三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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『コミック三国志マガジン』創刊! 

昨日、会社帰りに「カレーショップC&C」でお気に入りの「ソフトエッグ on the 温野菜カレー(600円)」に舌鼓を打った後、本屋さんへ寄ってみました。
すると、『コミック三国志マガジン』(メディアファクトリー刊)出てるじゃないですか!?
以前の記事でもチラッと書いていたんですが、
世界初!三国志専門コミック誌
らしいので、ワクワクしながら購入しました。

目玉は、いきなり5速発進!110Pにも及ぶ連載漫画『火鳳燎原』(陳某)。
台湾でメチャクチャ人気の三国志漫画だそうですが…確かに、物語の創作性と画力は相当なもので、読み応えありましたよ。
なんだか司馬懿が主人公のようで、その辺も大変珍しく新鮮です。
ストーリーとしては、『龍狼伝』(山原義人/講談社コミックス)で人外的存在として異色を放つ「虎豹騎」ばりの架空人物なんかも織り交ぜながら、ダイナミックに進んでいきそうです。
ちなみに物語の隅々から察して、作者の陳某は、おそらくMです。間違いない。

他にも趙雲、曹操、禰衡etc.が主人公の漫画盛り沢山で、同人誌的香りが強めのコミック誌だなぁ…というのが私の感想です。
次号は3/28(月)発売で、「天下三分之計号」です。
「蒼天已死号」の次はいきなり「天下三分之計号」ですか…もしや短命コミック誌??


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[ 2005/01/29 10:49 ] 三国志BOOKS | TB(0) | CM(0)

イエローキャブの趙嫗で→す! ~そして伝説へ~ 

私、先週末に今冬初のスノボを満喫してきたのですが…
みなさん、「2割増しの法則」ってご存知ですか?
スキー場では雪やらウェアやらの影響で、異性が2割増しでステキに見えるという、恋愛の教科書に掲載されている法則です。
んー…ときめきたいったらありゃしねえ!
こんにちは、USHISUKEです。
前回初登場の趙嫗(イエローキャブ所属)について、主に
『物語ヴェトナムの歴史』(小倉貞男著/中公新書ワイド版)
をタネ本にして書き連ねていきます。

趙嫗は、ヴェトナムの人民に「バ・チュウ(チュウ夫人)」として今でも敬愛されている有名人。
40年に大規模な叛乱を起こし、後漢朝より一時的な独立を果たした徴姉妹(ハイ・バ・チュン)に次ぐほど広く知られている女傑だそうです。
そんな趙嫗が、兵を挙げ叛乱を起こしたのは23歳のとき。
「嵐に乗って、海のサメを殺し、侵略者を蹴散らかし、祖国を復活し、民衆を農奴のくびきから解き放つ。侵略者のいいなりにはならない!」
と、なぜ侵略者(孫呉)を蹴散らす前にサメを殺しにいくのか謎は残りますが…兎にも角にも声高に宣言するや、自ら戦場に向かいました。
黄色の衣を身に纏った趙嫗は、数十?ものなが~い乳房を肩に背負い(!)、巨象に跨って戦場を疾駆し、九真に駐屯する呉軍を次々に撃破。
その様は、戦場に舞い降りた死の天使…戦慄した呉軍の兵士は「麗海婆王」と呼び恐懼します。
しかし、陸胤が鎮圧軍として赴任するや、趙嫗の快進撃もピタッと停止。
陸胤率いる鎮圧軍と趙嫗率いる叛乱軍との数か月に亘る激戦の末に趙嫗は敗れ、遂に殺されてしまいます…南無。

約1,750年を経て現代までも伝わる、巨乳女将(「おかみ」ではなく「じょしょう」ですよ)・趙嫗(バ・チュウ)の叛乱…その歴史的な意義とは?
それは、趙嫗の叛乱がヴェトナムで女性が率いた最後の叛乱であり、そのことはとりもなおさずヴェトナムの土着的な女系社会が、中華圏的な男系社会に飲み込まれていく過程で起こった事件であることを表しています。
儒教が覆い尽くす中華圏は、その家父長制的なバックグラウンドにより、自ずと男系社会を構築します。
次第に中華圏の勢力や文化、文明に侵食される祖国の国土と文化を憂う、ひとりの健気な女性。
その姿にどの時代のヴェトナム人民も共感を覚え、趙嫗の自立的な精神に敬意を示してきたのではないでしょうか?

