「曹操の陵墓発見!?」という大ニュースで1年を締めくくることになった2009年。
こんにちは、実家のある「三国」から更新します。
毎年、年末年始は九州の実家で過ごすため飛行機で移動するのですが、機内の雑誌を捲っているとちょっと興味深い記事を見つけました。
JALの機内誌『スカイワード』2009年12月号に掲載されていた、現代芸美術家・束芋(つかいも)さんのインタビュー記事です。
束芋さんの芸術家としての本質に迫るような「世代論」が語られていました。
戦後生まれの「団塊の世代」に対して、束芋さんや私のような70年代生まれの世代は「断面の世代」「太巻きの切り口のような世代」であると。
「断面の世代」とは、すべての具材は持っているけれど薄っぺらで、断面がたくさん集まることで、初めて太巻きになれる。だから、似たような人たちが集まってくる。
一方「団塊の世代」は、個々がキュウリやかんぴょうなどの三次元の存在で、それらをまとめ上げる酢飯や海苔があれば大きなしっかりとした太巻きになれる。しかし、リーダーがいないと個性が強すぎてバラバラになってしまう…と。
また次のように語ってもいます。
「断面の世代」は、ひとことで言えば甘いと思う。
「団塊の世代」は目的達成のために大きな塊となり、その一部として自分の存在意義を見出して、自分の納得のいかないことも厭わなかったと思う。でも、「断面の世代」にはそれができない。流れに同調しながら動くよりも、自分自身が自分の声で発声する。個人として納得できることをやりたい。
だから、社会を動かす大きな力にもなれない…とも。
束芋さんのこの「世代論」、個人的にとてもしっくりきて機内で感心しきりでした。
と同時に、三国志における「世代観」にシフトしてみると、あれま、こちらも結構面白い切り口になるなぁ…と、ここからは私の勝手な解釈です。
束芋さんの「世代論」を踏まえて…三国志における世代を、私は大まかに以下のように捉えました。
■160年代以前生まれの世代:第1世代
いわゆる「団塊の世代」
曹操、劉備、孫堅ら
■170-190年代生まれの世代:第2世代
いわゆる「断面の世代」
諸葛亮、孫権、周瑜ら
■200年代以降生まれの世代:第3世代
いわゆる「ポスト断面の世代」
姜維、竹林の七賢ら
※曹操ら第1世代の前に、第1世代を育てたり、世に出るきっかけを与えた世代として「第0世代(盧植、橋玄ら)」も考えられますが…省略。
第1世代は、「反董卓連合」に参加するなどして後漢末の群雄割拠な時代に「主役」になり得た世代です。
荀イク、関羽、張飛などの「キュウリやかんぴょう」のような個性が強い人物を、曹操、劉備などの「酢飯や海苔」のようなリーダーが求心力となって、サイズも形も様々な「太巻き」を形成し、社会を動かす大きな力となり得た世代。
第2世代は第1世代に一歩遅れて生まれ、一人身を立てる前に乱世の荒波を受けて育った世代。
「漢」という統一王朝の縛りから比較的自由で、天下三分、天下二分といった新たな秩序を、自身の育った環境(自身が育った「サロン」など)や自己の中から醸成し高らかに謳いあげ、周囲の無理解、反発どこ吹く風で、自身の納得できることに邁進。
ただし、オールマイティな能力を持ち、発揮しながらも、太巻きの「酢飯や海苔」のような世の中を動かす大きな力にはなりきれず、第1世代が築いた体制の中で試行錯誤し続ける…そんな世代。
第3世代は、もはや「大きな塊」とはなり得ず、集団の中での存在意義に価値を置かず、個々の納得できることを追求する傾向の強い世代。「断面の世代」の一部傾向がより濃厚に出る世代ともいえるでしょうか?
ちなみに、第2世代のうち曹植や何晏のようなごく一部の人物は、第1-3世代をつなぐ「歴史に愛された」とでもいうべき人たち。
第1世代に才能を慈しみ育てられ、第3世代に対して強烈な影響を与えた、特異な存在ですね。
半ば作為的な解釈もありますが…異論反論オブジェクションなコメント、大歓迎です!(呑みの場でもOK!)
来年も、三国志な時代を肴に、あれこれ妄想したり、みなさんと呑んだりしながら楽しめればなぁ…と思っています。
みなさん、よいお年を。
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