いきなりですが、私、大興奮中です。
はなぢブーで、ムラムラきています。
これまで信じて疑うことが微塵もなかった「陸遜流罪」について、なんと誤訳疑惑がかけられているそうなんです!
発端は、
「呉の四姓」に関する記事に対していただいた通りすがりさんのコメント。
実はですね、流罪にされてないらしいんですよ、陸遜。
これは、ちくま版『正史三国志』における誤訳の内でも、最大級のものの一つ(中学英語の直訳文みたいな言い回しだなぁ)らしいです。
詳しくは「三国志ファンのためのサポート掲示板」の過去ログ、「陸遜の流罪について」(下記URL)をご参照あれ。
陸遜の流罪について
http://cte.main.jp/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=689;id=ちょっとこの疑惑、インパクトデカイです。
私はてっきり顧譚や顧承(顧雍の孫)、張休(張昭の子)らと一緒に、陸遜も交州へ流されてしまっていたものと思っていました…。
そして流刑の地・交州で、さらに孫権から文書で何度も罵倒されつつ憤死したのかと…。
また、陸遜が流罪にされたのとそうでないのとでは、陸遜死後の息子・陸抗の立場にも重大な影響があります。
「流刑」という死刑の一歩手前な重罪を犯した親の子が、普通に親の兵権を引き継ぐ…とは、確かに不可思議ですもんね。
ということで、私のできる範囲で急遽事実を確かめてみました。
1.まずは、私が所持している『正史』BASEで書かれた書籍の洗い出し。
すると、有識者の間でも「陸遜流罪」の記述があるものとないものとが混在しているようです。まっぷたつ。
◇◆「陸遜流罪」に関する記事のある書籍◆◇
・『正史三国志7』P292(小南一郎訳/ちくま学芸文庫)
・『三国志<下巻>』特別付録「【正史編】三国志人物事典」P68(渡辺精一著/学研刊)
・『三國政権の構造と「名士」』P260(渡邉義浩著/汲古書院)
・『三国志新聞』P191(三国志新聞編纂委員会著/日本文芸社)
◇◆「陸遜流罪」に関する記事のない書籍◆◇
・『人間三国志 2軍師の采配』P277(林田慎之助著/集英社刊)
・『三国志<下巻>』P76~78「【三国志人物列伝?】陸遜」(文=久米旺生/学研刊)
・『三国志全人名事典』P370(『中国の思想』刊行委員会編著/徳間書店)
・『三国志?完結なき世界』P255(守屋洋・竹内良雄訳/徳間書店)
2.日本の有識者が混乱しているのならばと、三国志の本場・中国籍のかた(上海在住で、日文がとても流暢かつ言語センス抜群!)に直接確認してみました。以下、抜粋。
関連の中国語のサイトをいくつか調べてみたら、やはり「流徙」の主語は「顧譚・顧承・姚信」の3人であって、陸遜は関係ないという主張が正しいという感じです。
<中略>
私も中国の一般庶民としては、秋風五丈原以降の三国歴史についてほぼ知らないのです。
<中略>
ですから今まで、流罪どころか、私は陸遜の晩年などは全然知らないと言っていいほどです。
(「三国志愛好会」メーリングリストでのやりとりより)3.そもそも『正史』の中にヒントがないか…と斜め読みしたり、情報収集したりしてみました。
すると、有力な情報をmixiでゲッチュウ!
赤烏8年(245)の春2月、丞相の陸遜が死去した。
(『呉書』「呉主伝」)この簡潔な記述が、ヒントです。
仮に陸遜が流罪になっていたとしたら、彼が死ぬそのとき、「丞相」という最高位の役職に就いているはずはありません。
んー、私の感触としては「陸遜流罪」は誤訳…というのが、正しい気がしてきました。
でも「結論が出た!」とまではいかないので、この記事をご覧になったかた、是非ご意見を寄せてもらえればと思います!
AUTHOR: はやせ
URL: http://h-task.hp.infoseek.co.jp/
DATE: 06/07/2005 07:59:00
はじめまして!三国志ニュースから飛んできました、はやせと申します。
「陸遜流刑は誤訳!?」について、個人的に思うことがありましたので、コメントを書かせてください。
(自分のところのサイトにも書いてるんですけどね。何せ知名度が低いサイトなもので(^^;)
USHISUKEさんが書かれたこと以外に2点、私が誤訳を確信した根拠をお知らせします。
1 USHISUKEさんが列挙した正史ベースの本の中にないものの中で、「陸遜流刑を否定している」本があります。それは高島 俊夫さんの「三国志きらめく群像」です。
この中で、高島さんは「(他の三人は流刑にされているが)陸遜は流刑に『できない』ので」と書いております。つまり、「陸遜は流刑になってない」のが、高島さんの認識です。
(長くなったので、続けます)