ハノイやホーチミンには「バ・チュウ通り」「バ・チュウ市場」など、今でも趙嫗を偲ぶ名称がアチコチに残っているそうです。
私は未だヴェトナムへの渡航経験がないので、機会があればバ・チュウの残り香を追ってヴェトナムに上陸したいと思っています。


[ 2005/01/25 01:48 ] 辺境三国志 | TB(0) | CM(0)

イエローキャブの趙嫗で→す! ~スター誕生~ 

諸行無常の響きあり…ただ春の夜の夢の如し…
今回は士燮の半独立国家が滅んだ後の、お話。

士燮による40数年の長きに亘る治世下で、比較的安定した時期を過ごしていた交州。
しかし、226年、士燮の大往生を機にあっという間に半独立国家が滅んでしまって以降、孫呉支配期には度々擾乱、叛乱が散見されるようになります。

赤烏11年(248)、交趾や九真の異民族の不穏分子が城邑に攻撃を加えこれを占領すると、交州全体が混乱状態におちいった。(『呉書』「陸凱伝」)

一部の城邑が占領されるという事態にまで至った交州の叛乱は、しかし交州刺史・陸胤により鎮圧されてしまいます。
さすが「呉の四姓」の名門・陸氏出身の陸胤。
その名に恥じない良将っぷり。
ただ、この叛乱、ちょっと掘ってみると…おや、キャラの濃い人物が顔を覗かせてくれました。
248年の叛乱に関するやや詳しい内容が、『三國志集解』(廬弼撰/藝文印書館刊)の同じ箇所に「」として記されています。
ちなみに『三國志集解』は、1936年という比較的新しい時代に廬弼という人によって編集された三国志本。
裴松之によって注釈をつけられた陳寿の『正史』に、さらに多くの注釈を追加した「超注釈本」って感じの書籍です。
邦訳版が未だ存在せず、私が所有しているのは台湾の出版物なので、高校時代の退屈な授業さながらの漢文読み下しが必須。
そんな書籍から、漢文の素養のない私がかろうじて読み取れる文章には…

趙嫗は、九真郡車安県の女性。乳房の長さが数尺あった。嫁ぐことなく山中に入り、群盗を聚めて、遂に郡を攻めた。(『呉書』「陸凱伝」)
…とあり、248年の叛乱の立役者は「趙嫗」という女性であったことがわかります。
「男祭り3594」な世界では大変珍しい、「武」の薫りがする女性。
しかも…世界ビックリ人間大登場!
趙嫗は、目を疑いたくなるほどの巨乳の持ち主!
当時の寸法だと1尺=約24cmらしいので、「数尺」ってことは…それはもう尋常な大きさの乳房じゃありませんよ。
元イエローキャブの野田社長も、あんぐり。

半ば興奮状態のまま、次回へ続く!!


[ 2005/01/22 10:43 ] 辺境三国志 | TB(0) | CM(1)

東南アジア的士燮論 ~後編~ 

「サンボマスター」「銀杏BOYZ」の新譜を買い漁り、モッシュさながらの熱気に包まれて書いています…性春クソ喰らえ!USHISUKEです。
さて、前回の続きです。
豊穣なる地かつ南海交易の拠点・紅河デルタを中心として、後漢末の荒波を巧みな舵取りで渉り続けた士燮の半独立国家。
さらに、士燮の活動をヒデ中田よろしく俯瞰で眺めてみると…東南アジアにおいて、1世紀以降という国家群が芽吹き始める時期との関連性が、ムズムズと気になってきます。
当時の東南アジアに興っていた国家群を概略的に記すと…

