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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

「三国志フェス2010」の記憶-前編- 

拙BLOGで告知して以来、結局何ら更新ができずに終わった「三国志フェス2010」。
8/21(土)「三国志フェス2010」、無事大きなトラブルもなく(…と私は思っています)、盛況のうちに終えることができました。

250人も集まればいいなぁ…と思っていたところに、結果のべ435人の方に来場いただき、出展者やボランティアスタッフなどを含めると500人超の方々に参加いただけました。
フェスの最後に述べさせていただいた
スタッフに拍手!出展者に拍手!出演者に拍手!そして来場いただいた方々に拍手!
というのは、その場で喉の奥から湧き出た偽らざる言葉であり気持ちです。
三国志フェス2010」に参加されたすべての方々、本当にありがとうございました!

当日の様子は既に参加いただいた方々が臨場感溢れる内容でmixi日記などで書かれていますし、今後「三国志フェス2010」公式WEBサイトに掲載を予定していますので、1週間出遅れた拙BLOGでは書きません。
三国志フェス2010」に関する準備から当日、そして開催後の現在に至るまでの事柄、気持ちなどを、公にできる範囲で極力「生」の状態で、色褪せてしまう前に書き残しておこうと思います。
1回では終わらないので、前編・後編ぐらいで記します。
バランスが悪く、伝わりにくい内容になる可能性大ですが、それも今の私の状態ということです。
兎に角、いまだ興奮が冷めないのです。背中のゾクゾクが時々ぶり返すのです。

☆★準備期間★☆
■「三国志フェス」の開催を思い立ったのは、またしても4月でした。
「また」というのは昨年開催した「勝手に『三国志検定』おべんきょう会」も同様に4月だったからです。
新年度開始の時期は、無意識的に気持ちが昂ぶっているのかもしれません。
■構想を具現化するためには、私が属するNPO三国志フォーラムの仲間以外にも同じ目線で行動を共にしていただける同志が欠かせませんでした。
私の勝手な思い込みでは、2つの大きな「不足」があったのです。
構想を戦略化し戦術に落としこむための知識、ノウハウの「不足」、広がり(つながり)の「不足」。
そのためにも「実行委員会」の元に同志を集めることこそ、まず着手すべきことでした。
■最も早く相談させていただいたのは、総合三国志同盟のカリスマ和丸さんでした。
それにしても、あの最初に行った電話でのやりとり、一を口にして十が伝わるということか?心で通じたということか?その後、直接お会いした時の固い握手の感覚は、今も覚えています。
和丸さんの理解と協力を最初期にいただけたことは、開催までの4か月間、ずっと大きな心の支えになり続けました。
■準備段階で、とてつもなくお世話になった/勉強させていただいたのは「三国志街道の集い」事務局のみなさんです。
御礼を何度言っても言い足りないぐらいです(…あれ?実は直接数度も御礼を言っていない気がしてきたので、お会いした際に改めて)。
拙い段階で無邪気に「三国志フェス」構想を持ち込んだ私を突っぱねることもなく、何度もご相談に乗っていただきました。
ひどく近視眼的だった構想に対して、理念や継続性の大切さ、そのための運営し続けられる仕組み作り(収支バランス、地域とのつながりなど)…その他、戦略から戦術までたくさんの有益な観点を与えてくださり、本当に多くのことを学び、考える機会を与えてくださりました。また、みなさんの明るい行動力は、とてつもなく刺激になりました。
■そしてNPO三国志フォーラムの仲間たちの存在。
少数ながら、もう奇跡としか考えられないぐらい個性豊かでお互いを補完しあえる能力を持つ人財の集まり、それでいて発揮される阿吽の呼吸。
関西、関東、居住エリアが離れ離れなのでほとんどネット上の意思疎通だけなのに、何ですか、この連携力は!?
みなさんとの出会い、神様≒関帝に感謝します。
■さらに、人づてに広がる「三国志好き」な方々の輪。
個人、企業、団体問わず、それは波紋の広がりのようでした。
このような活動を介さなければ、一生お会いすることもなかった方々とお知り合いになれたことは、宝です。
主催者の末席を汚す者としての役得です。
■「三国志フェス2010」に関わった多くの方には、「三国志が好き」という一点で見返りそっちのけで多大なご協力をいただきました。
大いに感謝するとともに、一方で「仕組み」としては弱さを抱えることにもなっています。
今後この辺のバランスにはとくに配慮が必要だと感じています。
■構想を練るために多くの時間がかかってしまい、具体的な動き、告知、募集、運営・準備が後手に回ったのは否めません…私にとって反省すべき点の第一です。
三国志フェス2010チラシ■「三国志街道の集い」事務局の方と連携して行った、大田区蒲田でのエリア密着な様々な活動、面白かったです。
大田観光協会への後援申し入れと成功、オフィシャル餃子レストランやオフィシャルホテル獲得のための飛び込み「営業」、チラシ設置のためゲーセン他への飛び込み「営業」、大田区日中友好協会の方との出会い、区役所とのやりとり、その他絨毯爆撃的(?)アプローチ…普段はデスクワークがメインなため、暑い中、これまであまり経験したことのない足で稼ぐアプローチに心踊っていたことも事実です。本職の方々にとっては「お遊び」にうつるでしょうが…ご容赦ください。

