からほうれん草の種を買ってまいりました」
劉備「関羽、張飛、このほうれん草がどういう野菜なのか知っているか?」
張飛「知らない」
劉備「ほうれん草というのはな、漢の張騫が西域に行ったときペルシャから持ち帰ったものだ。栄養が豊富な野菜で、便秘にも効果があるんだぞ」
張飛「俺の自慢は、快食快便だ!」
劉関張「あっはっは」


張飛の「快食快便」など知ったこっちゃないですが、ほうれん草って三国志な時代から食されていたんだぁ…と、軽い眠気が晴れる程度にハッとしたわけです。
「緑黄色野菜の王様」とも称されるほうれん草。

昨年の冬、市から借りていた畑でほうれん草を栽培しました。ほうれん草
ほうれん草の種は「マキビシ」みたいな形でとてもユニーク。
残留農薬の濃度が高いことで中国産ほうれん草が一時期話題になりましたが、自分で作った国産ほうれん草だったら安心してたくさん喰べられます。
劉備が私と同じくほうれん草の種を撒き育て食した、約1800年のときを超えてシンクロしたその行動にちょっとした感動を覚えました。

が、やっぱり鵜呑みにせずちょっと調べてみようと思って、『漢書』の張騫伝や西域伝、『斉民要術』を当たってみたのですが、ほうれん草の記事が見当たりません。
ネットで検索してみると『非常識講師の語源散歩』というWEBサイトで貴重な情報を得ることができました。

『唐会要』に次ぐ、ほうれん草についての古い記述が『劉賓客嘉話録』にあります。『劉賓客嘉話録』は唐の韋絢が劉禹錫の言葉を記録した書物です。その中で次のように書いています。

「野菜の菠稜はもともと西域のある僧がそのたねを持ってきたものだ。それはウマゴヤシやブドウが張騫によって伝わったのと同じようなことである。わたくし韋絢は、頗稜国からもたらされたときに、言葉が訛って菠稜になったのではないかと思う」(菜之菠稜、本西国中有僧将其子来、如苜蓿葡萄因張騫而至也、絢曰、豈非頗稜国将来時、語訛為菠稜耶)。


つまり、ほうれん草は張騫が持ち帰ったのではなく、張騫によってブドウが伝わったように、西域のある僧がいつかはわかりませんが「頗稜国」という場所から種を持ってきた…ということですね。
『三国演義』の劉備による会心のトリビアは「ブブー!」不正解…かもしれません。
ほうれん草情報お持ちのかたは、ぜひお知らせください。
それでは、また。
[ 2010/10/24 23:28 ] 農三国志農ライフ | TB(0) | CM(6)

三国志的家庭菜園生活 出演:なすび 

ご無沙汰すぎる「農三国志農ライフ」コーナーを更新することにします。
更新は滞りまくりなのですが…最低でも週1のペースで「農三国志農ライフ」はずーっと続けています。
昨年の冬から今春にかけては
■巨大たまねぎの収穫
■イチゴ祭り
■ジャガイモ掘り大会
などなどイベント盛り沢山でした。
そして、6月以降はほぼ毎週「夏の大収穫祭」中です。
トマト(大粒の「桃太郎」と、赤や黄色のミニトマトたち)は毎週50個ほど採れ続け、ほかにも枝豆、キュウリ、オクラ、ピーマン、ゴーヤ、とうもろこしなどなどが採れています。

ということで、今回は「茄子(なす)」について。
農ライフを送るようになって、三国志な時代に食されていた野菜に興味を持つようになったのですが、茄子は三国志な人々(とくに南の方の地域)も食していただろう野菜のひとつです。
『中国食物史』篠田統著/柴田書店によると「第三章 戦国から秦・漢」にて

まず食品の種類が増加した。…南方系では茄子や里芋などがあげられる。

と、あります。09年夏の茄子1
茄子は、インド東部を原産地としているらしいです。
おそらく、現ミャンマーのエーヤワディー川経由とか、ベトナム経由とかで中国に伝来したんじゃないでしょうか?
秦・漢代には南方から伝来していた茄子は、きっと孫権や劉備たちの食卓にもあがっていたことでしょう。
当時は油を使って揚げたり、炒めたりな料理は基本的になかったそうなので、「焼茄子」とかして食べていたのかもしれませんよ。美味しいですからねぇ。
ゲーム『三國志Online』でも茄子登場するらしいですが、なんだか野菜の中では高級食材みたいです。
赤壁祝勝会とか、蜀平定後の宴とかで
「ええー、茄子食えんの??いやー、生きててよかった!」
みたいなシーンがあったのかもですよ。

また、さらに時代は遡り、三国時代を過ぎてしまいますが、300年につくられたという中国最古の植物誌『南方草木状』にも茄子に関する記述があるそうです。

茄子。交州・広州は冬も植物が枯れないから、畑の茄子も三年五年宿根すれば次第に大樹になるので、夏秋の成熟期には梯子をかけて採集する。五年もたって樹が老い、実が少なくなれば、伐り仆して、別にわかいのをうえる。(『中国食物史』篠田統著/柴田書店より)

はしごをかけて茄子を採集…って、なんでやねん!
09年夏の茄子2
私は、茄子の持っている大いなるポテンシャルを見誤っていました…うちの茄子なんて甘ちゃんも甘ちゃんです、出直してきます。
[ 2009/08/18 17:25 ] 農三国志農ライフ | TB(0) | CM(2)

