「建安の疫病大流行」について、まだ書きますよ。
前2回で
「建安の疫病」≒「腸チフス」説
に至っ
たわけですが、あと2回くらい使って他説の可能性に触れたり、言い訳したり弁解したり申し開きしたりしようと思っています。
今回は、戸隠かれんさんからコメントをいただいていた「寄生虫」説について。
一口に「寄生虫」といっても、目黒に寄生虫館が建つほど世の中には多種多様の虫たちが蠢いているんですが…とくに赤壁の戦いでの「疫病」の原因として注目されている寄生虫「住血吸虫」について突っ込んでみます。
◇◆住血吸虫説◆◇
この説の出典は
『三国志新聞』三国志新聞編纂委員会編/日本文芸社刊
です。
その内容は、以下の通り。
おそらく住血吸虫病の一種でしょう。秋に感染して1か月の潜伏期間があり、体内で卵が孵化して発病すると、高熱が出て、死に至ることも少なくない。南方人は免疫を持っているが、北の人たちが長江中流に長期間滞在すると、発病する可能性が高い
多分、ここでいう住血吸虫とは「
日本住血吸虫」(写真)のことだと思います。
1972年以降、歴史的な発掘が相次いだ「
馬王堆」(湖南省長沙)では、
日本住血吸虫症の虫卵も女性の遺体から発見されている(リンク先の下から6段落目くらいに関連記述アリ)ので。
※ちなみに2,000年以上経た現代でも、長江近辺では相変わらず日本住血吸虫症が、人民を悩まし続けているそうです。
一見、もっともな説のようにも感じますが…この「住血吸虫説」で私が疑問に思ったのは、以下の2点。
1.発症後半年未満でホントにバタバタ人が死んじゃうのか?(「半年未満」というのは、曹操の荊州侵攻開始が7月で、赤壁の戦いは12月頃だから)
2.日本住血吸虫症の免疫って、再感染にどの程度効果を発揮するのか?
といっても、世の中の約99%の人と同じように、寄生虫のことなど何にもわかりゃしません。
そこで、私が小学生の頃、特痛ビンタを喰らった4年2組の担任山田先生が言っていた通り、兎に角わからないことは詳しい人に聞いてみました。
プルプルプル…がちゃ。
USHISUKE(以下、U)「…もしもし、目黒寄生虫館でしょうか?」
寄生虫館の人(以下、虫)「はい、そうですが」
<略>
U「日本住血吸虫症には発症後に『急性期』と『慢性期』とあるそうですが、それぞれの具体的な期間を教えてください」
虫「感染して1か月くらいすると発症して、『急性期』は大体1年以内ですね」
U「『急性期』と『慢性期』とでは、どっちが死にやすいんですか?」
虫「『慢性期』ですね。『急性期』ではほとんど死にません」
U「日本住血吸虫症には、免疫があるそうですが…」
虫「そうです」
U「免疫のある人はどれくらい罹りにくいんですか?」
虫「ウィルスの抗体ほど強い抗体ではないので、再感染は当然起こりますよ」
U「ありがとうございました!」
…さすがは専門家。
突然の電話、しかも土曜日の朝にもかかわらず、淀みない清流のようにひとつひとつお答えいただけました。
はっきりしましたね。
「日本住血吸虫症(寄生虫)」の影響はゼロではありませんが、曹操遠征軍の多数の官吏士卒を死に追いやった「疫病」の主原因とはなりえません。
長くなりましたが、次回は「発疹チフス説」について触れるとともに、いい加減に締めくくりたいと思います。
--今回の記事の参考資料
川に入ると皮膚を突き破って進入してくるなんて、痛すぎるぅ(泣)。
あんなのが麗しの美周郎さまのお尻にっ!!(違)
・・・取り乱してすみません。
潜伏期間が長いんですね。
それじゃあ、赤壁には間に合わないですね。
ひとつ勉強になりました。
それにしても。
目黒寄生虫館に直接電話してしまうUSHISUKEさんの実行力。
見事なもんです。