三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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「魏諷の乱」の裏側 ~第3回 誰がために叛くのか?~ 

突然ですが、最近『一騎当千』という“萌え系”コミックスを集め始めたUSHISUKEです。
三国志の人物たちが現代の女子高生になってドカンバキンとバトルしまくる、とんでもない内容の漫画。
主人公が「孫策伯符」という名の女子高生だったり…「発想の転換」だとか「アイディアは模倣の連鎖」だとか、ホントにその辺のスゴさを実感させられる設定、内容です。
絵がとっても上手だったりもするので、あーだこーだ言いながら買い続けますよ。
三国志を極めるためには萌えもしますよ…手段は選びません。
今、私の家の本棚では、激烈硬派な心のバイブル『毛沢東選集』全5巻の隣に…萌え。
三國志道はイバラ道…深遠極まりない萌え道と心得たり。

と、今回は前回の続きで
魏諷は何故叛いたのか?
その真意に迫ってみたいと思います。
では、早速「魏諷の乱」の真意について「外因」と「内因」の両方向から攻めてみることにします。

◇◆「魏諷の乱」を外因から読み解いたり◆◇
当時の社会的環境から、「魏諷の乱」の真意を読み解こうとした場合。
魏諷のクーデター未遂が起こる219年9月直前の出来事をザッと並べてみると…

219年5月 劉備が漢中を完全支配下に。
219年5、6月 孟達、劉封が漢中と荊州を結ぶ上庸一帯を制圧。
219年7月 劉備が漢中王を称し、「漢朝復興」を掲げる。
219年8月 関羽が荊州を北上し、樊城を猛襲。于禁を捕虜とし、龐悳を斬殺する。


…魏諷のクーデター未遂が起こる219年は、劉備がその生涯で最も光り輝いていた年。
漢朝復興を旗印とする蜀(劉備軍)の怒涛の進撃は、少なからず魏を震撼、動揺させはしたでしょう。
曹操が遷都を考えた…というのも、あながち偽りでないかもしれません。
ただしだからといって、叛乱を計画する魏諷にとって
★劉備とのコネクションの欠片も見当たらない状況で、蜀へ内応するメリットはとくにない
★魏臣以前の経歴が不詳の彼は、そもそも「漢朝復興」の大義と何の縁もゆかりもない
状態であるため、「蜀への内応」「漢朝復興」が「魏諷の乱」の真意を読み解くカギにはなりえそうにありません。

◇◆「魏諷の乱」を魏諷自身の内因から読み解いたり◆◇
社会的環境が主要な引き金となりえないとしたら…魏諷が抱いていた叛乱の真意って??
叛乱の真意について触れている記述はいずれの書籍にも見当たらなく、いまいちハッキリしないんです…でもこのことを逆手にとると、真意が見えてこないということは、魏諷の中で確固とした叛乱の理由がスッポリ抜けてしまっていた…とも考えられなくないですか?
つまり、人々を扇動し、組織化する能力に長けていた彼が「失敗者」となってしまったその原因は、「叛乱を牽引するための決定的な動機や理想・大義」が魏諷の中で抜けてしまっていたからじゃないかと、私は考えています。

「魏諷の乱」に連坐して処刑された劉偉という人物がいたのですが、彼と魏諷とのお付き合いについてお兄ちゃんの劉ヨクが苦言を呈した際のコトバが、『正史』には載っています。
この劉ヨクのコトバは、魏諷に対する当時の評価を端的に表してもいます。

わしのみるところでは魏諷は徳行を修めずに、もっぱら人集めをつとめとしており、花はあっても実がない。彼はただ世の中をかき乱し名前を売るだけのやつじゃ。
(『魏書』「劉ヨク伝」)


魏諷が「叛乱」という華々しい行動に向かって活動していたことは、冷静な他者の目には「人集め」としか映っていなかったようです。
「人集め」としてしか見られていないのは、魏諷が邁進していた扇動、組織化が、結局叛乱のための「手段」を越えて「目的化」してしまっていたためじゃないか?…と、私は想像するのです。
魏諷が自らの扇動、組織化の異能に酔い、過信し、肝心の叛乱の目的が練り込まれないまま叛乱計画が露見してしまった…という構造。
だからこそ、叛乱という重大な事柄にも関わらずおじけづいたひとりの人士によって、いとも簡単に崩壊してしまったとも…。

そして、魏諷自身の内因から読み解けるだろうことをもうひとつ。
それは魏諷自身の能力への過信に伴う、実際の地位の低さへの鬱屈とした気持ちと更なる表舞台への野望。
官職を1~9品に区分する「九品官人法(『魏諷の乱』の翌年に施行された人事制度)」で仮に判断した場合、前回の記述に出てきた「西曹掾」という彼の役職は、7品程度の比較的下級の役職でした。
魏諷が自負する自身の能力に比して圧倒的に低い地位。
「…この状況を打破して歴史の表舞台に立つには…」
という想いが、能力過信気味になっていた魏諷の胸を去来したことは想像に難くありません。

…以上から、最終的には極めて魏諷の利己主義的側面が強く出る感じになってしまいますが

Q1.魏諷はなんで叛乱なんか起こしたの?
A1.自らの扇動能力を過信して、歴史の表舞台に躍り出る機会を作り出したかったということに尽きそうです。


という結論に達するわけです。

では、大いなる理想に欠けた魏諷の利己主義的な行動に、「高官の子弟ら」は何故参画したのでしょうか?
一体彼らは優秀なアジテーターである魏諷に、どのような点を突かれてアジテートされたのでしょうか??
次回は、その辺を明らかにしてみたいと思います。
何だか、固いなぁ…このテーマ。

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