三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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フリーソフトの三国志ゲーム 

今回は三国志のゲームについて紹介。
三国志のゲームといえば、KOEIの『三國志』シリーズが圧倒的に有名です。
でも、高いんですよね、ソフトが。
10,000円くらいするでしょ?
そこに共感してくれる苦学生、貧乏社会人etc.のみなさんに朗報です。
三国志を舞台とした本格的なシミュレーションゲームを楽しめ、しかもフリーのソフトをNET上で見つけました。
『戦国史』というフリーソフトです。
このソフトのスゴイところはタダであること以上に、シナリオやマップ、武将能力その他を、誰でも編集することができるというところです。
ソフト自体は元々日本の「戦国時代」の設定となっているところを、そのEDIT機能を活かして、別シナリオとして「三国志」をゲーム化している奇特なかたがいます。
かなりマニアックな武将や勢力がいたり、普通に勉強になったりもするので、興味のあるかたはぜひ1度アクセスして遊んでみてください。

戦国シミュレーション『戦国史』
http://www.max.hi-ho.ne.jp/asaka/
シナリオ『中原の覇者~天舞三国志~』
http://mjyoshi.hp.infoseek.co.jp/index.html


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[ 2004/03/27 10:19 ] その他MONO三国志 | TB(0) | CM(0)

孟宗竹 

「孟宗竹」ってご存知ですか?
春頃、ニョッキニョキと土から出始めるときに収穫すれば、「たけのこ」として美味しく食べられる「あれ」です。
ムックムク成長したあとは、民具の材料とかで重宝される「あれ」でもあります。
なんで「孟宗竹」のお話をしているかというと、勿論三国志に関係があるからです。
三国志の世界に、「孟宗竹」の由来となった人物がいます。
それは、呉の国の、その名も孟宗(孟仁)、字を恭武といいます。
彼は、呉において司空(「三公」と呼ばれる最高位のひとつ)にまで登りつめた偉才であり、かつ異常なまでの孝行息子でした。
「孟宗竹」の由来となるお話は、この孝行っぷりが発端です。
…孟宗のお母さんは、無類のたけのこ好きでした。
このお母さん、あんまりにもたけのこが好きなもので、春が旬のたけのこをついつい初冬に食べたくなってしまいました。
無性に食べたくて仕方ありません。
そこで、孟宗は寒い中を竹林に分け入って、竹の根元で「頼むからたけのこちゃん、顔を出してくれ!」と哀願したのです。
すると、どうでしょう!たけのこちゃんがニョッキニョキと生えてくるではないですか?
孟宗は「しめた!」とばかりに掘り出して、大好きなお母さんにたけのこを食べさせることができました。
当時の人たちはこの珍事に対して「さすが親孝行の孟宗。孟宗の孝行っぷりに、きっとたけのこが応えてくれたんだよ」と、噂をしあったということです。
…とまあ、そんなこんなで「孟宗竹」と呼ばれるようになったそうです。
「へぇ~」って感じですね。

[ 2004/03/21 00:40 ] トリビア三国志 | TB(0) | CM(0)

孫権の後継者問題 

前回「悪の華」とも関わりがあり、呉衰亡の根っこにあった孫権の後継者問題について、今回は書きます。
内容としては、私が参加させてもらっている「三国志愛好会」MLの内容を、やや改訂したものです。
「孫権は若いときは優秀だったよねぇ…赤壁の戦いに至った決断とかは秀逸だね。だけど、下手に長生きしてしまったからか、はたまた年をとってボケてしまったからか、晩年は後継者候補を寵愛の度合いによって次々変えるという失態を演じ、挙句の果てに陸遜他の有為な人材を多数失ってしまった…だから、あんまり評価が良くないよね」…と、そんな発言や文章をよく目にします。
でも、人間の性質が年齢によってコロコロ変わるとは、私は思えません。
また、人間の性質の変化で事象に理由付けをすると、そこで因果関係などを追求するための思考が停止するので…あんまり好きじゃないです。
ということで、私なりに孫権の後継者問題について考えてみます。
この後継者問題での孫権の態度は、仮にも「一代の英傑」たる孫権に何らかの思惑があった政治的な行動の結果だったのではないか?と疑っています。

