第3回目は、京都府京都市にある教王護国寺、いわゆる「東寺」におわす兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)像です。
私が初めてこの仏像を目にしたとき、頭に閃いたコトバは「エキゾチック・ジャパン!」(byひろみ郷)。
閃きとは異なり実際は、Made in Japanではなく中国伝来の仏像ですが…。
仄かに異国情緒が漂っているのは、生産国の違いということです。
そして全体に漂う洗練された都会的感覚とか、日本人の体形とは異なるデルモばりの長い脚(8頭身&腰~脚>頭~腰というナイスバディ!)とか、完全にイケメン的条件を兼ね備えています。
イケメン仏像。
トバ様。
さらに、兜跋毘沙門天像はイケメンなだけでなく、元来の位置づけが「王城警護の武神」。つまり、王朝の守護者としての軍人・武人としての役割をもつ「武闘派」でもあるのです。
そんな、「イケメン武闘派」の兜跋毘沙門天には、呉の周瑜がピッタリ。
大きく見開いた眼と、ギョロリとした黒玉の瞳は、
曹操の威圧外交に屈することなく孫家の論調を「開戦」にもっていき、「赤壁の戦い」での大勝を導いた彼の意志の強さを表現しています。
また、兜ではなく「四面宝冠」を頭上に戴きつつも、荘厳な「金鎖甲」という甲冑を身に纏い臨戦態勢を整えている姿は、政治家以前に軍略家であり武人である周瑜の本質を捉えています。
揚州を根城としつつ荊州、益州から涼州を奪取して、曹家VS孫家のガチンコ「二国志」を創出するという、繊細にして大胆な戦略を構想していた、その気宇の壮大さを感じることもできますね。
さらに、デルモばりの容姿と微妙な腰のひねり具合からは、「美周郎」と称される周瑜のセクシーさが醸し出されています。

あ!あと、兜跋毘沙門天像の足元には、彼を支える地天女と、その両脇には二鬼が顔を覗かせていますよ。
地天女は周瑜を陰日向で支えた小喬、そして二鬼は孫策、孫権兄弟でしょうね。
『演義』ではとくに孤軍奮闘する周瑜像が描かれがちですが、彼は親近者の愛情に囲まれて一生を送った幸せな人物だったと思いますよ、私は。

--【「兜跋毘沙門天像」の豆知識】
京都府京都市にある、「世界遺産」にも指定をされているお寺。
「鳴くよ(794)ウグイス」平安京遷都に際して、796年に建立された官寺です。
兜跋毘沙門天像だけでなく、「国宝26件78点、重要文化財53件23592点」という超絶無比な数の貴重な仏像や建造物が保存されており、お寺界のhttp://www.geocities.co.jp/Hollywood-Spotlight/5605/laugh3.html" TARGET="_blank">BIG3に入るくらいのネームヴァリューをもっています。
↓「教王護国寺」の詳細はコチラで。
http://www.jalan.net/kanko/SPT_150442.html" TARGET="_blank">http://www.jalan.net/kanko/SPT_150442.html
※今回使用した「兜跋毘沙門天像」の写真は、『神仏のかたちシリーズ? 四天王』(学習研究社刊)より引用しています。