三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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「魏諷の乱」の裏側 ~第5回 「九品官人法」のせい~ 

そう、『民明書房大全』のこと。
まだウブちゃんだった頃、『魁!男塾』で目にする古今東西様々な武術に関する「トリビア(またはボツビア)」ネタに、私はいつもドキドキしていました。
中でも最も衝撃を受けたのは、「かやくご飯」の起源について触れられていたこと。
「かやくご飯」って、中国の武術家が自らの敗北を悟ったとき、敵も道連れにすることを目的とした一世一代の最終奥儀のための仕込みだったんですよ!
最終奥儀は一日にしてならず…幼少の頃から「爆火硝石」などの粉末を3度の食膳に混入し、体内に徐々に蓄積。
言うまでもなく、この食膳が文字通り「かやくご飯」の起源です。
そして、いざ有事のとき、奥歯に仕込んだ「発火マグネシウム」を噛み砕き、蓄積していた体内の火薬と化学反応を起こさせて自爆!
敵共々死に至るという…その壮烈さたるや、極まりなし。
と、このようなネタを興奮しつつ友だちに共有しようとして、とてもバカにされたものです…。
懐かしさとせつなさとしょっぱさと

毎度長くなる前置きは終えて、以下本題に入ります。
前回までで
魏諷と魏の「高官の子弟ら」との接点が、「九品官人法」という新人事制度にあるんじゃないか?
というところまで書いてきたので、今回はその続きです。
「九品官人法」の存在が、何故「高官の子弟ら」を魏諷の乱への加担に走らせたのか?
そこを明らかにしていきたいと思います。

◇◆「九品官人法」とは?◆◇
そもそも「九品官人法」って何よ?…というところから。
「九品官人法(きゅうひんかんじんほう)」は、220年2~9月の間に発布された新人事制度のことです。
制度化を牽引したのは、魏の重臣・陳羣。
220年1月の魏王・曹操の死から、220年10月の「漢魏革命」に至る激動の時期に発布されました。
この新制度の特色は、官職を1~9品の9つに区分し、同時に人材の評価も9つのランク付けで行うことにあります。
人材の評価(登用時の評価)と登用後の官職(キャリア)が連動する、かなり合理的なシステム。
※実際は「貴族制」の温床となったり、弊害が多発したりもするんですが…。

そしてこの制度の主な目的は…
★後漢から魏へと政権が移行する際に、後漢に仕えた官僚たちの能力と魏に対する忠誠度を見極めて、旧王朝(後漢)の人材を新王朝(魏)に吸収すること。
★漢代の人材登用制度「郷挙里選制」では、地方の有力者の主導で官僚の推薦が行われていたが、これを政府主導に引き寄せること。
★漢代の「徳行主体」の人事基準から「能力主体」へと移行すること。
…などでした。
(以上、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などより)

◇◆「九品官人法」が魏の「高官の子弟ら」に与えた脅威◆◇
「漢魏革命」と密接に関わって制定された新人事制度。
旧王朝である後漢の官僚を、新王朝である魏に吸収するための審査を主な目的とするならば、魏の臣である張泉や王粲の2子たち「高官の子弟ら」には関係ないじゃないか?と一見思えるのですが…

問題になるのは、(「九品官人法」の)目的は漢朝官僚に対する審査にあるが、魏国の官僚も同時にこの審査を受けねばならなかったか否かである。恐らく…魏国の現官僚も一応はその審査の対象とされたことであろう。
(『宮崎市定全集6 九品官人法』宮崎市定著/岩波書店刊 P93)


ココ!
ココがキモです!
新人事制度「九品官人法」は、新王朝である魏の臣をも“一応”とはいえ審査の対象としたであろうこと。
新王朝への任官に関しては、魏の臣とはいえ安心してばかりもいられない危機感。
任官が許されないほどの厳しい審査はないとしても、現官職よりも低い地位に降格される可能性は拭いきれない、その危機感。
さ・ら・に!