★現ミャンマーを流れるエーヤワディー川域には、上流域に「驃(ピュー)」が、下流域に「撣(タトゥン)」が勃興。
→ミャンマーと交州…一見関係ないように見えますが、紀元前より雲南地方と紅河デルタ地帯とは紅河を通じて往来があったとのこと。
エーヤワディー川を遡って蜀に至るルートとともに、さらに南シナ海へ抜けるルートも考えられるでしょう。
★192年に交州の最南端・日南郡の地方役人・区連(区隣、区達、区逵とも)の叛乱によって興った「林邑(チャンパ王国)」。
★229年頃、孫呉が朱応、康泰という人物を使節として派遣したという、南ヴェトナム&カンボジア一帯に勢力を張った「扶南」。

…いずれも1、2世紀に興り、中華圏で三国時代に当たる時期にも勢力を伸張させ続けた国家群。
各国家が後漢朝のたがの緩みを利用して頭をもたげ、かつ陸路、海路を通じて北方の中華圏と接触を持ち、文明の流入を図っていたことは、想像に難くないです。
これら東南アジア国家群を地図に置いてみると…中華圏との交易ルートの首根っこを押さえているのは、紛れもなく士燮率いる半独立国家。
紅河デルタの国際色豊かな様は、次のような文章にも見出せます。

彼の乗る馬車の左右につき従って香を焚く胡人がいつも数十人ほどいた。…いつも献上される種々の香や目の細かい葛布が数千という数にのぼり、明珠(真珠)・大貝・瑠璃・翡翠・瑇瑁、犀の角や象牙などの珍品、見たことのないような物や珍奇な果物、芭蕉(バナナ)や椰子や龍眼といった類が、呉にもたらされぬ歳とてなかった。(『呉書』「士燮伝」)

「胡人」とは通常「西方の異人」を指すので、おそらくインド人やアラブ人…ひょっとしたらローマ人だったかもです。
後漢末以降の大乱世の中で長期政権を維持できた辣腕ぶり、雲南地方で起こった雍ガイの叛乱の際に、孫呉と叛乱軍のブローカーを務めた抜け目なさが示すように、独特の政治・外交に関する嗅覚と図々しいまでのバランス感覚を持っていただろう士燮。
東南アジアから中華圏への玄関口のような地勢を活かして、巧みに成した東南アジア、そしてその背後に広がるインド、中近東、ヨーロッパとの交易も、士燮は自らの半独立国家に寄与させたことでしょう。

2回に亘ってご紹介してきましたが、士燮…私は、買い被りでしょうか?

[ 2005/01/19 02:25 ] 辺境三国志 | TB(0) | CM(0)

東南アジア的士燮論 ~前編~ 

私が勤める会社には、なかなか立派な図書館があります。
その図書館で借りて読んだ
『新版世界各国史5 東南アジア史?』(石井米雄・桜井由躬雄編/山川出版社刊)
…思いの外グイグイ引き込まれる内容でした。
東南アジア古代史への関心は、高校の世界史でマーカーすら引いたことないレベルだったんですが…中華圏との関係性が想像以上に密接で、中華圏に対して化学反応みたいな動きをピクピク示し、その様がなんとも愛らしいです。
そしてまた、中華圏で三国時代に当たる時期の東南アジア史が熱いんですね。

キーパーソンは、久しぶりの登場になる士燮。
士燮ってホント不思議な人物。
士燮のことを根堀り葉掘り知りたくなっちゃう…この気持ちって…もしかしてラヴってるのかも。
と、またしても前置きが長くなっていますが、今回と次回は地政学的な切り口で、東南アジアという視座において士燮を舐め回してみます。

交趾郡の郡都・龍編(現ヴェトナム・ハノイ近辺)のある一帯は、「紅河デルタ」という前2000年頃からいくつもの文明を培ってきた豊穣の地。
交趾太守に赴任した2世紀後半から226年まで、この豊穣の地を中心に半独立国家を維持し続けた士燮。
その繁栄は、肥沃な紅河デルタがもたらす豊富な農産物と、南海貿易の独占がもたらす莫大な交易品によって成立していたようです。
士燮の居城だったという「ルイラウ」の史跡からは、城内まで水路を引き入れていたことがわかるそうです。
彼の人並みでない政治力が垣間見られますね。
そんな彼の支配領域は、現在のヴェトナム・フエ周辺から中国・広州一帯に及ぶ広大なものでした。
士燮が築いた半独立国家は、中華圏から捉えると辺境の一地方豪族として過小評価されてしまいがちです。
しかし、東南アジアから捉えてみると、当時最先端の文明圏の最も近くに居座る、良くも悪くも存在感の大きな影響者。
例えば現代ヴェトナムでは、士燮のことが「シーニエップ(シーティェップ、シ・ヒエップとも)」として歴史なんかに登場するそうです。
士燮は、その治世において原住民である越人に学問を奨励したりしたので、ヴェトナムには彼のために「南交学祖」「士王」という尊称まであるそうです。