結論から言うと、「呉の四姓」を中心とした地元豪族のパワーバランスをコントロールするために、孫権が自身の後継者問題をも利用しようとしたんじゃないか?
…そして、思惑を超えた大混乱を結果として巻き起こしてしまい、孫権が自身で収拾をつけることができなくなってしまったんではないか?…と思っています。

家柄がそんなによくない孫氏率いる「呉」は、孫堅の代から常に地元豪族の名声を利用しつつ、かつ牽制しつつ、微妙なパワーバランスのうえで成り立っていた地方政権でした。
呉、揚州で大きな名声を博していた張、陸、朱、顧の「呉の四姓」、とくに陸氏、顧氏の両氏は孫権政権内でも丞相に就くなど、陸遜、顧雍を中心として、皇帝自身に匹敵せんばかりの勢力を有していました。
彼らは、年齢的な序列でいうと「正統」な孫和を擁立していました。
一方、歩隲(孫権の歩夫人と同族)、全琮(歩夫人の娘・全公主の夫)、呂岱(歩夫人の娘・朱公主の前夫・劉纂の統括者)といった、歩夫人やその娘・全公主を中心とした孫呉内部の「新興勢力」が存在していました。
彼らは元々仲の悪かった王夫人とその息子・孫和系の勢力が、さらに強大になることを恐れました。
そこで、孫権に取り入るとともに、自尊心旺盛な孫覇(ただし、歩夫人の血縁ではない)に肩入れし、孫和系の勢力との対立を深めていました。

この政権内の対立に目をつけたのが、誰あろう孫権その人でした。
後継者問題を軸に表面化した勢力抗争を利用して、陸氏、顧氏ら「既存勢力」の力を削ることを図り、結果として皇帝としての孫氏の基盤をより磐石なものにしようとしました。
この後継者問題は、孫和、孫覇ともに廃され、結局末子の孫亮が2代目になるという顛末に及ぶのですが、その過程で「既存勢力」の親玉格であった陸遜が憤死し、顧雍は一族もろとも流刑に処されます。

…わたしたち後世の人間にとっては、感情的に陸遜の死をどうしても悲劇的に受け取りです。
しかし当時既に老齢の域に入り、保守勢力の親玉格になっていた陸遜の存在が、孫権自身にとっては新進気鋭の人材育成を妨げ、かつ言うがままにコントロールできない目の上のタンコブと受け取られていても、それは不思議じゃなかった気もします。

一方、孫覇に肩入れした「新興勢力」は枝葉の人物が処分されたのみでした。
全氏は以後一族が立て続けに侯に列せられるなどの厚遇を受けたりと、後継者問題以後も一時的に勢力を伸張させます。
元々孫覇とは血縁的つながりがなかったこと、また代わりに擁立された孫亮が、全琮の血縁である全尚の娘を夫人としていたことから、勢力的な打撃はほぼなかったと言えます。

孫権自身が後継者問題に白黒をつける以前に逝去したので、収拾が半ばうやむやになってしまったことが、孫権死後も政権内抗争が恒常化してしまうことを導き、呉を自滅に追い込んでしまった原因になったのです。
策士(寝業師)的な一面をもつ孫権が、後継者問題をも策として利用しようとし、結局策に溺れた…ともいえるのではないでしょうか?


[ 2004/03/14 08:43 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)

悪の華 

最近、『正史』「呉書」を読んでいるのですが、呉の末路は人間の欲望がドロドロしていて気分が悪くなりますね。
同じ末期症状でも、呉が魏蜀と異なるところは、宮廷内の政争が延々果てしなく続くことでしょうか。
とにかく皇族(孫氏)を中心として、外戚や佞臣、諫言を厭わない忠臣すらも巻き込んだ謀略、殺戮の渦渦渦…目を覆いたくなるほどです。
そんな中で一際異彩を放っているのが、孫権の娘・孫魯班。
名臣・全琮に嫁いだため、別名「全公主」ともいいます。
彼女が、前代未聞の悪女なのです。
悪行の数々をザックリと列挙すると…
★皇帝・孫権の寵愛を受けた王夫人の悪口をことあるごとに孫権に吹き込み、太子・孫和失脚の遠因を作る。
★一時は太子に立てられもした孫和(前述「王夫人」の息子)を、孫和のお嫁さんもろとも自害に追い込む。
★共謀して悪事を重ねてきた妹・朱公主(孫魯育)を、仲違いの末に死に追いやる。
★朱公主を殺しただけでは済まず、その息子2人(朱熊、朱損)をも濡れ衣を着せて殺害。
★夫の従兄・全尚の一族に高位を与えまくり…しかし、全尚の血脈の多くは魏に寝返り、呉の軍事力に大きな打撃を与えた。
…などなど、呉末期にとんでもない悪の華が咲いたものです。
ただ、考えようによっては、むさ苦しいほど男主導の社会で展開される「三国志」の中で、それがたとえ「負」であろうと積極的に活動した女性としては特筆に値すると思います。
まだまだ気になる女性なので、このBLOGには今後もチラホラ登場するかもしれませんが、よろしく。

