今日は、小雨模様の中、天皇一家の「御用邸」で有名な
葉山へ小旅行。
目的は
「シュヴァンクマイエル展」の観覧でした。
“チェコの映像魔術師”ヤン・シュヴァンクマイエルに関連する造形・映像作品、資料群が大量に公開される貴重な展覧会で、数か月前からウキウキしていました。
いやぁ、ヤバイっすよ。
シュヴァンクマイエルもさることながら、奥さんのエヴァ・シュヴァンクマイエロヴァーも完全にイッちゃっています。
世界最狂の奇人天才夫婦。
来年は新作『ルナシー(仮題)』の公開も控えているようで…ますます目が離せません!
と、ところで三国志の話。
電車に揺られ揺られている間
『マクロ経営学から見た太平洋戦争』森本忠夫著/PHP新書
という本を読んでいたのですが、ポッと気付かされたことがあります。
戦前の「大日本帝国」と三国時代の「蜀」とは、「国家戦略上積極的な攻勢に出ざるをえなかった」という点で相通じるものがあったのでは?…ということです。
周知のように、大日本帝国は明治~昭和にかけての度重なる戦争を通じて敗亡への道を転がり落ちていったのですが、その国家戦略を規定するうえで重要な事柄は
日本が自らの力量をわきまえることなく、対外的膨張主義の道を選んだのは…明治40年の「国防方針」の決定が端緒である。…「国防方針」の要旨は、「帝国ノ国防ハ攻勢ヲ以テ本領トス」とされた侵略的拡張主義の公然たる決定
(『マクロ経営学から見た太平洋戦争』森本忠夫著/PHP新書)だったとのこと。
ふーん、なるほど。
「攻勢ヲ以テ本領トス」か…と、この文言に対して、思い浮かんだのが
蜀漢の国家戦略は、「以攻為守」(攻撃的防衛)であった。
(『「三国志」の迷宮』山口久和著/文藝春秋刊)という内容。
思いつきと記憶の連鎖。
私、この山口氏による蜀の国家戦略についての解釈に結構賛成なんです。
それは、諸葛亮~姜維へと連綿と受け継がれる北伐という事実に加えて、以下に記す諸葛亮による「後出師表」の一部
地方政権として蜀都に安定することを許されない王業を思えばこそ、危難をおかして先帝のご遺志を奉ずる(≒魏に侵攻する)のであります。
『蜀書』「諸葛亮伝」に表現されていると考えているためです。
「帝国ノ国防ハ攻勢ヲ以テ本領トス」…
「以攻為守」(攻撃的防衛)…
小国家としての哀しい類似点なのでしょうか?
そして、国家経済の疲弊と国家経営の破綻、他国からの侵攻…国家としての末路も、また似たものに。
勿論、歴史的な背景など類似しない点の方がむしろ多く、「大日本帝国」と「蜀」とをつなげることは思いつきであり、妄想に等しい所業でしょう。
ただ、この妄想も現代に生きる私たちの特権だし、敗戦から60年という区切りの年にあの戦争のことを考えるきっかけのひとつになればいいんじゃないかとも、多少自己完結的ですが、そう思っています。