魏代の人事は甚だ現金なもので、現在の権勢家には阿ねるが、過去の人には見向きもしない。
(『宮崎市定全集6 九品官人法』宮崎市定著/岩波書店刊 P107)


という当時の合理主義的である反面、つれな~い風潮、バックボーン。
これは、かつて曹操の右腕として権勢を誇った荀の子・荀が魏代には低位にしか就けず、その後司馬懿に拾われてようやく晋代で出世をしたことを例にひいての記述です。
そういう風潮の中、親に荀ほどの権勢すらなく、さらに先代に比べて鳴かず飛ばずな印象を拭えない張泉、王粲の2子たちの抱いていた危機感は相当なものだったんじゃないでしょうか?

◇◆そして、巧みに付け入る魏諷◆◇
とはいっても、新人事制度の制定前後、普通であれば「高官の子弟ら」もただ不安と危機感に苛まれる程度で済んだかもしれません。
魏に対して叛乱を起こそう!…などという大それた真似まではできなかったかもしれません。
ただ、幸か不幸か、才能と野心に溢れるアジテーター魏諷が、その時期に絶好のポジションに存在していました。
約200年間にも及んだ後漢の命運を絶つビッグイベントと密接な関わりをもち、また制定後約360年間も各政権の基盤的制度として命脈を保つ「九品官人法」。
そんなスケールの大きな制度であるがゆえに、制度としての仕込みもある程度の時間をかけて、綿密になされたに違いないです。
 219年9月 魏諷の乱
 220年2~9月 「九品官人法」発布
という風に見ると、魏諷が「相国府の西曹掾」という役職で「官吏登用」に当たっていた時期と、「九品官人法」制定のための仕込みの段階とは、時間的な重なりをもっていただろうことが想像できます。

人事に関わる役職でなければ知り得ない新制度の内容を、断片的にでも漏れ伝え聞くことのできる魏諷。
「魏の臣とはいえ、厳正な審査を受けねばならない」
この情報を膨らませて、「高官の子弟ら」の危機感を煽り、叛乱へと駆り立てる魏諷。
一体、魏諷はどのように「高官の子弟ら」をアジテートしたのでしょうか…コミュニケーション下手な私ながら、妄想に妄想を重ねつつ魏諷になりきって、以下のような口説き文句を捻り出してみました。

栄光ある貴公の一族に、今、魏は何をしてくれていますか?
荀庶・フ一族を御覧なさい…あんなにも魏の興隆に貢献した一族ですら、今は見る影もありません。
現在の権勢家には阿るが、過去の人物、一族には一顧だにしない…それが魏の実情です。
また、おそらく来年にも施行される新制度では、貴公も任官のための審査を甘受せねばならず…そうなると、正直申し上げて、先代ほどの活躍の場を与えられていない貴公の今の地位を維持できる保証はどこにもありません。
貴公の一族の生活は、貴公の地位に寄るもの。
このまま座して衰退の道を選ぶか?
もしくは、貴公のような栄光ある一族の力を多数結集して、我らの政権を立てるか?
既に張泉殿ら、貴公と同じような境遇にある名族の賛同は得ております。
今こそ、千載一遇の好機です。
是非『革命』への参加を御一考いただきたく…


…長くなりましたが、「高官の子弟ら」が魏諷の乱に参画した最大公約数的な理由は以上です。
次回は、最大公約数的な理由以外に、魏諷が突っついたであろう各人が抱えていた「乱への参画の芽」について、張泉や宋忠の息子を例に触れてみたく思います。

*******************
このたび、数回に亘り「魏諷の乱の裏側」を手探りで探るに当たって
『宮崎市定全集6 九品官人法』宮崎市定著/岩波書店刊
ほど重要な文献はありませんでした。
以前から「ムムム…」と悩んでも、断片的だったりゴチャゴチャしたままだった仮説、推論が、この文献のおかげでスッキリ結びつきました。
宮崎市定先生は1995年に大往生されていますが、これからも大切に大切にしたい文献です。

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