三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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「PurpleMoon」 by 紫月美夜さん 


多種多様のデザインテンプレートを大公開していただいている「神様」のようなかたのBLOGです。
私のように「CSS」の「C」すらもわからない者にとっては、本当にありがいことです。
自分色のBLOGを作りたいけど、どうすればいいのやら…というかたは、1度お邪魔してはどうでしょう?

http://www.doblog.com/weblog/BlogServlet?userid=6093&blogid=82227#82227

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[ 2004/02/29 10:10 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)

祝!10,000アクセス突破 

PCの向こうのみなさん、日頃のご愛顧ありがとうございます。
おかげさまで10,000アクセスを突破することができました!
これからも、末なが~くよろしくお願いしますね。
…あと丁度10,000アクセス目だったかたは、奮って連絡してください。

[ 2004/02/29 00:04 ] その他お知らせ | TB(0) | CM(0)

もうすぐ10,000アクセスです。 

みなさんのおかげで、もうすぐ10,000アクセスに到達します。
そこで、丁度10,000アクセス目を叩き出したかたに、三国志にちなんだプレゼントをします。
基本的には自己申告制です。
「やった!10,000アクセスだ」…なかたは、メールかコメントで連絡してくださいね。


[ 2004/02/28 14:09 ] その他お知らせ | TB(0) | CM(0)

『蒼天航路』30巻出ましたね。 

三国志大スペクタクル劇画(?)『蒼天航路』も、いよいよ30巻目に突入。
劉備、孫権の荊州での冷戦、曹操の漢中制圧、魏王就任、そして曹操、孫権の合肥の戦い…中国大陸を舞台に、東西南北あらゆるところで同時進行的に物語が加速し始めます。
今後の展開、ますます楽しみですね。
…ところで、30巻で気になる人物が出てきたかと思います。
石徳林、またの名を「寒貧」。
ほとんどの読者が、彼を知らなかったのではないでしょうか?
もちろん、私もです。
なので、簡単に彼のことを調べてみました。
石徳林は、『正史』にその存在を刻まれている、実在した人物です。
『魏書』「管寧伝」の一部に、数人の「隠遁者」に関する記述があります。
その当時著名だった「隠遁者」のひとりが、石徳林でした。
若い頃、長安で学者について勉強をしたようですが、とくに「方術(仙人の使う霊妙な術。神仙術)」に興味を示し、その頃から「隠遁」の気が芽生えたようです。
馬超、韓遂らが叛乱を起こした際に難を避けて一時漢中に移り、また曹操の漢中制圧後に長安へ帰還します。
長安帰還後、彼は意図的に人との面会を避け、名を聞かれても答えず、官の招きにも応ぜず、「阿呆」を装うようになり…乞食のような生活を生涯貫きました。
…変わり者ですね、いわゆる。
しかし「変わり者」というだけで片付けるには、疑問が残ります。
このような人物を、『正史』の著者陳寿が何故わざわざ後世に残そうとしたのか?
「隠遁者」の記述に関して陳寿はこう述べています。
「門をとざして閑静を保持し、現世の栄利にあくせくしなかった。だから彼らを付記したのである」
乱世は、上から下まで人間の欲が大放出される時代ともいえます。
そんな時代にあって、異なる価値観(やや老荘的な、当時としてはオルタナティヴな価値観)を生き方で示した人物の存在を、陳寿は残そうとしたのだと思います。
彼らの存在も、また三国時代の豊穣な人間絵巻に華を添えているのだと思います。

[ 2004/02/28 13:39 ] 三国志BOOKS | TB(0) | CM(0)

劉備と劉禅 

随分と日が経ってしまい…スミマセン。
さて、2度あることは3度ある
今回も、劉禅ネタです。
前回は劉禅の「大器」っぷりを記述しました。
この「大器」っぷりは、劉禅の専売特許というよりも、むしろ父たる劉備からDNAレベルで受け継いだものと捉えた方がすんなり理解できそうです。
しかし、同じ「大器」な2人でも、後世の劉備と劉禅への評価には雲泥の差、月とすっぽんくらいの差があります。
劉備がもてはやされ、劉禅がけなされてしまう、その原因に思いを馳せると、2人の「大器」としての性質以外に劉備にはあって、劉禅には足りなかったものがあったのではないか?というところに行き着きます。
劉備にはあって、劉禅には足りなかったもの…それは、劉備自身の不死鳥の如き生命力と意志、さらに「大器」を磨くための研磨剤ともいうべき艱難辛苦、そして「大器」の流行り廃り、つまり時代性(時代のニーズ)などではなかったのでしょうか?
400年に及ぶ旧社会の呪縛から解き放たれた、黄巾の乱勃発から三国鼎立頃までの時代の沸騰感や混沌…
曹操という超絶的マルチプレイヤーの存在が社会に巻き起こした、まるで磁石のNS極のような吸引と反発…
そういった劉備や劉禅自身の能力・性質以外の作用が、劉備という「大器」を天下に向かって押し上げていたのも事実だと思います。
また、それら一連の「物語」が、後世の人たちにも劉備を魅力的に見せて止まない原因になっているんじゃないでしょうか?
…ただ、劉備、劉禅父子を覆おう様々な装飾をひとつひとつ剥いでいくと、最後に残るのは…無垢で悪気のない「本能」のみです。
『蜀書』「先主伝」を捲ると、読書が嫌いで、馬や音楽、華美な服装に凝るという典型的な遊び人気質に溢れていた、若年の頃の劉備の姿が現れます。
またその息子の劉禅も、蜀滅亡後、「皇帝」という肩書きから解放された途端、躊躇なく音楽や酒に溺れます。
本来の気質は、まさにDNAレベルで父子同一。
ただ、劉備を人間的に研磨し、一代で「皇帝」の地位まで押し上げたのは、ひとえに数十年に亘る流浪と艱難辛苦、そして不死鳥の如き生命力と意志。
苦労の少ない劉禅には、純粋にDNAレベルで遺伝されている遊び人的気質(本能)や、「大器」だけが存分に備わっていただけです。
劉禅はその気質や「大器」な性質のみを背負って、三国時代の後半を牽引していた、とっても健気な皇帝だったといえます。
…以上で、劉禅3部作終了です。
果たして読者のみなさんに伝わってますでしょうか?