うちの「冬の大収穫祭」を諸葛恪と薛綜に知らせたい 

チエイッ

NHK教育テレビで放送される『趣味の園芸 やさいの時間』。
私のような家庭菜園初心者には、バイブルのような番組です。

2か月ほど撮り溜めていたものを休日を利用して一気に観ていたのですが…ひどく牧歌的で草食系な家庭菜園番組には、とっても相応しくない人物が、昨年の12月放送分に出ていてビックリ。
YOU THE ROCK★
知る人ぞ知る、ヒップホップ系のミュージシャンです。Youちゃんです。
YOU THE ROCK★の父である「BOSS THE ROCK★」まで登場し、番組は一気にトンデモワールド化。ブロッコリーほかどうなるんだ…この番組と思っていたら、BOSS THE ROCK★が息子に送ったメールが紹介され、ちょっとホロリ。
「白菜、丸くなり始めた、人も同じだね。」
なんだかわかるような、わからないようなメールですね。

さて、前置きが長くなりましたが、12月から2か月間、我が畑では「冬の大収穫祭」が続いています。大根、聖護院大根
二十日大根に始まり、ブロッコリー、かつお菜、ターツァイ、小松菜、白菜、聖護院大根、大根…が次々と採れています。
とくに鍋の季節には、これら野菜が大活躍です。

野菜てんこ盛りでグツグツと煮立つ鍋を見ながら…私は、やはり三国志な時代のことを思うのです。

諸葛恪は…新城にむかい、これを包囲した。新城をめぐる攻防が何ヵ月にも及んだが、城を落とすことができなかった。士卒たちは疲れ切って、暑さのあまり生水を飲み、下痢をおこし脚気になって、大半の者が病気にかかり…
(『呉書』「諸葛恪伝」)


さらには、孫権が言い出した「公孫淵討伐」を諌める薛綜の上疏文より

〔遼東との間には〕はてしなく続く深さも知れぬ水が存在して、…陰鬱な霧が頭上にたれこめ、塩水が脚下からむしむしした水蒸気を立ち昇らせて、そのため脚気が発生しやすく、それがどんどん伝染していって、海を渡る者でこの病気にかからぬものは稀であります。
(『呉書』「薛綜伝」)


諸葛恪薛綜…ごめん。
私は大した苦労もなく、ビタミンB1たっぷりの緑黄色野菜を、たらふく食べんとしています。鍋
森鷗外の大失態などもありつつ、現代では、諸葛恪薛綜が心を苦しめた「脚気」は、ビタミンB1の欠乏症であることがわかっています。
ビタミンB1をたくさん含む食材の代表格が、緑黄色野菜。
うちで採れたブロッコリー、大根やカブの葉、かつお菜(高菜の仲間)は、緑黄色野菜の代表。
叶うのなら、私が屯田でもしてこれら緑黄色野菜を作って差し上げておけば、苦労しなかっただろうにね…でも、そんなこと叶いっこないので、私だけ美味しくいただきます。
バイバイ、諸葛恪薛綜
[ 2009/02/14 23:30 ] 農三国志農ライフ | TB(0) | CM(0)

我が家は屯田制を導入しました 

最近書きたいことは山のフドウのようにあるのに、なかなか思うように更新できません…。
でも、あんまりがんばり過ぎると、階段を昇るときのようにすぐ息があがりそうなので、のんびりいきます。

さてと、新コーナー、始めます。
その名も「農三国志農ライフ」。

うちの棗祗とかがやかましく言うので、今年の4月から「屯田制(≒家庭菜園)」を導入しました。
折角なので、のら仕事を通して三国志について想ったことなどを、徒然なるがままに書き殴ろうと思います。

それにしても、今年の夏は大収穫祭りでしたよ。家庭菜園_01
台風が直撃しなかったという幸運もありましたが、写真のような15㎡のちっちゃな農地で、トマト、ゴーヤー、カボチャ、インゲン豆、ナス、オクラ、トウモロコシ、ピーマン、ニラなどなど…それこそ食べきれないほど収穫できました。
自然に感謝、大地に感謝。

屯田」を始めて芽生えたのは、とにかく野菜がかわいくて仕方ないという、これまでにない感情。家庭菜園_02

日が昇ると、嬉々としてのら仕事に出たりもしました(気分次第)。
あと、豪雨、暴風のときなどは、農地の野菜たちのことが気になり、心落ち着かないこともたまーにありました。
土を何度も耕したり、こまめに水や肥料をやったり、雑草や虫を見つけたら親の仇!とばかりに根絶やしにしたり…手間がかかる分、いとおしくなるんでしょうかね。

三国志な時代では、とくににおいて、戦乱で荒れ果てた田畑を一般人民に、辺境の地では兵士に与えて耕作をさせる「屯田」という制度が活発に運用されていました。
根本的に私ののら仕事と異なるというのは承知ですが…もし、自分の耕作地が戦争で荒らされるようなことがあるなら、1000分の1ぐらいの可能性で戦いますね、防衛戦です。
為政者というのは、こういった「土地に執着する人民の感情」みたいなものをうまーく利用していたりしたんでしょうね。

よく「戦いは収穫期である秋を避けて行う」…とかいうことが書かれますが、実際は春から夏にかけても、農作物に対して手をかけることは山ほどあるわけで、そんなに気持ちを割り切れるもんじゃないですよ。
戦地に赴くようなことがあったら、多分耕作地のことが気が気ではないでしょう。
生活かかっていたら、なおさらだと思います。

三国志な時代の、名もなき多数の人民たちの感情を、時代を超えて少しでも感じられるとうれしいなぁ…と夢見ながら、せっせとのら仕事をがんばります。
ちなみに、今冬の目玉はイチゴの収穫です。
それでは。
[ 2008/11/26 02:51 ] 農三国志農ライフ | TB(0) | CM(4)
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