宮城谷『三国志』待望の第8巻が刊行されましたね。
三国志、とくに蜀ファンにとっては胸が締め付けられる想いで読まずにはいられない…そう、劉備3兄弟の死が描かれる巻なのです。
近くのTSUTAYAに出かけて購入。
どうにも気持ちが逸ってしまい、ポツポツ歩いて帰りながら真っ先に関羽の最後のシーンが描かれているページを探して、目を通しました。
今回はネタばれ含むので、以下「読むなら、読むな」ということでお願いします。
…熱い、胸が熱い!
関羽の最後って、なにゆえこんなにも人の心を捉えるんでしょう??
『蒼天航路』のときも、そう。
樊城下にて「関 雲長!」という曹仁の挑発に応じて、コマの奥の方から一歩一歩堂々と登場する胸打ち震えるシーン。
そして、そこからは一直線に死に向かっていき
「今われら兄弟の夢を不滅とする」
という台詞で、関羽の人生の幕は閉じます。
「関羽の死」に初めて立ち会ったのは、横山光輝『三国志』でした。
最初は信じませんでしたね、志半ばで関羽が死ぬなんて。
呂蒙「やれっ」
兵士「はっ」
ビュッ
関羽の首は打たれた
関羽この時58歳であった
42巻まで読み進めて、これだけですよ、関羽の死の場面。
劉備3兄弟が「三国志」の主人公と疑わなかったので…普通、主人公は死なないでしょう?
死んだように見せかけて、実は死んでませんでした。そしてまた劉備と一緒に戦い、遂には中華を統一する…もんだと、信じて1mmも疑っていませんでした。
だから、関羽があっけなく斬首され、さらに張飛が暗殺され、劉備が大敗北の末死んでいくとか、中学生のウブな脳みそは大混乱。もう訳がわかんなかったです。
劉備が死ぬ45巻で一度心が折れて、しばらくその後、コミックを手にとらなかったですもん。
『人形劇 三国志』での関羽の死は、「呂蒙嫌い」が大人になるまで続くという形である意味トラウマになっていました。
そんなこんなで、関羽の死は、どの著者も思い入れたっぷりで描くシーンです。
宮城谷『三国志』での関羽の最後も、ぜひみなさんに読んでもらいたいのですが…私は、また新たな関羽像を提示された気持ちでいます。
宮城谷氏は「関羽が捕縛されるなどは、あり得ない」と断言します。
人に頭をさげることを嫌う関羽が、戦うことをやめて擒捉されたというのは、関羽の死を惜しむ後世の者が創った話であろう。が、かえって関羽の名誉をそこなうものである。
さらに、現代でも議論が百出する「関羽の北伐」の意義をこう表現しています。
(劉備は)漢中王となった。ながく劉備とともに歩き、もっとも深く劉備を理解していた関羽は、そのことを惜しんだ。
-劉備の志とは、そういうものではなかった。
もっと超絶したものであった、と関羽はいいたかったであろう。それを天下に知らしめるために、関羽はひとりで魏と戦い、呉と戦った。それはすなわち劉備への敬愛の表現であった。
…このような文章は「男」にしか書けませんよ、男を知る真の男にしかできない洞察です。
深く深く理解している男のために、志を汚す所作を惜しみ、しかし惜しむだけではなく、その男に代わって不可能に近い志の体現を為してみせる…利己は皆無、そこには最上の敬愛の情だけが存在する。
戦略とか戦術とか、謀略とか駆け引きとか…一切合財吹き飛んでしまえ!ふー。
宮城谷『三国志』第8巻のおかげで久しぶりに興奮した昼下がりでした。
まとまりに欠けてすみませんが…いまだ興奮冷めやらぬ深夜1:00、関羽の最後の台詞で締めくくります。
関羽はわずかに笑み、
「天帝のお召しである。われらは天に昇ってふたたび会おうぞ」