日曜日夜、教育テレビで放送された
スーパー歌舞伎『新・三国志 完結篇』…圧倒されました。
魏将・謳凌なる架空の英雄を主人公に織り成す、歌舞伎と京劇が一体となったような三国志絵巻。
昨夜観るまで興味のなかった自分を呪いましたよ…観に行きゃよかった。
さて、今回は「塩と三国志」の3回目です。
魏呉蜀の三国中、最も塩との関係性に面白味があるのは、蜀だと思います。
なので、今回は塩と蜀について書いていきます。
劉備は益州を平定した後、すぐに「塩府校尉」という官職を設置しました。
塩府校尉は、蜀全域の塩、鉄を一手に
監督させ、国庫の増収に寄与させるための官職。
劉焉、劉璋政権では存在しなかった官職の新設は、劉備政権の卓越した行政眼とともに、蜀における塩の重要性を明らかにもしてくれます。
「塩府校尉(=司塩校尉)」として劉備政権首脳陣の期待に大きく応えたのは、王連という人物。
王連は塩によって名を挙げたという、三国志の中でも稀有な経歴の持ち主です。
『蜀書』「王連伝」に曰く…
(王連は)司塩校尉に昇進し、塩・鉄の利益を全面的に管理し、国庫の収入がひじょうにふえ、国の予算に利するところがあった。
…と、彼の業績はとくに蜀創業期における国庫増収面で大絶賛されています。
このような塩を重視する政策は蜀の国是のようになり、劉備没後も諸葛亮により継承されていきます。
諸葛亮の南征及び南中経営にもまた、塩が大きく関係しているようなのです。
『漢書』「地理志第八上」を繰ってみると、雲南一帯は
★越スイ郡・定筰(現四川省・塩源県)
※「塩源」という現地名が特産物としての塩を如実に表していますが、塩源県の近くには塩辺県という地域もあるみたいです、地図を見ると。
★雲南郡・姑復(現雲南省・永勝県)
★建寧郡・連然(現雲南省・安寧県)
といった各地で、塩が豊富に採取されていました。
諸葛亮の南征では、こういった塩を産出する各地を押さえることを、南征後の南中経営では、塩の専売権を握ることを徹底してもいました。
例えば、南中経営のエキスパート・張嶷が、赴任先の越スイ郡で行った数少ない強硬的政策に、原住民からの塩、鉄の専売権奪取があることからも、それは類推できます。
以上のように、蜀は塩によって栄えたという側面をもち、両者は切っても切り離せない関係だったってことが見えてきました。
…と、何故このように私が塩と蜀について、読者のみなさんが半ば引くくらいに熱く書き殴っているかというと…罪滅ぼしなんです。
本BLOG
「人物列伝其の3 張嶷」で
トンチンカンな文章を書いていたのです、私。
南中は、塩や鉄を多く産する希少な土地柄。
海洋に接していない蜀にとって、生活必需品かつ恐らく供給不足に悩まされたであろう塩、そして戦争や農耕に欠かせない鉄の供給を行なうことができました。
「塩と三国志 ~第1回~」でチラッと書いていた「日本人ならではの感覚を三国志に持ち込むと、歴史認識に誤りが生じてしまう好例」とは、まさにこのこと。
海洋に接していようがいまいが、内陸部でも塩は産出されるのです。
なので「供給不足」というよりも、「安定供給とともに国庫増収」の方に重きを置いた政策だった…というのがより適確な解釈だと、今は考えています。
反省。