三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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関興のお母さん 

1か月半くらい前の記事「『三国志』であなたの贔屓は魏?呉?蜀?」で、バナナ牛乳さんからコメントをいただいていた…

一方で、関興はどんな方との間に生まれたのかも気になったりして…。

について少しわかったことがあるので、今回はそれを。
ネタ元は、たまたま神保町で見つけた
『関羽伝』(今泉恂之介著/新潮選書)
という書籍です。
(神保町といえば、「ボンディ」というカレー屋さんが美味しいです。先月はエビカレーを3回喰べました)
この書籍、『正史』など信頼性の高い資料を元にしたものではなく、関羽の故郷に住む郷土史家へのインタビューなどがメインだったりするので、内容的に怪しい部分も多いのですが…とりあえず。

『関羽伝』の記述によると…
関興は、関羽が19~27歳の間に産まれた次男坊です。
関興のお母さんは、胡氏という女性。
関羽は、17歳のときに胡氏と結婚し、翌年には長男・関平を儲けたようです。
関平は『演義』のように養子ではなく、関羽の実子ということですね。
それにしても、17歳の結婚ということは、現代だと高校生同士の結婚。
「3年B組金八先生」(シリーズ第1作)で、杉田かおるが高校生ながら妊娠、出産した…そんなシーンを私は思い出しますが、全く無関係、脱線スミマセン。

さて関平に続き、179~187年の間に、次男坊・関興も誕生。
関羽と胡氏は、関平、関興という2子に恵まれ、くは幸せな生活を送ります。
しかし、関羽家の幸せな日々は、長く続きませんでした。
関羽は、劉備、張飛と出会う188年までに、殺人など何らかの罪を犯し故郷を追われてしまうのです。
出奔した関羽が幽州涿郡に流れ着き、そこで劉備、張飛と出会い、後漢末の乱世に身を投じていくのは周知の通り。

関羽が出奔した後に残された胡氏と関平は、胡氏の実家に身を寄せて暮らすことになります。
が、どういうわけか関興はそのまま司州河東郡解県(現・常平村)に残り、村人に育てられたそうです。

『関羽伝』で、関興のお母さんについてわかることは、ここまで。
とりあえず、関興のお母さんは
★名前は、胡氏
★関羽が17歳のときに結婚
★長男・関平と同じお母さん
★関羽とはごく若い頃に離れ離れに…
(★杉田かおる似)
ということがわかりましたね。
今回の内容に関して、虚実の探求は別次元の問題ですので、あしからず。

AUTHOR: バナナ牛乳 URL: http://blog.goo.ne.jp/milk_banana DATE: 12/10/2004 18:42:29 USHISUKEさんありがとうございます!
じっくり読ませていただきました。
信憑性がなくても、一説として胸にとどめておきます!
いろんな説があって真実が謎なのも三国志の魅力ですね。

ところどころのリンク文字、押すのが楽しみのひとつでもあります。
杉田かおるナイス!

[ 2004/12/10 02:21 ] トリビア三国志 | TB(0) | CM(0)
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