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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

279年のIF 

こんばんは。
アンガールズ、予想以上にラクショーな感じでゴールしましたね。
武道館に早く着きすぎるから、最後は時間調整のために歩いたんじゃないか…と思えるぐらいでした。
まぁ、どうでもいいことですが…どうでもいいことついでに書かせていただくと、ちょっと前、おらが町に新しい図書館ができたのです。
なので、ぶらりと図書館訪問。
小綺麗な図書館内で蔵書を漁っていたところ
『世界の会戦 こう戦えば勝てた』柘植久慶著/中央公論新社
という書籍が目に入ったので手にとってみました。
いわゆる「IF本」です。
同著者が書いた
『ナポレオンの戦場』
という単行本を高校生の頃だったか…貪るように読んだ記憶があり、懐かしくもあってパラパラめくりました。
自身の傭兵経験(…「自称」などとNET上では言われてるけど)などから、軍事的な観点で「自慢しい」な記述が目立つというクセの強さは同じでしたが…おや?
呉の存続
という章を発見。

孫呉末期に焦点を当て、主には279年の晋の大攻勢と呉の滅亡(三国統一)に対して
こうすれば勝てた
と言い切る、柘植臭ぷんぷんでなかなか男前な内容になっています。

晋の大攻勢を呉が跳ね除けるためのポイントを掻い摘んで書くと、以下の通り。
【戦略】
1.呉存続の絶対条件として、皇帝・孫晧をクーデターで打倒!
…なぜなら「悪帝」だから。
2.戦線を縮小して武昌(現・湖北省鄂城市)~安城(現・河南省汝南南方)~建業(現・江蘇省南京市)ラインで、陸の防備を固める!
…未確認ですが、当時安城近辺って晋の領土じゃなかったっけ。
そして、この「縮小」した戦線
安城-武昌間の直線距離約260km
安城-建業間の直線距離約400km
※「Google Earth」にてザックリ算出。
と、比較するならおよそ東京から広島に至る範囲を敵正面とするのと同じ状況になっています。
んー…戦争のプロが言うことだから、にんともかんともですが。
と、戦略の妥当性はともかく、さらに肌感覚の強い親切な戦術解説もあります。
【戦術】
1.河川の防衛のために、竹と太く編んだ縄を河に張ること!
水を吸った腕くらいの太さの縄は、斧でも簡単に切れないらしく、敵艦隊の動きを封じ込めるのに絶大な力を発揮するとのことです。
2.主力決戦となる陸上の防衛は、臨機応変にヒット・アンド・アウェイ!
待ち伏せ、夜襲、挟撃、焦土戦法…何でもやり放題です。
3.新皇帝が最前線近くまで本営を進める!
史実上、呉がほぼ同等の兵力である晋に敗れたのは戦意の低さが原因…と、熱く語る箇所が多く、戦意高揚のためには新皇帝が戦場に臨むことが大切ということです。

なるほど!
これなら勝てそう!…と、納得できるかどうかは別として、「IF」を妄想して公にすることって非難する人も多くいるけど、私は捨てたもんじゃないなぁと思うのです。
「歴史にIFはない!」のは、当然。
当然のことを言ってもねぇ…面白くもなんともないですし。
ということで、みなさんが見つけた「三国志のおもしろIF」ネタありましたら、こそっと教えてください。

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[ 2006/08/28 01:38 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)

倭族の王国を滅ぼしたのは、諸葛亮! 

夏の甲子園、大熱闘ですね。
仕事中も気がそぞろで…NETの高校野球速報ページをひっきりなしに更新したり、同じ高校野球好きな人とメールのやりとりしたりして仕事になりません。
そういえば前回記事で触れたウラムくん率いる香川西、負けましたね…でもナイスゲームでした。

さて今回の記事は、1冊の書籍から。
『古代中国と倭族』鳥越憲三郎著/中公新書
という書籍を最近読んだりしました。
「倭(わ)」といえば、俗に言う「魏志倭人伝」などで連想されるように「古代日本人」あたりを限定的に指す単語だと、私は思っていました。
が、著者は「倭族」を
「長江を原住地とする…広域に移動分布した…文化的特質としての稲作と高床式住居を共有し伝承している民族」
という新概念で捉え、黄河流域に限らず中国各地の古代王国の存在を実証していきます。
書籍の内容自体はなかなかマニアックで、でもグッとくるところが多かったりしたのですが…「三国志」に関わる記述もちょっぴりながらありました。
蜀の諸葛亮による南征に関する記述です。

蜀漢の建国初頭の建興3年(225)に、宰相の諸葛亮(諸葛孔明)が大軍を三路に分け…滇国の郡である滇池(晋寧)を討伐した。こうして倭族の古代王国はすべて壊滅した。
現・四川、雲南、貴州省の各地には紀元前後、滇国以外にも夜郎国(「夜郎自大」の由来になった王国)、昆明国などなどの「倭族」が建国した古代王国が存在していました。
ただ、秦以降の黄河流域に勃興した文明国家に徐々に圧迫されていき…トドメを刺したのが諸葛亮だったのです。
倭族の王国を滅ぼしたのは、諸葛亮!
…この文章だけを読むと、結構衝撃的じゃないですか?
卑弥呼率いる邪馬台国を諸葛亮が攻め滅ぼす…そんな妄想的な錯覚に陥る感じ。
最近はすっかり三国志の調べものをサボっていますが、やっぱり、自由な解釈と際限ない妄想は、こういうときにポッと顔を出します。
ムズムズします。

ちなみに、私、8、9年ほど前に、ぶらり旅で滇池を訪れたことがあります。
滇池は雲南省最大の湖。
滇池および周辺はだだ広い大湿地帯で、今でこそ住居が湖畔に押し寄せてはいますが、古代においては自然の利を活かした漁労、稲作などが行われていたんじゃないか…と想像させてくれました。