携帯版『三國志』では、シナリオ1で政治力54…とパッとしない評価を与えらていていも、事実として並々ならぬ影響力を後世に残している士燮。
次回ではヴェトナム北部から東南アジアまで視座を広げて、さらに士燮に突っ込んでいきます。

[ 2005/01/17 00:14 ] 辺境三国志 | TB(0) | CM(0)

フリーオンラインゲーム『三国志NET』 

ちょっとばかり新年の模様替えをしてみようかと思い…タイトルにアニメGIFを導入してみました。
さて今日は、オンラインゲームのご紹介です。
しかも
フリー!
無料!!
タダ!!!
ロハ!!!!
な三国志ゲーム。
ネーミングも直球勝負の『三国志NET』。
複数のプレイヤーがオンタイムで参加し、君主となり、軍師となり、将軍となり…属する国を天下統一に導くという王道的なシステムのゲームです。
ただし、KOEI『三国志』シリーズみたいな史実武将は1mmもおらず、全員がいわゆる架空武将。
なので、三国志自体というよりもその世界観を愉しむ戦国シミュレーションゲームといった感じでしょうか。

「●国指令:1月15日の22時から××国へ侵攻!」

といった君主さまの号令一下、各自「おりゃぁああぁ!」と攻め込んで城を落としてみたり、閑なときはチャットルームを覗いてみたり…始めたばかりですが、けっこう面白いですよ。

この『三国志NET』はプログラム配布型(?)のゲームらしく、NET上にそれぞれ独自に改良を加えた『三国志NET』が散在しています。
私は、↓の『三国志NET』でPLAY中です。
http://www.coco.sakura.ne.jp/sangokunet1/index.cgi
よろしければお試しください。
また、経験者のかたや丁度PLAY中のかたがいましたら、URLとか教えてください。

『三国志NET』制作者maccyuさんのサイト
http://game1.openspc2.org/~maccyu/game/


[ 2005/01/15 06:31 ] その他MONO三国志 | TB(0) | CM(2)

『TVBros』1/8号で三国志特集 

今回は情報共有です。
3連休の最終日、iPodminiを購入しました。
発売から約半年…外はCMや広告の大軍に晒され続け、内は物欲という名の叛乱分子に突き上げられ、決死の籠城戦を試みていたのですが、遂におサイフ開城。
ある意味すがすがしい気持ちで帰宅する途中、ふと駅のキオスクを覗いてみたところ…『TVBros』の表紙に「三国志」の3文字を発見。
気になって購入したのですが、6Pぶち抜きの特集をやっているじゃありませんか。
タイトルは、「ヨン様よりも三國志(3594)様!!」。
…ミーハーしかもやや時代遅れ気味なタイトルに、しょんぼりな気持ちになりかけたのですが、読んでみるとそれなりに知らなかった情報も結構ありました。

★1月末『コミック三国志マガジン』(メディアファクトリー)創刊
「世界初!三国志専門コミック誌登場」が売り文句。
台湾No.1ヒット『火鳳燎原』という三国志漫画が連載されるということもあって、話題性高そうですね。

北陸製菓「海洋堂三国志フィギュアコレクション」の第弐集、3月発売予定
『人形劇三国志』のあの人形たちを、恐るべき高さの完成度で食玩にしてしまったコレクションの第弐集。
長いこと待ち侘びていたのですが、いよいよリリースされるようです。
ラインナップは曹操、周瑜、呂布、諸葛亮、関羽(諸葛亮と関羽は第壱集と別バージョン)らしいです。
呂布のもみ上げの再現度に期待!

