「高順??誰、それ?
高田順次?」というかた、いらっしゃいますか?
漢字、間違えてますよ。
高順は「武」の頂点に君臨する呂布率いる軍団の中でも、とくに際立つ武勇を誇った武将です。
攻撃した相手を必ず打ち破った、ということからついたあだなは…
ズバリ「陥陣営」!
カッチョエェ!!
こんなカッチョイイあだなは、そうそうないですよ。
現代なら、狙った異性は必ず口説き落とすあの人とかのあだなに、ピッタリ。
高順自身の戦歴を調べてみると、『正史』には記述がとても少ないのですが…
★198年、沛城に籠もる劉備を猛攻して落城させます。落城後、劉備は単身での逃亡を強いられました。
★同時期、劉備を救援に来た夏侯惇をも鎧袖一触。
高順自身の敗戦の記録は、『正史』にはありません。
あだなに違わずまさに負け知らずで、呂布軍での実績は群を抜いていたようです。
しかも、高順は戦争に強いだけでの武将ではありません。
人間としての資質も、そうとうなものだったようです。
酒は飲まない!贈物は一切受け取らない!という、まさに清廉潔白そのものの人格者。
また、呂布への諫言も物怖じすることなく口にします。
「もうちょっと頭使えよ!
ばかちん」といった感じの諫言だったようですが、まさに呂布のためを思った忠義のあらわれですね。
さらに、疑心暗鬼に陥った呂布に疎んじられるようになっても恨みがましいことを一言も発せず、呂布軍麾下としての忠勇を存分に示し続けました。
しかし武将の鑑のような高順も、呂布に寄り添うように同じ末路を辿ることになります。
『後漢書』には、呂布軍の軍師・陳宮とともに、裏切り者の魏続や侯成らに捕縛され、
曹操に突き出される…という記述があります。
裏切り者が降伏の手土産に選んだということは、高順が呂布軍における「要」だったことを物語っています。
そして捕縛された高順は曹操の前で一言の弁明もせず、粛々と処刑されます。
『三国志』前半、「武」の時代を吹き抜けた一陣の爽やかな風…それが高順でした。