…これでも随分削っているんですが、長いですね。
読むのも既に飽き飽きだと思いますが、公開独り言ということでお赦しください。
後編は、当日直前以降ということで。
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[ 2010/08/29 00:30 ] 三国志フェス2010 | TB(0) | CM(2)

巨星墜つ…川本喜八郎先生、ご逝去 

川本喜八郎先生が、8/23に85歳で永眠されました。
ご冥福をお祈りします。

久方更新することのなかった拙BLOGですが、私の三国志好きに決定的な影響を与えてくださった川本先生への追悼の意を込めて、勝手な文章を書きなぐらせていただきます。

私は三国志が好きなことと同様に、人形アニメ・人形劇が純粋に好きでもあります。
この両方をとことん満たしてくださったのは、川本先生の存在以外にはありません。
そういう意味で、私にとって唯一無二の存在です。
日本最大級の人形劇イベントである「いいだ人形劇フェスタ」に、ここ数年は毎年必ず赴き、その際に飯田市にある川本喜八郎人形美術館も必ず訪れ、都度変わる展示内容を堪能していました。
今年は、ここ数年で展示内容が最も変わっており、大河ドラマ化が決定したことも受けてか『人形歴史スペクタクル 平家物語』がメインとなり『人形劇 三国志』はサブ的位置づけとなっていましたが。

川本先生を語るうえで、チェコの人形アニメとの関わりは切っても切り離せません。
川本先生は30代後半で、旧チェコスロヴァキアに人形アニメの修行に出られています。
そこで師事されたのが、イジー・トルンカという人形アニメの第一人者と今でも讃えられる人物です。
私は一昔前チェコアニメブームが到来した際、ものの見事に感化されて、ヤン・シュヴァンクマイエルらと同等にこのイジー・トルンカの作品にもどっぷりはまりました。
たとえば、『真夏の夜の夢』はシェイクスピアの同名小説を美しく幻想的な作品に、最晩年作である『』では「プラハの春」後の暗黒時代の到来を象徴するかのような自由の束縛をシュールに描く作品にそれぞれ仕立て上げられています。
これらの作品では人形アニメでしか表現しえない、独特の世界観が構築されています。

ただ、川本先生はだからといってイジー・トルンカ的人形表現をそのまま真似ることはしませんでした。
イジー・トルンカに感化された後、美しく静謐な世界観はそのままに、むしろ自身のオリジナリティやアイデンティティの問題に正面からぶつかり、結果日本古来の伝統や芸能に目を注がれ、能や文楽からあの独特な表情、佇まいの人形表現を会得されました。

■人形は神と人間とをつなぐもの
■人生の「苦」こそが人形の表現
■その国の伝統、文化をもっていなければならない。日本の伝統を学ばなければいけない

このようなことを川本先生は生前おっしゃっていました。

思えば、川本先生が三国志を愛して止まなかった理由は、必然だったのですね。
三国志には、本質的に勝者がいません。無常の物語です。
後漢末に跋扈した英雄豪傑たちは非業の中に倒れていき、魏呉蜀のいずれもが天下統一を成せず西晋が統一、しかしそれも束の間異民族に中華が飲み込まれる…無常が支配する世界です。
三国志の世界に通底する人生の「苦」を浄化するが如く、また神々となった英雄豪傑たちと今の世に生きる私たちとをつなぐ、唯一無二の表現方法としての日本伝統芸能「文楽」を昇華した川本先生による人形劇…それが『人形劇 三国志』。

『人形劇 三国志』自体についても、書籍などから得られる川本先生の個々の人形への想いやウラ話は山ほどありますが、キリがなくなるのでここでは触れません。
川本先生は、ご高齢どこ吹く風で『項羽と劉邦』の人形劇化のため制作を進められていたと伺っていますが、それも永遠に実現されることはなくなりました…。
あーだこーだと書いていたら、やっぱりキリがありません。

川本喜八郎先生最後に、川本先生がお亡くなりになった8/23は、奇しくも『演義』における諸葛亮の命日です。
川本先生は、とくに諸葛亮に想い入れがあったと伺っています。
そんな諸葛亮と同じ日に亡くなられるとは…先生。

※画像は、2007年に行われたイベント『三国志の宴2』で、知人に譲ってもらった漫画家末弘先生による川本先生のイラスト入り色紙。宝です。
[ 2010/08/28 03:18 ] その他雑談 | TB(0) | CM(4)
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