私、先週末に今冬初のスノボを満喫してきたのですが…
みなさん、「2割増しの法則」ってご存知ですか?
スキー場では雪やらウェアやらの影響で、異性が2割増しでステキに見えるという、恋愛の教科書に掲載されている法則です。
んー…ときめきたいったらありゃしねえ!
こんにちは、USHISUKEです。
前回初登場の趙嫗(イエローキャブ所属)について、主に
『物語ヴェトナムの歴史』(小倉貞男著/中公新書ワイド版)
をタネ本にして書き連ねていきます。
趙嫗は、ヴェトナムの人民に「バ・チュウ(チュウ夫人)」として今でも敬愛されている有名人。
40年に大規模な叛乱を起こし、後漢朝より一時的な独立を果たした徴姉妹(ハイ・バ・チュン)に次ぐほど広く知られている女傑だそうです。
そんな趙嫗が、兵を挙げ叛乱を起こしたのは23歳のとき。
「嵐に乗って、海のサメを殺し、侵略者を蹴散らかし、祖国を復活し、民衆を農奴のくびきから解き放つ。侵略者のいいなりにはならない!」
と、なぜ侵略者(孫呉)を蹴散らす前にサメを殺しにいくのか謎は残りますが…兎にも角にも声高に宣言するや、自ら戦場に向かいました。
黄色の衣を身に纏った趙嫗は、数十?ものなが~い乳房を肩に背負い(!)、巨象に跨って戦場を疾駆し、九真に駐屯する呉軍を次々に撃破。
その様は、戦場に舞い降りた死の天使…戦慄した呉軍の兵士は「麗海婆王」と呼び恐懼します。
しかし、陸胤が鎮圧軍として赴任するや、趙嫗の快進撃もピタッと停止。
陸胤率いる鎮圧軍と趙嫗率いる叛乱軍との数か月に亘る激戦の末に趙嫗は敗れ、遂に殺されてしまいます…南無。
約1,750年を経て現代までも伝わる、巨乳女将(「おかみ」ではなく「じょしょう」ですよ)・趙嫗(バ・チュウ)の叛乱…その歴史的な意義とは?
それは、趙嫗の叛乱がヴェトナムで女性が率いた最後の叛乱であり、そのことはとりもなおさずヴェトナムの土着的な女系社会が、中華圏的な男系社会に飲み込まれていく過程で起こった事件であることを表しています。
儒教が覆い尽くす中華圏は、その家父長制的なバックグラウンドにより、自ずと男系社会を構築します。
次第に中華圏の勢力や文化、文明に侵食される祖国の国土と文化を憂う、ひとりの健気な女性。
その姿にどの時代のヴェトナム人民も共感を覚え、趙嫗の自立的な精神に敬意を示してきたのではないでしょうか?
ハノイやホーチミンには「バ・チュウ通り」「バ・チュウ市場」など、今でも趙嫗を偲ぶ名称がアチコチに残っているそうです。
私は未だヴェトナムへの渡航経験がないので、機会があればバ・チュウの残り香を追ってヴェトナムに上陸したいと思っています。
AUTHOR: KJ
URL: http://sangoku.lib.net/apl/blog/
DATE: 01/26/2005 01:22:06
なるほど、巨乳だったからイエローキャブ所属ってことだったんですね。しかも肩にかつぐとは・・・。
それにしても、大きな権力やらに屈せず意を貫く姿ってのは、どこでも人々に受け入れられるんですね。おもしろかったです。
AUTHOR: KJ
URL: http://sangoku.lib.net/apl/blog/
DATE: 01/26/2005 01:22:06
なるほど、巨乳だったからイエローキャブ所属ってことだったんですね。しかも肩にかつぐとは・・・。
それにしても、大きな権力やらに屈せず意を貫く姿ってのは、どこでも人々に受け入れられるんですね。おもしろかったです。