旅行話ついでに…雲南省の省都である昆明などで気軽に喰べられる「過橋米綫(グオチャオミーシェン)」は、激ウマです。
昆明滞在中は、朝昼晩ずーっと過橋米綫ばかり喰べていました。
膜の張った鶏のスープのおかげで、いつまで経っても冷めない細めの麺と具を楽しめます。
あー、書いてたら喰べたくなってきた。


[ 2006/08/16 01:54 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)

『三国志学会』レポート 

大変ご無沙汰しています、USHISUKEです。
更新をサボっている間に、梅雨に入り、梅雨が終わり、そして熱闘甲子園の夏。
夏の甲子園には毎年血が沸き(比喩表現)肉が踊っています(事実描写)が、今年は香川西のウラム・エフェレディン捕手に注目。
中国は新疆ウイグル自治区出身でありながら、部員83名の主将を務めるという逸材です。
日頃三国志を通して中国を見つめている人間としては、自然に応援したくなってしまいますね。

さて、今回は7/30(日)に開催された三国志学会の大会レポートです。
↓三国志学会についてはコチラ
http://www.daito.ac.jp/sangoku/

三国志学会は、文字通り三国志に関する学術の研究と普及および会員相互の親睦を図ることを目的とするうまれたてホヤホヤの学会です。
三国志専門の学会が発足するということは、今の活性化した三国志を取り巻く状況の一端を表しているんじゃないでしょうか?

会場となった大東文化大学 大東文化会館ホール(@東京都板橋区)には、朝10:00という早い時間から約100名の老若男女、研究者、在野問わず幅広い層の方々が参加。
現地で、前日の三国志シンポジウムも参加された清岡さんKJさんげんりゅうさんらと合流しました。
会場を眺めた感じだと女性が約4割程度を占めており、女性による三国志への関心の高さを窺い知ることもできました。
大会の内容はというと、下記のように日中の著名な三国志研究者による報告&講演が目白押し。

報告(10:00~12:40)
石井 仁(駒澤大学助教授)
「呉・蜀の軍事制度に関する覚書」
澤 章敏(関東学院六浦中学校・高等学校)
「五斗米道研究の現状と課題」
和田英信(お茶の水大学助教授)
「建安文学をめぐって」
竹内真彦(龍谷大学助教授)
「呂布には何故ひげがないか-三国志物語の図像と本文の関係について」

お昼休み

講演(14:00~17:00)
劉世徳(中国社会科学院教授)、通訳 伊藤晋太郎(慶応義塾大学講師)
「『三国志演義』嘉慶七年刊本試論」
狩野直禎(三国志学会会長、元京都女子大学学長)
「私と三国志」

懇親会(18:00~)
※以上、敬称略

各報告&講演内容の詳細は、ココで触れるにはあまりにも濃密過ぎて…私の頭で理解できたり、気になったりしたところを中心に列挙することとします。
■「呉・蜀の軍事制度に関する覚書」は、当時の都督(各方面の行政・軍事を統轄する機関、及びその長官のこと)制度を論じたもの。
『正史』の著者・陳寿もひょっとしたら理解できていなかったんじゃないか?と思われる都督制度を、原文に立ち戻り魏・呉・蜀別に体系化するという内容に舌を巻く思いでした。
報告1発目から、大感心。
■「五斗米道研究の現状と課題」は、張魯率いる五斗米道、そして五斗米道拡大に何らかの寄与のあった張脩という人物についての報告。
私個人としては以前、本BLOGで澤先生の著作物を元に「王平非漢民族出身説」を書かせてもらっていたこともあり、大感動の報告でした。
感動のあまり調子に乗って質問もさせてもらいましたが、丁寧にお答えいただき大々感動でした。
■「建安文学をめぐって」は、主に三曹(曹操、曹丕、曹植)の詩を例に、作者の「個性」の表現としての詩、そして「個性」を超えた様式の確立について論じられました。
詩のことはよくわからない私でも、建安期以前、以後の詩を比較して読んでみると、なるほど詩を詠む、詠まれる人それぞれがほかの誰でもない「個」として目の前に屹立してくる感じがしました。
■「呂布には何故ひげがないか」は、大変面白い切り口。
言われてみるとたしかに、三国志の世界で最強の武力を誇る武将にしては中国における図像にはひげがないケースが多く、また冠をかぶっていたりと貴公子然とした感じがします。
その背景を、『演義』の版本比較による呂布の容貌描写の変化、かぶりものを接点とした『紅楼夢』の貴人、公子と呂布との関係、そして才子佳人譚としての呂布と貂蝉との関係から導き、提示。
ホントに新鮮な観点でした…脱帽。
■「『三国志演義』嘉慶七年刊本試論」は、本場中国の三国志演義学会会長による講演。
現在はアメリカの図書館にしかないといわれる『三国志演義』嘉慶七年刊本に関する詳細な版本研究でした。そんなに珍しい版本だと、是非一度目を通してみたい気がしますが…中国語も英語もわからんので…無念。
■「私と三国志」については、膨大な三国志に関する書籍、論文が列挙された資料が配られ、今後重宝することになると思います。

…と、長くなりましたが大充実の約5時間半。
その後も懇親会まで参加し、澤先生と改めてお話させていただいたり、11歳ながら今回の大会に参加した女の子に出会ったり、大変貴重な時間を過ごせました。
三国志学会、その動きに今後もチェキラッチョです。

おまけ。
お昼ごはんを近くのデパート内で食べたのですが…その店の旧名が「ジンギスカン フランス人」。
どういう意図で名づけられたのか…「ラム丼」は美味しかったのですが、謎は解決されぬまま。


[ 2006/08/06 14:44 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)
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