今日は以前から観たかった
映画『ジャンプ』をDVDレンタルして、観ました。
原田泰造、イイ演技していますね。
♪は~ら~だ~たいぞうです!♪
とか言っている原田泰造とはちょっぴり違いますね。
ああいうナチュ
ラルな感じは、過剰な演技に食傷気味な中、ホッとさせられます。
…ということで、今回は塩と関羽について。
関羽の出身地である司州河東郡解県は、
「解池(塩池)」という池で生産される「解塩」によって古今通じて有名な土地です。
「解塩」は、
「塩と三国志 ~第1回~」で書いた5種類の塩の中の「池塩」にあたります。
古代王朝の殷も周も、まずこの解池を支配したし、秦の始皇帝の覇業は、この解池を奪取したことで加速したといいます。
また現代でも、解池での塩の生産量は中国全土の74%を占めるといいます。
中国において、古今東西、こんなにも強烈な影響力を持つ解池の塩。
それだけに解池近辺で生活する者は、その人生で多かれ少なかれ必ず解塩と関係を持つことになるともいいます。
長い前置きはここまでにして、関羽のお話。
『蜀書』「関羽伝」のしょっぱなにあるように
(関羽は)本籍から涿郡に出奔
して、後に劉備や張飛と出会うことになります。
が、肝心の「出奔」しなくてはいけない程の何が起こったのかは、推測するしかありません。
冒頭に触れた『ジャンプ』も失踪者のお話だったんですが、「出奔」するからにはそれ相応の原因が関羽にもあったに違いないのです。
ここで、関羽の出奔に関して、彼の出身地に近い解池の塩が絡んだ伝説が生まれました。
伝説の内容は、以下の通り。
…関羽が19~27歳の頃、解県に悪徳な塩の密売商人・呂熊という人物がおりました。
呂熊は札付きのスケベさんで、数多くの女性を手籠めにしていたのですが、遂に彼に逆らい自殺する女性が出てしまいます。
ここで立ち上がったのが、若き日の関羽その人。
暗夜、彼は刀を片手に呂熊の豪邸に押し入り、一家全員皆殺しにします。
血脂でボロボロの刀を下げ、全身血まみれになって帰宅した関羽。
そんな我が子を見て、関羽の父母は「義による行動だ」と認めます。
ただ、すぐにでも差し向けられるだろう追っ手から逃げねばならず、足手纏いになってはと、父母は井戸に身を投じて死んでしまいます。
関羽は自宅の壁を押し倒して井戸を封じ、出奔…2度と故郷に戻ることはありませんでした、
とさ。
以上の伝説は、
以前にも出典として紹介した『関羽伝』(今泉恂之介著/新潮選書)からの引用です。
他にも塩商人の用心棒をしていた関羽が人を殺し、出奔した…などの伝説もあるようですが、いずれにも解池の塩が関わりを持つところが、ならではな感じです。
出奔後、関羽は常在戦場約3、40年。
故郷・解県より遠く南方、荊州南郡臨沮が彼の終焉の地となります。
斬首後、関羽の首は孫権から曹操に送られ、曹操により丁重に葬られます。
関羽の塩漬けの首…
私がモノ書きだったら、首を漬けたその塩は、関羽の故郷・解池(塩池)産の塩ってことにしますね。
若かりし頃故郷を出奔して以来、長い長い人生の旅の果て…故郷の匂いのする「解塩」に包まれて安らかな眠りにつく関羽…そして後世、故郷・解県の塩商人たちによって「関帝」として神格化され、民衆に浸透していく…
そんな三文小説家の駄作のようなクライマックスに。