★漫画『キャバクラ三国志』??
R指定必至の濃い~雑誌『ウラBUBKA』2004年7、8月号に連載されていたという『キャバクラ三国志』。
蜀国商事の劉備専務が主人公の、歴史に学ぶキャバクラ攻略術解説漫画らしいです。
「好淫賊」「桃艶の誓い」etc.徹底してパロっている模様(…他にもあるけれど悪書追放推進BLOGの『三国志漂流』ではとても書けません)。
しかも「横山光輝先生追悼企画」と銘打っていたらしく…死体に鞭打つ暴虐無人な乱行な感じもしますが、興味は尽きず。
8月号(『キャバクラ三国志』後編収録)は何とか購入できそうなので、追って報告しますが、既に読んだことがあるかたいらっしゃったらどうかコメントを。


[ 2005/01/10 23:07 ] その他お知らせ | TB(0) | CM(1)

モバイル連弩「元戎」 

昨日は、天下の東大で特別講座を受講してきましたよ(タダだったから)。
ケータイなどのメディアと子どもの関係性について、興味深い内容をいろいろ聞けました。
「パソコンでもメールってできるんだ」
これが、現代の小中学生のリアル。
彼らのインターネット初体験はケータイから、というから、そこにはインターネットの歴史を実体験してきた大人との感覚のズレが、明らかにあります。
ケータイというモバイルツールが変える子どもの環境…想像以上に大きな変動が起こっているようです。

モバイルといえば、三国時代に発明されたモバイルツールがありますね。
諸葛亮が考案したモバイル連弩「元戎」です。
連弩には、複数の矢を連続して発射できる「連発式」と、同時に複数の矢を発射できる「多発式」とがあります。
連弩自体は、連発式も多発式も戦国時代(BC403頃~221)には考案されていました。
しかし、いずれも多人数で使用するような規模の大きな弩(床子弩)だったようです。
このような既製の連弩に対して
★個人の使用が可能(連弩部隊の編成が可能)
★持ち運びが便利
というモバイル機能を重視して、諸葛亮により改良が加えられて完成したのが「元戎」でした。
『正史』に曰く…

連発の弩を工夫し、これを元戎と名づけ、鉄の矢を作り、矢の長さは八寸(約18.4?)、1つの弩で10本の矢が同時に発射されるようにした。(『蜀書』「諸葛亮伝」)

わずか20?にも満たない矢の長さからも、元戎のコンパクトさが想像できます。
元戎は、貫通力や射程距離では大型の連弩や通常の弩よりも劣っていたかもしれませんが、魏の誇る機動性抜群の騎兵への効果では勝っていたかもしれません。
弩も大型連弩も元戎も、それぞれ一長一短。
目的に応じた使い方をすれば、それぞれに応じた効果が期待できたはず。
最初の話に戻りますが、子どもとケータイについても同様のことが言えるし、物事はすべてそんな感じだと思いますよ、私は。

[ 2005/01/09 01:27 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)

三国志はじめて物語 ~東洋法学の父・衛覬~ 

今回は、「塩と三国志」の第4回でチラ出した衛覬について。
私は三国志に限らず調べものをする際、まずNETでの気楽な検索から始めます。
衛覬についてもまずいつも通り鼻をほじりながらGoogle検索をしてみると、電子図書館にある
『法窓夜話』(穂積陳重著)
という書籍に突き当たりました。
私は学生時代に法律をちょっぴり齧っていたりもしたので、「穂積陳重」の名が「民法の祖」という尊称とともに脳ミソの片隅からひょっこり顔を出しました。
気になったのでちょっと読んでみると

