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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

中国旅行から~其の四~ 

今回は第4回目ですが、「中国旅行から~其の弐~」の補足です。
「中国旅行から~其の弐~」で書いていました…
[ 2004/12/02 02:34 ] 三国志之旅 | TB(0) | CM(2)

農耕ではなく採取・狩猟を生業としていたと考えると…よく見聞きする「山越の叛乱」は単純に「食料の多寡」の影響が大きかったのではないか?と思えてきます。

[ 1970/01/01 09:00 ] [ 編集 ]

…について、少し分かったことがあるので追記します。
「山越の叛乱」と「食料の多寡」には、やはり相関性があるようです。
『真・三国志 第2巻』(学習研究社刊)に、後漢時代の「http://www.rakuten.ne.jp/gold/keitai/rakuten_subimage/200304/23/katochan/KHN/daisi.jpg" TARGET="_blank">蛮(主に荊州南部に広く盤踞した勢力)」による叛乱の数を、季節別に見た割合が掲載されています。
それによると
http://mall.curio-city.com/curioshop/shop/00513/0025201.jpg" TARGET="_blank">春:10%
http://www.jorf.co.jp/program/images/kayou_main/image3.gif" TARGET="_blank">夏:7%
http://www.kennichi.com/news02/Dec/n021226.JPG" TARGET="_blank">秋:31%
http://www.hoshinoko.co.jp/mem/g-iida/i-da05.jpg" TARGET="_blank">冬:52%
といった割合で、とくに秋冬に叛乱が頻発していることが分かります。
稲作地帯における秋冬は、収穫直後にあたる季節。
つまり、平地における米の収穫期後を見計らって、山越は大挙して山を降り、略奪により米を入手していたことが想像できます。
食糧源として、採取・狩猟の占める割合が比較的高かったであろう「山越」にとって、食糧を補う意味でも、また貴重な保存食としても米の重要性は高かったことでしょう。
一方、山越の略奪に晒される民にとって、大切な主食の防衛は必須の要件だったに違いなく、山越撃退は為政者への求心力を維持するための重要なファクターとなっていたことでしょう。

以上、「叛乱」と「天候不順の年」との相関性は未だわかりませんし、DATA的に厳密には「蛮」と「山越」といった勢力の違いこそありますが、とりあえず参考にはなりそうな情報でした。


[ 1970/01/01 09:00 ] [ 編集 ]
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