三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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オレ流・董卓の経済学 

第2回目は、董卓の「オレ流・経済学」です。
皇帝廃立、洛陽消失、人士虐殺etc.様々な面で「オレ流」な破壊王っぷりを見せつけてくれる董卓。
そんな「オレ流」なやり方は、勿論国家の根幹である経済にも及びます。
経済と一口でいっても幅広いので…とくに当時の日常生活、習俗に与えた影響力、さらに歴史的な影響力を考えたときに特筆すべきな、董卓による「貨幣経済の崩壊」を取り上げます。
古代中国には、前漢時代から約300年間に亘って培われた「五銖銭」による貨幣経済が(安定感は欠けるものの…)確立されていました。
しかし、董卓はこの五銖銭による貨幣経済を、ほぼ一個人の判断で、瞬く間に崩壊させてしまったのです。
原因は、五銖銭の濫造による超絶なインフレ、貨幣への「信用」失墜。結果として、貨幣の利用価値が限りなく「0」に近づいたため、誰も使わなくなってしまった…ということです。
董卓による五銖銭濫造の様子は、『正史』にもかなりリアルな記述があります。

(董卓は)五銖銭をつぶして、あらためて小銭を鋳造したが、大きさは五分、模様はなく、穴はあいておらず、まわりに線をつけることもせず、やすりをかけて磨くこともなかった。その結果、貨幣価値は暴落し物価は上昇して、穀物一石が数十万銭にも及んだ。これ以後、貨銭は流通しなくなったのである。
(『魏書』「董卓伝」)


董卓がこのような悪行に手をつけたのは、なぜか?
第一に考えられるのは、後漢朝財政の末期的な状況。
地方豪族の伸張、土地を捨てて流亡する民衆の増加などなどに起因する国家税収の減少、黄巾の乱前後から続く莫大な戦費、一部特権階級の奢侈乱費etc.破綻寸前(…それとも破綻済み?)の国家財政。
独裁的な権力を握った董卓の目の前には、そのような旨みも何もない惨憺たる状況が用意されていました。
絶望的な財政状況を打破するため、董卓は手っ取り早くかつ効果的に思えてしまう方法をとりました。
すなわち、「カネがないなら、作ってしまえ!!」。
…結果は、前述通り…董卓の決断は裏目に出て貨幣価値は大暴落…貨幣経済は崩壊、ご臨終。
第二に考えられるのは、董卓自身の経済感覚のなさ。
董卓は「軍人」です。
彼の軍人としての成功要因は、任侠で培った涼州近辺の人脈と、とくに異民族対策に効果を発揮する軍略。
董卓の中の経済的な素養は、皆無に近かったのではないでしょうか?
董卓の貨幣濫造は、それこそ「ゼニのなかなら作ってしまえばよか!何が悪かとか?」(董卓は辺境の涼州出身なので、多分方言的にはこんな感じだったのかなぁ)くらいの認識だったように思えます。

いずれにしろ、董卓は一国の経済を一時的に崩壊させました。
この貨幣経済の一時的な崩壊は、その後の三国時代にも影響力をもちます。
魏呉蜀の各国は、政策の一環として独自の貨幣経済復興策を講じていました。
中でも良質な銅を多く産出できた蜀は、三国の中ではより安定した貨幣の鋳造が行われていたようです。
弱小国家でありながら数十年間独立を保ち得たその背景には、貨幣経済の相対的な安定というのもあったようです。
もしも後漢以降も全国均一的な貨幣経済が続いていたら、董卓が貨幣経済を崩壊に導いていなかったら…経済的な三国鼎立は、望めなかったのではないか?三国時代はもっと違う形で現出されたのではないか?と思ってしまいます。

[ 2004/04/29 09:24 ] 02:オレ流・董卓 | TB(0) | CM(0)
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