律学博士なるものは、この衛覬の建議によって始めて置かれたものであるという。
とあります。
あらま、偶然。
三国時代の塩政を調べていて引っかかった衛覬が、法学面でも釣れちゃいました。
『魏書』「衛覬伝」や『晋書』「刑法志」によると、229年、魏帝・曹叡に対する衛覬の上奏により「律博士(=法学博士)」が新設されました。
法学を体系的に研究しかつ教授する公的な官職としては、中国初…らしいです。
当時の法律は
26,272条
7,730,000余言
に及ぶ膨大な文言で構成されていた模様。
こうなるともはや一官吏、獄吏が理解できるものではありませんでした。
衛覬は律博士の新設を機に、末端の役人まで法律を教授し合い、理解が徹底されることを図ったのです。
律博士新設はまた、司空・陳羣らが中心となって行った「魏法」の制定にも影響したようです。
「魏法」は漢代の膨大な法律を簡約にし、かつ体系化、整備したもので、衛覬の律博士新設と発想を同じくするものでした。
さらに、律博士新設の影響は、中国に留まらず日本にも及ぼします。
衛覬の上奏から約500年後の728年、日本でも「律学博士」が導入され(のちに「明法博士」に改称)、以後脈々と継承されていくことになります。

こう見てくると、穂積陳重が「(近代日本)民法の祖」なら、衛覬は「東洋法学の父」とも称すことができるほど大きな影響力を持つ人物に思えてきませんか?
拡大解釈ですけどね。

[ 2005/01/07 07:29 ] トリビア三国志 | TB(0) | CM(0)

塩と三国志 ~第5回 三国志の塩仮想体験ツアー~ 

みなさん、こんばんは。
1/5は、敗戦後50周年にあたる記念すべき2005年の仕事初めの日でした。
「がんばるぞ!」と意気込んで出社はしたものの、午前中の年初朝礼で大爆睡&鼻ちょうちん
私の2005年は、もう、終わりました…。

さて今回もねちっこ~く塩について…でも、ホントに最後にするのでお付き合いください。
前回までヨタヨタと「三国志と塩」について書いてきましたが、今回は三国時代の塩を少しでも感じることができるネタを2つご紹介します。
勘違いや的外れな可能性大ですが、恐れずご紹介。

1.蜀の塩を五感で味わってみよう!
塩について書き始めてから、無性に当時の塩を舐めたくなり、年末にNET経由で四川省の井塩を注文。
早速試し舐めしてみました。
舐めてみたのは「榮海井」というお塩です(写真)。
“塩都”の異名を持つ四川省自貢市に湧き出る「岩塩鹹水(かんすい)」を、8時間煮詰めて精製された名塩とのこと。
その製塩所は1988年に重要文化財に指定されたというから、少しでも本格的かつ時を遡った塩を体感できることを期待して、ペロリ。
塩自体は、粒の大きさにバラつきが多いこと以外、一見すると食塩と変わるものではありません。
塩の味はというと…やや甘い、そんな感じでした。
日頃、私の家では徳之島の海塩を使用しているので、それと比べての感想ですが。
ビックリするような違いや古代浪漫を感じさせる何か…はとくになかったけれど、遠い時代にちょっぴり想いを馳せる材料にはなりました。

2.蜀の製塩風景を想像してみよう!
もうひとつNETで見つけた、昔ながらっぽい製塩風景をご紹介。
http://ikokunotabi.web.infoseek.co.jp/yunnnan5/yun10.htm
塩の井戸から鹹水を汲み出しては塩田に撒き、その塩田を支えるように聳え立つ支柱に垂れ下がる塩の結晶を採取する…そんな、見るからに手間も時間もかかって大変そうな製塩風景。
チベット自治区の塩井という雲南省に近い集落で見られるそうなので、古代益州での製塩風景にも通じるものがあるかもしれません。
嗚呼、また中国に行きたくなってウズウズしてきますね。

全5回に亘ってお送りした「三国志と塩」についても、これにて一旦おしまい。
お付き合いいただきありがとうございました!