[ 2004/03/10 00:14 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)

『蒼天航路』考~李學仁、王欣太2人の『蒼天航路』~ 

横山光輝版『三国志』全60巻も壮観だったけど、『蒼天航路』もまたホントに凄まじい作品だと思います。
人間の内面を激しく、えぐるように、しかも一人ひとり丹念に描写している稀有な作品です。
「ネオ三国志」とはよく言ったもんで、曹操を物語の中心に据えつつも、同時代の人物、思想、事象etc.が虚飾なくふんだんに盛り込まれ、毎回新発見ばっかりです。
ドキムネの連続。
君に、胸キュン。
…さて、『蒼天航路』といえば、原案を李學仁が、漫画を王欣太が担当し協同するというスタイルで紡ぎ出されていた作品です。
「紡ぎ出されていた」と過去形なのは、原案を担当していた李學仁が1998年に急逝したので、それ以降は王欣太のひとり作業になったため…そう書きました。
これまで30巻が刊行されていますが、李學仁の逝去は15巻前後の「官渡の戦い」開始直後だったそうです。
何が言いたいかというと、李學仁の生前生後で『蒼天航路』の描かれ方が微妙に異なっているなぁ…と感じるということです。
原案者が異なるから当然といえば当然ですが…一言でザックリと表現すると、李學仁の『蒼天航路』は「フィクション」、王欣太の『蒼天航路』は「ノンフィクション」。
李學仁は、爆裂団、張奐(同名の人物はいるけれど、曹操に仕えたとかそういった事実はない)といった実在しない人物たちを多数登場させる「想像力」を武器に、『正史』において記述の少ない曹操の青年期を豊かに表現しています。
また、董卓の存在に対する解釈や、袁紹の奇天烈極まりない「王道主義」なんか…フィクションに限りなく近く、しかし『正史』への依拠から飛び出さない絶妙な表現は、彼ならでは!な感じです。
一方、王欣太の『蒼天航路』は、『正史』を隅から隅まで丹念に調べ尽くし、これまで「三国志マニア」しか知らなかったような人物たちにも、愛でるように生命を吹き込む…そんな表現が特徴だと思います。
そこにはフィクションや想像力よりも、『正史』をどこまでも貪り尽くし、そして産まれる小さな結晶を大切に描写するノンフィクションな姿勢が強く現れています。
合肥の劉馥、涼州の張既なんかが好例です。
…評論家めいて、馬鹿馬鹿しい文章になりましたが、今後も『蒼天航路』は楽しみで仕方がない、ということです。
以上!

[ 2004/03/01 00:13 ] 三国志BOOKS | TB(0) | CM(0)

伴野朗氏、死去 

孫家3代に光を当てた新解釈三国志小説『呉・三国志』で著名な伴野朗氏が、2月27日他界されました…。
新聞の訃報欄で目にしたとき、あまりの驚きで、声をあげてしまいました。
私が伴野氏の小説に初めて出会ったのは、10年くらい前。
『大遠征』(集英社刊)という文庫で、三国志ではないけれど、班超という後漢期の英雄の物語です。
史実に拠りつつも、奔放な想像力で躍動的に描かれた内容に、胸躍った記憶があります。
その後『朱龍賦』(徳間書店刊)なんかも読みました。
…そして、つい最近『呉・三国志』を読み始めたところで、接した突然の訃報。
まだ60代…小説家としては、これからますます円熟味が増していくだろうという時期…。
心からお悔やみ申し上げます。

[ 2004/03/01 00:10 ] その他お知らせ | TB(0) | CM(0)
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