三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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舞台「三国志プロジェクト」観劇報告 

今日は13:00から、舞台「三国志プロジェクト第1弾 三国志列伝 長江の流れは緩やかに見えて」を観劇してきました。
たいてい映画や展覧会、劇などはひとり寂しく行くことが多いのですが、今日は珍しく「三国志友だち(?)」の清岡さんげんりゅうさんKJさんとご一緒に。
12:30頃に会場前へ着くと、既に人だかりが…ちなみに、チケットは完売だったそうです。
12:30を少し過ぎた頃に会場へ。
会場に入ると、舞台上では既に「前説」が行われていました。
舞台に出演されるかた3名が、舞台の設定(衣装と勢力の関係や地名・地理などについて)を笑いも交えつつわかりやすく説明してくれました。

13:00頃、いよいよ開演。
薄暗いライトの中、岸辺に寄せる江水の音が静かに流れ、劇は始まります。
ストーリーは、丁寧に練り上げられつつ、大変クリイエティヴィティ豊か。
約30名の出演者が一人二役もこなしつつ舞台で織り成す大スペクタクル。
江賊(舞台では「海賊」)「孫一家」の武力的中核を担う青年期の孫堅を中心に描かれます。
「胡一家(観劇後清岡さんに教えていただいたのですが、『正史』に1回だけ出てくる胡玉という江賊をモデルにしているようです)」を相手とした江賊間の抗争、県令・呉氏ら地方官僚との確執、名もない民衆たち(茶屋、酒屋、魚屋、反物屋)との交流etc.重層的な舞台設定。
そんな中、『演義』や『正史』では記述のない、程普、韓当、黄蓋、朱治、祖茂ら孫呉古参の将が、紆余曲折を経て孫堅の元に集うくだりも、想像力豊かに描き出されていました。
特に彼らのキャラ立ちの仕方はハンパではなく…北方から流れてきた程普は、寡黙だが頼りがいのある渋い好漢、一方、黄蓋は想定外の完全無欠お笑いキャラ。
さらに、JACもまっつあおな本格的な殺陣、アクションが各所に盛り込まれ、ドキムネの連続。
約2時間半、ノンストップで愉しませていただきました!

また今回の舞台は、三国志を題材とした珍しい舞台ということで、私たち三国志ファンは勿論大喜びでしたが、決してそれだけで終わるものではありませんでした。
三国志の世界に縛られることのない、より普遍的なメッセージが、そこかしこに散りばめられていたように思います。
罪のない民を殺害してしまう程普たち、毒薬で多くの人の命を奪い、最愛の妻までも亡くした呉氏…登場人物の多くが、様々な過ちや後悔を抱えています。
人は生きていくうえで、大小の違いこそあれ過ちを犯してしまうもの…しかし、その過ちをどう捉えて生きていくか。真摯に受け止める人、逃げる人…そこに「その人」が如実に反映されてくるんだと、教えてくれます。

そして、人間は変われる、成長する生き物なんだということ。
当初武一点張りだった孫堅は、様々な出来事を通して、人を統べる器を持つ将として成長します。
宿敵だった「胡一家」の長男を、遂に一騎打ちで討ち取った孫堅のセリフ
「胡岱(「胡一家」の長男)よ!我が心の中で生きよ!」
は、「強敵」と書いて「とも」と読ませる『北斗の拳』に出てきそうなくらいの名セリフです。
宿敵を「写し鏡」として自分を見ていただろう孫堅が、強敵(とも)と古い自分を飲み込んで前に進んでいく強い気持ちを、きっと表現しています。
熱いです。熱い男闘呼の世界です!

と、そんなこんなで、出演されたかたやプロジェクト関係者には怒られそうですが…自分勝手な解釈をしつつ、観劇の報告とさせていただきました。
ちなみに
■「三国志プロジェクト第2弾」は、2007年2月に決定したそうです!
■今回の「三国志プロジェクト第1弾」は、2006年4月にDVD発売が決定したそうです!!
詳しくは「三国志プロジェクト」のサイトをご覧ください。
2007年2月が、今から楽しみです。


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[ 2006/02/19 23:03 ] その他雑談 | TB(0) | CM(1)