[ 2005/01/06 02:15 ] 03:塩と三国志 | TB(0) | CM(0)

塩と三国志 ~第4回 塩と魏呉も~ 

大家新年好!
今年も『三国志漂流』をどうかよろしくお願いします。

年末年始、みなさんはどのように過ごされましたか?
私にとっては、なんといっても『PRIDE男祭り2004』
“絶対王者”ヴァンダレイ・シウバ…栄光の戦歴に、遂に遂に土がつきましたね。
結果は微妙だったとはいえ、「敗北」自体にとても驚きました。
三国志も、その世界は「男祭り3594」状態。
むさ苦しさいっぱいですが、ハッスル!ハッスル!で、今年1年も突っ走っていきたいと思います。

さて、2005年1発目の記事は、塩ネタの続き。
第3回で「塩と蜀」について書きましたが、やはり魏呉についても触れておかないと尻切れトンボですからね。

◆◇塩と魏◇◆
後漢末の動乱により、荒廃に荒廃を重ねていた華北地方。
武帝以来の塩の専売制も放置プレー状態になっていました。
そこで登場するのが、曹操配下の衛覬という人物。
衛覬は、司州河東郡にある解池(塩池)近くの安邑県出身。
関羽と同様、解池の畔に生を享けた者の常として、衛覬もその人生で塩との関わりを持つことになります。
200年前後、衛覬は曹操の側近中の側近である荀にひとつの提言をしました。曰く…

そもそも塩は国の大切な宝ですが、動乱以来放置されています。旧来のごとく使者を置いて売買を監督させるのが当然で、その利益をもって…農耕を奨励し、穀物を蓄積して、よって関中を豊かにするがよいと存じます。
(『魏書』「衛覬伝」)


…曹操は即提言を容れ実行し、結果、塩税により国庫は潤いました。
その後、衛覬は政権の中枢に召還され、出世の階段を駆け上がることになります。

時は流れて、263年蜀滅亡。
劉禅を降伏に追い込んだ功労者である魏の艾は、軍事の才能と共に、農政のエキスパートとしての一面を持っていました。
その彼が目に付けたのが、益州で豊富に産出される塩。
成都の艾が、司馬昭に宛てた書状に曰く…

隴右の兵2万人と蜀の兵2万人を留めおき、製塩と鋳鉄の業を盛んにして、軍事と農業の必要にあて…呉に攻め入る場合の準備をいたします。
(『魏書』「艾伝」)


…と、呉侵攻も視野に入れた復興プランを上奏しています。
官渡の戦い前後という曹操の快進撃が始まる時期や、三国鼎立の崩壊時期といったターニングポイントで必ず政治経済の要となる、塩。
魏もまた塩により、拡大する国家の維持に努めていたといえます。

◆◇塩と呉◇◆
呉では蜀と同様「司塩校尉」を設置し、塩の専売を行っていました。
呉の司塩校尉で名前を見つけられるのは、駱秀という人物。
駱秀は、呉において行政・軍事両面で功績の大きかった駱統の息子。
そして駱統の奥さん(=駱秀のお母さん)は、駱統の功績を認めた孫権が自ら間を取り持った従兄・孫輔の娘さんです。
つまり、駱秀は血縁により孫呉皇族への繋がりを有する家柄の出身ということになります。
そんな彼が司塩校尉を務めていたこと自体、司塩校尉という官職の重要性を示しているものと捉えられます。
重要なポストに就いていた駱秀は、しかし悲劇に遭ってしまいます。
「専売制」という制度が示すように、塩はいわば国家公認の金づる。
古来から現代まで、金の周辺では血生臭い闘争が繰り広げられる…それが世の習いです。
司塩校尉を務める駱秀は、呉郡海塩(現浙江省・海塩県より東に位置し、むしろ上海に近い)で海賊の襲撃に遭い殺害されてしまったのです。
塩の監督も、まさに命懸け。
呉に限らず、塩の専売には政府と密売組織との暗闘があっただろうことが見え隠れするエピソードですね。

…ということで、
★「池塩」の魏
★「海塩」の呉
★「岩塩」「井塩」の蜀
と、採取される塩の種類は異なりますが、各政権で普遍的に重要度の高かった塩。
手前勝手に締めさせてもらうと…塩を通して三国志を俯瞰したとき、私にとっての三国志の世界がまた広がったように感じます。

※今回書いた「塩と魏」については、年末に本屋さんで見つけて立ち読みした『中国塩政史の研究』(佐伯富著/法律文化社刊)を参考にしました。
この書籍、なんと18,900円。高っ…。

[ 2005/01/05 01:57 ] 03:塩と三国志 | TB(0) | CM(0)
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