[ 2004/02/12 00:04 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)

劉禅暗愚説異論 

随分更新が遅れましたが、こんばんは。
前回のBLOGの中でチラッと書きましたが、「劉禅暗愚説」に異論(…というか、別観点)を提示してみたいと思います。
たしかに、蜀皇帝在位40年間で劉禅自身が成した事柄は、ほぼ皆無です。
そして何も成さないまま魏による侵攻を受け、あっけなく降伏。
劉備以下の英傑たちが建国した「蜀」という国家を、劉禅は簡単に手放してしまいました。
そんなこんなで後世でも、例えば「阿斗」といえば暗愚の象徴…とまで言われるようになってしまっています。
…しかし、ちょっと考えてみたいです。
劉禅は本当に暗愚だったのか?劉禅は暗愚と捉えるだけで事足りる人物だったのか?…と。
まがりなりにも、この上なくビミョーな均衡状態のうえに成り立っていた三国時代で、最弱小国家・蜀に40年間に亘って君臨し続け、存続させえた技量やその存在意義をどう判断しますか?
劉禅自身は何ひとつ成しえることもできない、いわば「デキない」人物だったとしても、他の優秀な人材を包容できる「器」だったと捉えるとどうでしょう?
しかも、「器」は「器」でも、蜀という国家が滅するそのときまで、遂に底の知れなかった未知数の「大器」だったとすると…。
無能」な彼はその在位中に、“不世出の名宰相”諸葛亮、“内政のプロフェッショナル”蒋琬、費禕、董允…と稀にみる優秀な家臣に恵まれました。
彼らは劉禅という「器」の中で存分に腕を振るい、蜀の隆盛を支え続けました。
そして、如何に優秀な家臣たちも、決して劉禅という「大器」から溢れることはありませんでした。
重臣や皇族の叛乱や逃亡(亡命)が相次いだ魏・呉と比べても、劉禅という「大器」の底の知れなさを実感します。
しかし、董允死後、著しい人材の枯渇により蜀を支えるに足る家臣が存在しなったとき、「器」であるだけの劉禅が国家を具体的に指導することは望むべくもありませんでした。
さらに、劉禅という「器」の中には、宦官・黄皓など矮小な家臣がお構いなく入ってきて、幅をきかせるようになりました。
ただの「器」にすぎない劉禅は彼らを拒むことなく、諸葛亮等と同様に受け入れ…やがて国家を失うこととなります。
…劉禅という人物を計るとき「暗愚」とか「優秀」とか、そんな尺度は関係ないんです。
私としては、劉禅の個人的能力を超越して、その「器」っぷりを評価したいです。
そのことによって蜀という国家の限界性、国家の盛衰やその背景なんかがより見えてくるように思います。

[ 2004/02/08 00:17 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)

お気楽劉禅の報い 

「この地は楽しく蜀を思い出すことはありません」
…この暴言に、どれだけの「三国志」読者がムカーッ!としたことでしょう。
言うまでもなく、魏に降伏した後、洛陽へ強制的に移住させられた蜀の後主こと劉禅の口から漏れた言葉です。
劉禅はただの暗愚な君主ではなかった…と私は思っているのですが(今回は詳しく触れません)、それにしても数十年に亘るめくるめく英雄譚にドップリと浸かってきた読者にとって、あまりにも胸締め付けられる切ない言葉です。
…さて、この劉禅、男子だけでも少なくとも7人の子どもがいるという子沢山のお父さんでした。
上述したように、洛陽で酒と音楽に囲まれた安穏とした平和な生活をおくっただろう劉禅は、彼なりの幸せな人生を満喫できたのでしょう…が、この劉禅のお気楽人生の報い(?)は、彼の子孫が享受しなくてはいけませんでした。
蜀の降伏から約50年後に起こった「永嘉の乱」(311年頃)。
悲劇は、この大乱で起こりました。
大混乱の中で、劉禅の子孫は根こそぎ、一人残らず絶滅してしまったのです。
ねずみ算式に、結構な人数の子孫がいたはずなんですが…蜀に身命を賭した者の怨みでしょうか?
死して屍拾う者ナシ。

[ 2004/02/03 00:44 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)

デザイン設定変更中… 

「言語」とか一切わからないまま、デザインテンプレートをチョコチョコいじっています。
しばらく色が変だったり、破線と実線が入り混じったりして見にくいかもしれませんが、ご勘弁を…。

[ 2004/02/01 11:32 ] その他お知らせ | TB(0) | CM(0)
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