徐州南部の仏ゾーン 

おはようございます。
最近、無性に
『仏ゾーン』(武井宏之著/ジャンプ・コミックス)
を読み返したくなりました。
私がまだ大佛次郎氏のことを「だいぶつじろう」と読んでいた頃、『週刊少年ジャンプ』で連載されていた漫画。
仏像(の化身?)たちが、殴る蹴るの大乱行を重ねる奇天烈なストーリーの漫画!…だったと記憶しています。
まぁ買うまではないか…と、日頃愛用していた
立ち読み漫画サイト「まんが・コミックの464.jp」
で探してみようと思ったら、なんと、いつの間にかサイトが停止になっていて…ちょっと悶々としています。

ということで、1/16の記事に続き三国志と仏教について。
今回の主人公は、笮融(さくゆう)という人物。
この笮融は、後漢後期の190年代、徐州南部(長江北岸周辺)に中国仏教の一大聖地ともいうべき豪奢な「仏ゾーン」を形成した人物です。
『正史』に書かれた彼にまつわる仏教関連記事は、その詳細さによって、中国での仏教受容期の様子を知るうえでとても重要な資料となっているほど。
※お持ちのかたは、是非『正史 三国志6』(陳寿著 小南一郎訳/ちくま学芸文庫)P261、262をご一読ください。

◇◆笮融の略歴◆◇
はじめ同郷の陶謙の元に身を寄せて、徐州南部の彭城国(現・江蘇省徐州市周辺)及び広陵(現・江蘇省清江市周辺)、下邳の2郡で物資運漕の監督に当たっていました。
しかし、勝手に自立。
豪奢な仏教寺院の建立や派手な仏教行事を多数行い、その浪費ぶりは巨億にのぼるほどでした。
その後、広陵太守や豫章(現・江西省南昌市周辺)太守(朱晧。黄巾賊討伐の英雄・朱儁の息子)を次々殺害し、長江北南岸で略奪をほしいままにしながら転戦。
孫策や劉繇と争いつつ、最後は逃げこんだ山中で付近の住民に殺害されたとさ。南無。

◇◆笮融と仏教◆◇
何だかロクでもない人物に映る笮融ですが、黄巾賊、五斗米道、会稽の許昌、下邳の闕宣(天帝教)etc.後漢後期一世を風靡した「妖賊」の亜種だったと捉えられそうです。
笮融がその他「妖賊」と一線を画すのは、当時は外来の新興宗教という位置付けであっただろう「仏教」を拠り所とした点。
信仰への帰依…というのもあったかもしれませんが、それよりも「特殊な信仰の様式」を自勢力の拡大のために利用したと捉える方が妥当だと思います。
「特殊な信仰の様式」というのは、信仰を彩る華美さ。

大々的に仏教寺院を造営し、銅で人の形を作って、その身体に黄金をぬり、錦やいろどりあざやかなきれで作った着物をきせた。…(潅仏会に)浴仏の儀式が行われるごとに、おびただしい酒食を準備し…さまざまな人々が見物や食事におとずれてその数は1万人近くにも及んで、費用は巨億にのぼった。
(『呉書』「劉繇伝」)

デヴィ夫人叶姉妹もとろけちゃうぐらいの贅沢さ。

戸籍上の人口が激減している後漢後期において、「人集め」は勢力拡大に必須の要件。
曹操が「屯田制」など合理的な政策で解決しようとした一方、笮融は後先構わない強引かつ現世利益的な宗教活動で解決しようとしたのでしょう。

そして、この宗教活動を支えたのは、笮融が活動した地域の土地柄。
笮融が根城とした徐州南部の彭城国及び広陵、下邳の2郡は

もともと豊かな土地で富豪も多く、牧の陶謙は土着の富豪の財力によって軍閥としての力を蓄えている。
(『三国志新聞』三国志新聞編纂委員会編/日本文芸社刊)

というような特色を有していました。
まず富豪・豪族を新興宗教により取り込む(勿論強引な搾取もあったでしょう)ことで多大な貢納物や多額の貢納金を得、それらを宗教的に還元(散在)することで「人集め」を行うというサイクル。
曹操による徐州大虐殺が行われた際、笮融も徐州を去ることになるのですが、彼は男女1万人と馬3千匹を引き連れた…との記載もあるので、笮融の「人集め」は一定の効果はあったようです。

中国と仏教の出会い…その最初期は笮融の事例が表すようにイビツな一面も持っていたようです。
しかし孫策と激しく争った笮融の死後、奇しくも孫呉政権下で江南仏教はスクスクと育っていくことになります。
笮融が蒔いた種は、意外にもその後の中国史に少なからずの影響を与えることになっってしまったようです。

[ 2006/02/12 12:49 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)
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