魯粛だけが、荊州の土地を劉備に貸し与え、協同して曹公を拒けるのがよいと、孫権に勧めた。曹公は、孫権が土地を分け与えて劉備の後ろ楯となったとの知らせを聞くと、ちょうど手紙を書いていたのであるが、その筆を床に取り落とした。
(『呉書』「魯粛伝」)
諸葛亮が劉備のそばにあったので、魯粛はその諸葛亮に、「私は子瑜どのの友人です」といい、二人はその場で交わりを結んだ。
(『呉書』「魯粛伝」)
はじめて豫州どのと長阪でお会いしたとき、豫州どのの軍勢は一部隊にも満たず、将来への展望はまったくなく、意気も力もつき果てて、遠くへ逃げかくれたいとのみ考えておられた。
(『呉書』「魯粛伝」)
かつて司空の曹操の座に在った際、曹操はくつろいだ様子で賓客たちを振り返り、「今日の高会(盛況な酒宴)には珍味佳肴が大体揃っているが、ただ松江の鱸だけが足りない」と言った。
左慈は下座から「それなら手に入ります」と答え、銅盤を求めて水を貯め、竹竿を手に取り、針に餌をつけて盤中に釣り糸を垂れると、一匹の鱸を釣り上げた。
(『後漢書』左慈伝)
USHISUKEさんの話によれば、世界観の提示には論者が生きてきた時代背景が色濃く反映されているという。60~70年代であれば安保闘争が、80年代~90年代であれば高度経済成長が、という風に。言い換えてしまえば、冷戦構造による二項対立と言えるかも知れない。
もし、この理屈が正しいとして、だ。その先に述べ得る理論は如何なる時代背景を持つべきか。それは言うまでもない。冷戦崩壊後の多極化、非国家的主体の台頭こそがそうであらねばならぬ。
「三国志」の英雄全員が、負け組なのです。
三国志モノは数あれど、『蒼天航路』の曹操ほどビッグマンだった曹操も未だかつてありませんでした。
かねがね「三国志」とバブル経済やらイケイケ経営者やらを重ね合わせていた『プレジデント』・『モーニング』時代、「何かが妙だ、おかしい」と感じてずーっと首をひねり続けていた
「三国志」とは、バブル終焉後もだらだらと生き延びていたかつての大国が、ドカンと傾いて一気に滅び去っていく、そんな低成長時代を描いたがっかりな物語なのです。
ですから、登場する連中も、がっかりさせられるというか、ろくでもない連中ばかりです。到底、松下幸之助や井深大のような理想的な経営者など、現れるべくもありません。
低成長デフレ移民時代の話である「三国志」と、バブル時代の企業経営を無理矢理にダブらせるなど、まさに亡国の兆し、こんな幻想に酔っている経営者たちは、絶対確実に経営に失敗するに違いない
自民党がぶっ潰され、国民総中流幻想も終身雇用も何もかもがうたかたの夢となり、いまだかつて日本人が体験したことがなかった先の見えない低成長時代が到来した今こそ、日本人は低成長時代の物語である「三国志」に学ぶべき時なのです。
孫権のプライドのかけらも感じさせないのらりくらり日和見外交主義が必要とされているような気もします。…その時々で態度を変え思想を変え、とにかく食えればいいや、という。
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