陸のものでこの時代に伝わったものに波稜草(ほうれんそう)がある。波稜(ポーリン)はペルシアの意味だ。
(第三編 近古 第一章 隋・盛唐 ロ 唐代の食物)
彼の詩の中で特に食膳をとりあつかったもののリストを作ると、
蔬菜
波薐草(ほうれんそう)・蘆(だいこん)・蔓菁(かぶら)…
(第四編 中世 第一章 北宋 ホ 中期の士人の食膳-蘇東坡をめぐりて)
『農桑輯要』 司農司の官撰で、世祖の至元十年(1273)の序文がついている。…内容は『齊民要術』を筆頭に、後漢崔寔の『四民月令』…などよりの引用が殆どで、オリジナルな部分は少ない。…
菠薐
正月か二月に蒔く。次々食べて行っても、いつも無くならない。沸湯でサッと湯がき、陽に乾しておき、菜園が枯れ尽きた時に水で戻して食べるのも、甚だ宜しい(『新添』)
(第五編 近世の上-元 第二章 元 ト 農書類)
兵士「仰せの通りに、異国の商人からほうれん草の種を買ってまいりました」
劉備「関羽、張飛、このほうれん草がどういう野菜なのか知っているか?」
張飛「知らない」
劉備「ほうれん草というのはな、漢の張騫が西域に行ったときペルシャから持ち帰ったものだ。栄養が豊富な野菜で、便秘にも効果があるんだぞ」
張飛「俺の自慢は、快食快便だ!」
劉関張「あっはっは」
『唐会要』に次ぐ、ほうれん草についての古い記述が『劉賓客嘉話録』にあります。『劉賓客嘉話録』は唐の韋絢が劉禹錫の言葉を記録した書物です。その中で次のように書いています。
「野菜の菠稜はもともと西域のある僧がそのたねを持ってきたものだ。それはウマゴヤシやブドウが張騫によって伝わったのと同じようなことである。わたくし韋絢は、頗稜国からもたらされたときに、言葉が訛って菠稜になったのではないかと思う」(菜之菠稜、本西国中有僧将其子来、如苜蓿葡萄因張騫而至也、絢曰、豈非頗稜国将来時、語訛為菠稜耶)。
と、あります。まず食品の種類が増加した。…南方系では茄子や里芋などがあげられる。
はしごをかけて茄子を採集…って、なんでやねん!茄子。交州・広州は冬も植物が枯れないから、畑の茄子も三年五年宿根すれば次第に大樹になるので、夏秋の成熟期には梯子をかけて採集する。五年もたって樹が老い、実が少なくなれば、伐り仆して、別にわかいのをうえる。(『中国食物史』篠田統著/柴田書店より)
諸葛恪は…新城にむかい、これを包囲した。新城をめぐる攻防が何ヵ月にも及んだが、城を落とすことができなかった。士卒たちは疲れ切って、暑さのあまり生水を飲み、下痢をおこし脚気になって、大半の者が病気にかかり…
(『呉書』「諸葛恪伝」)
〔遼東との間には〕はてしなく続く深さも知れぬ水が存在して、…陰鬱な霧が頭上にたれこめ、塩水が脚下からむしむしした水蒸気を立ち昇らせて、そのため脚気が発生しやすく、それがどんどん伝染していって、海を渡る者でこの病気にかからぬものは稀であります。
(『呉書』「薛綜伝」)
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