三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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東南アジア的士燮論 ~後編~ 

「サンボマスター」「銀杏BOYZ」の新譜を買い漁り、モッシュさながらの熱気に包まれて書いています…性春クソ喰らえ!USHISUKEです。
さて、前回の続きです。
豊穣なる地かつ南海交易の拠点・紅河デルタを中心として、後漢末の荒波を巧みな舵取りで渉り続けた士燮の半独立国家。
さらに、士燮の活動をヒデ中田よろしく俯瞰で眺めてみると…東南アジアにおいて、1世紀以降という国家群が芽吹き始める時期との関連性が、ムズムズと気になってきます。
当時の東南アジアに興っていた国家群を概略的に記すと…

★現ミャンマーを流れるエーヤワディー川域には、上流域に「驃(ピュー)」が、下流域に「撣(タトゥン)」が勃興。
→ミャンマーと交州…一見関係ないように見えますが、紀元前より雲南地方と紅河デルタ地帯とは紅河を通じて往来があったとのこと。
エーヤワディー川を遡って蜀に至るルートとともに、さらに南シナ海へ抜けるルートも考えられるでしょう。
★192年に交州の最南端・日南郡の地方役人・区連(区隣、区達、区逵とも)の叛乱によって興った「林邑(チャンパ王国)」。
★229年頃、孫呉が朱応、康泰という人物を使節として派遣したという、南ヴェトナム&カンボジア一帯に勢力を張った「扶南」。

…いずれも1、2世紀に興り、中華圏で三国時代に当たる時期にも勢力を伸張させ続けた国家群。
各国家が後漢朝のたがの緩みを利用して頭をもたげ、かつ陸路、海路を通じて北方の中華圏と接触を持ち、文明の流入を図っていたことは、想像に難くないです。
これら東南アジア国家群を地図に置いてみると…中華圏との交易ルートの首根っこを押さえているのは、紛れもなく士燮率いる半独立国家。
紅河デルタの国際色豊かな様は、次のような文章にも見出せます。

彼の乗る馬車の左右につき従って香を焚く胡人がいつも数十人ほどいた。…いつも献上される種々の香や目の細かい葛布が数千という数にのぼり、明珠(真珠)・大貝・瑠璃・翡翠・瑇瑁、犀の角や象牙などの珍品、見たことのないような物や珍奇な果物、芭蕉(バナナ)や椰子や龍眼といった類が、呉にもたらされぬ歳とてなかった。(『呉書』「士燮伝」)

「胡人」とは通常「西方の異人」を指すので、おそらくインド人やアラブ人…ひょっとしたらローマ人だったかもです。
後漢末以降の大乱世の中で長期政権を維持できた辣腕ぶり、雲南地方で起こった雍ガイの叛乱の際に、孫呉と叛乱軍のブローカーを務めた抜け目なさが示すように、独特の政治・外交に関する嗅覚と図々しいまでのバランス感覚を持っていただろう士燮。
東南アジアから中華圏への玄関口のような地勢を活かして、巧みに成した東南アジア、そしてその背後に広がるインド、中近東、ヨーロッパとの交易も、士燮は自らの半独立国家に寄与させたことでしょう。

2回に亘ってご紹介してきましたが、士燮…私は、買い被りでしょうか?

[ 2005/01/19 02:25 ] 辺境三国志 | TB(0) | CM(0)
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