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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

第1回「三国志漂流」アンケート実施 

あなたの一票が、三国志の常識を覆すかも!?です。
アンケート入力フォームはこちらです。
↑コチラ終了しました。分析結果報告をお待ちください。

このBLOGを閲覧していただいているみなさんに、アンケートへのご協力をお願いします。
第1回のテーマは、「『三国志』であなたの贔屓は魏?呉?蜀?」。
某アンケートサイトで合計14件しか回答がなかったため、改めて調査を実施します。
実施期間は、10/29(金)~11/5(金)になります。
調査結果は分析のうえ、このBLOGで報告をいたしますので乞うご期待!
よろしくお願いします。

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[ 2004/10/29 08:28 ] 三国志調査 | TB(0) | CM(0)

「三国志」であなたの贔屓は魏?呉?蜀? 

また、興味本位で新ジャンルを作ってみました。
その名も、「三国志調査」。
内容はというと、このBLOGや、他のアンケートサイトなどでWEB調査を実施。
その結果から見えてくる出来立てホヤホヤのDATAを分析したりしてみようかなぁ…というものです。
調査とか分析とかの真似事ですが、事実BASEで結構面白いことが見えてくるかもしれませんよ。

…ということで、早速某無料アンケートサイトで、タイトルのような調査を実施してみました。
このBLOGを訪問してくれるような、ある程度「三国志」に興味関心があるかただけでなく、より幅広く一般の方々の意識をまず知りたかったので、こっそりと実施したのです。
実施日は10/20~27の約1週間だったのですが、最終回収数が14件と非常に頼りない結果に終わりました。
ま、仕方ないので、とりあえずちょっと見てみましょう。

--【結論】
[ 2004/10/28 01:12 ] 三国志調査 | TB(0) | CM(7)

荀彧~興福寺・木造無著立像 

恐ろしい程長いブランクの後の第2回目を飾るのは、奈良県興福寺にお住まいの無著立像さん。
運慶作(正確には運慶指導の元で「運助」という仏師が製作)の“日本彫刻史上最高傑作”と評される木像です。
運慶といえば、東大寺南大門とか『GANTZ-ガンツ-』で知られている金剛力士立像(阿吽のヤツ)で有名ですね。

…まぁ、まずは見てください!
何ともコトバにしがたいような、潤んだ瞳。
水晶を埋め込んだ瞳なんですが…それにしても、木像の瞳とは思えません。

己が信じるひとつの「真理」に向かって、飽くなき前進を示す者として…内面から次から次へと込み上げてくる、etc.人間の持つあらゆる感情をグッと堪えて腹の奥底に矯めて、歩む…全ての事象を透察できる稀有な人間でありながら、それでも世俗の人間との関係性を捨てたりなんかしないことから生まれる苦悩…そんな様々な内面性を想起させる、深い、深~い眼差し。

もしくは、「…ばかっ!」とか発する前の女性の瞳みたいです(もろドラマの影響、妄想100%でスンマセン)。

完全にもってかれてしまいました…私は、この瞳に。
目は口ほどにモノを言う。

この瞳、眼差しから思い描かれる人物は、荀彧以外にないと思います。
「王佐の才(王者を補佐する才能)」と若い頃からその才能を讃えられ、曹操幕下で比類ない功績を打ちたて続けた男。
曹操を通して天下を睥睨しつつ、しかし同時に末期症状の後漢朝、とくに「天子」への揺ぎ無い忠誠心を抱きつつ、最後には曹操と「天子」の狭間で命を落とすことになる男。
「王佐の才」は、曹操に注がれたのか?「天子」に注がれたのか?
真実は、約1800年前の荀彧の胸の中にあります。
ただ、2人の「王」の狭間で揺れた荀彧の眼差しは、この無著立像と同様の深いものであっただろうことを想像するのみです。

ちなみに、「木造無著立像」が掲げ持つ「器」は、荀彧が死の前に曹操から賜ったという「空っぽの器」に見立てることができます。
憂。



--【「木造無著立像」の豆知識】
[ 2004/10/26 22:47 ] 仏像見立て三国志 | TB(0) | CM(1)

関羽が人妻に横恋慕!~後日談中編・杜氏~ 

随分日が開きましたが、「関羽の横恋慕話」後日談中編です。
今回は、関羽の大失恋の相手・杜氏の後日談。
電撃的な横槍で、曹操の側室となってしまった杜氏ですが、その後、曹操の寵愛を受け、皇后に次ぐ序列である「夫人」に列せられることになります。
女性としては、「出世」したといっても過言じゃないですね。
いわゆる「玉の輿」に乗ったってやつです。

さて、杜氏には、前夫・秦宜禄との間に儲けていた子どもが1人いました。
秦朗、字を元明といいます。
秦朗は連れ子にも関わらず、曹操に大層可愛がられます。
同じ連れ子仲間の何晏(後漢朝末に大将軍となった何進の孫)とは対照的に、秦朗は謙虚な性格かつ無為無能な人物だったようです。
そのおかげか、曹操の孫・曹叡の時代には大変重用されました。
秦朗が曹叡という権力者にとって「無害」な存在だったゆえに、逆に重用されたのかもしれません。
一世を風靡することになった秦朗も、曹叡死後に失脚するのですが、その子・秦秀は晋代において『晋書』に名を残す程度に出世をしています。

また、連れ子の秦朗以外にも、杜氏は曹操との間に曹林、曹袞という子を儲けます。
杜氏自身、沛王・曹林の母ということで「沛王太妃」と呼ばれることになり、一定の権勢を誇っていたようです。
三国時代の女性は、「勝ち組」の男性と結ばれることで、より「幸せ」を享受することができ、またその男性の子を産むことで「幸せ」の期間を保つことができる…これが当時の暗黙知。
だとすると、杜氏は大乱世において、権力者たる一族・曹氏の庇護の下で「女性の幸せ」を十分満喫できる人生を送ることができたのでは?と思うのです。

前夫の秦宜禄は、ふとしたことであっけなく張飛に斬殺され…
熱烈な求愛を示した関羽も、乱世の濁流に揉まれた末に塩漬けの白髪首ひとつとなり…
杜氏は、秦宜禄の死、関羽の死を、どのように受け止めたのでしょうか?
杜氏自身の記述はとても少ないです。
ただ、息子・曹袞がとくに「平素より敬虔で慎み深い」と評されていることから、母親である杜氏自身も慎み深い性格だったのではないかと思われます。
秦宜禄、関羽の死に対しても、若かりし頃を思ってそっと心で手を合わせる…そんな心境だったのではないか、と男である私は願望も交えてそう思うのです。

[ 2004/10/24 01:05 ] トリビア三国志 | TB(0) | CM(0)

『三国志漂流』、復活します。 

3か月にも亘る無更新、申し訳ございませんでした。
現実の仕事がモーレツに忙しく、心を亡くしていました。
これから、また1週間に数回ペースで更新していきますので、すっかりこのサイトの存在を忘れていたかた、愛想をつかされたかた、また初めて来られるかたもよろしくお願いします!

[ 2004/10/23 10:21 ] その他お知らせ | TB(0) | CM(1)
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