三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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あだなシリーズ4~典韋~ 

今回は、魏の猛将・典韋のあだ名です。
『蒼天航路』では角が生えちゃっている、あの典韋です。
部下の目の前で、う○ちをバケツにしていた、あの典韋です。
典韋のあだ名は、『演義』にて見出すことができます。
人呼んで、「悪来」典韋。
あだ名がついた経緯は、曹操との初対面時のエピソードに遡ります。
夏侯惇が曹操に新参の典韋をお披露目している最中、曹操本陣の大旗が、突風のため倒れそうになりました。
大旗は数人の兵士でも支えきれない、とてつもなく重いもの。
物語の前半で、しかもつまんない理由で、曹操いきなり絶体絶命のピンチ!
そんなとき、典韋はたったひとりで大旗の竿をガッシリと掴まえ、仁王立ちのままピクリともしませんでした。
威風堂々!
前代未聞の典韋の怪力っぷりに、「これぞ古の悪来(あくらい)の再来じゃ!」と曹操は大喜び。
これ以後、典韋は「悪来」の異名で知られるようになり、また曹操の本陣付きの将として抜擢されました。
…ところで、あだ名の由来となった「悪来」とは、何者でしょう?
悪来は、「殷周革命」(紀元前1046年)の頃の人物です。
三国時代を遡ること、約1200年前の人物です。
この曹操の時間感覚、例えっぷりは、はっきり言って異常です。
ためしに曹操の時間感覚を、現代人の立場で置き換えてみると
「あいつの強さってば、ハンパない。『坂上田村麻呂』の生まれ変わりじゃねぇ!?」
と、例えるに等しいです。
他にも例えるべき人物がいるだろうに…。
夏侯惇や典韋にとっては、そんな大昔の「悪来」とか言われても
「はぁ?」
って感じだったに違いありません。
…まぁ、それはそれとして、「悪来」は殷朝最後の王である紂王に仕えた人物で、『史記』「秦本紀第五」には…
「悪来は力が強く、…これらの技能で殷の紂王につかえた。周の武王が紂王を伐った時、悪来も同時に殺された。」
…との記述があります。
滅亡した王朝に仕え、しかも殺されたとは…いくら怪力無双といっても、あだ名の由来としてはあんまり縁起がよいとは思えないですが…まぁ、本人が気に入ったんならイイです。
※ちなみに、「悪来」は秦の始皇帝に連なる家系に属します。ほぼ先祖です。
曹操陣営に参加した後、典韋は、曹操の傍らで対呂布戦を中心に大活躍。
曹操は、典韋のおかげで何度も危機から救われています。
しかし、典韋には早すぎる天命の訪れが…。
宛城での、張繍による不意打ちです。
降伏した張繍の根城・宛城に駐屯していた曹操が、突然寝込みを襲われます。
不覚にも酔いつぶれていた典韋は急を知って、群がる敵兵を斬りまくるは、殴り殺すは…獅子奮迅の戦い。
しかし、最後は絶叫とともに命果てることとなり、昇天…死んだあとも敵兵は近づくことすらできなかったといいます。
『演義』全120回のうち第16回目で物語の舞台から突然降りることとなる、「悪来」典韋。
その怪力と威風堂々とした存在感の強烈さによって、早すぎる死も吹き飛ばすくらいの強い印象を私たちに与えてくれている、稀有な武将ですね。

AUTHOR: 御名方武司 URL: http://www1.odn.ne.jp/~aau27620/ DATE: 06/05/2004 00:16:46 はじめまして、御名方武司と申します。

「悪来」というあだ名のことについて、私も興味があったのですごく面白く読ませていただきました。

故・横山光輝先生の漫画「殷周伝説」14巻目にやっと「悪来」さんが登場いたしましたが、そんなに強そうじゃなかったですよ。(^_^;)

またちょこちょこ遊びに来ますね!
ではでは。
[ 2004/06/01 23:17 ] 01:あだなシリーズ | TB(0) | CM(0)
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