三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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【独占!】王平は南蛮非漢民族出身か!?~後編~ 

どうもグーテンターク!ボンジュール!ボンジョルノ!
突然ですが、Bunkamura ザ・ミュージアム@東京都で
「スイス・スピリッツ」
という展覧会が催されています。
なんで三国志に無関係な展覧会を紹介するかというと、私にとって最も胸キュンな西洋人画家であるジョバンニ・セガンティーニの絵画が出展されるから。
春らしくみずみずしい光に溢れる絵画に心洗われること請け合いです。お時間があれば是非。

と、前置きはこれくらいにして。
少し間が空きましたが、「王平シリーズ」後編です。
前2回では、王平が非漢民族・板楯蛮出身であることを、あることないこと述べてきました。
最終回の今回は、王平の名が史書に燦然と輝くことになる「街亭の戦い」における奮戦ぶりを、彼が板楯蛮出身であることを切り口に読み解いてみようと思います。
三国志に由来する数ある故事の中でも1、2を争うチョー有名故事「泣いて馬謖を斬る」原因となったのが、諸葛亮そして蜀にとっては痛恨の一戦である「街亭の戦い」。
将来を嘱望された蜀将・馬謖は諸葛亮の命令(戦術)に従わず、結果魏に手痛い敗北を喫することになるのですが、敗戦の最中ひとり気を吐き孤軍奮闘したのが馬謖の先鋒の将・王平率いる一軍でした。

王平指揮下の千人だけは、陣太鼓を打ち鳴らして踏みこたえたので、魏の大将張郃は伏兵がいるのではないかと怪しんで、近づこうとはしなかった。
(『蜀書』「王平伝」)


王平の奮戦ぶりがしっかり伝わってくる文章ですが、同時に単純な疑問も湧いてきます。
なぜ、わずか千人ばかりの王平率いる軍団のみが街亭で元気に戦い続けられたのか?
なぜ、張郃は王平の「伏兵」を恐れたのか??
それらの重箱の隅をつつくような疑問も、王平が板楯蛮という非漢民族出身だとしたら…あら不思議、スッキリ解けるのです。

◇◆張郃と板楯蛮の出会い◆◇
街亭の戦い(228年)から遡ること約10年、曹操の漢中侵攻に始まり、定軍山における夏侯淵の戦死、そして劉備の漢中における支配権確立に至るいわゆる「漢中争奪戦(215~219年)」の頃。
一貫して曹操軍の第一線で戦い続けた武将が、張郃その人でした。
張郃は雍、涼2州の総司令官(征西将軍)だった夏侯淵亡き後、臨時的に総司令官を代行もした曹操軍の重鎮のひとりですが、漢中方面ではとくに非漢民族の討伐・平定にも功のあった武将です。

張郃は…宕渠まで軍を進めた
(『魏書』「張郃伝」)


とあるように、「漢中争奪戦」の際に「宕渠(地名。前々回参照)」まで軍を進めたことのある張郃は、宕渠周辺に住まう非漢民族・板楯蛮のことをほぼ間違いなく認識していたでしょう。
「神兵」として漢民族からも畏敬されていた板楯蛮の強さを知る張郃だからこそ、街亭において板楯蛮出身の王平軍に軽々しく手出しをしなかったと考えられます。

◇◆街亭と板楯蛮◆◇
「神兵」板楯蛮のことを知る魏将・張郃は、おそらく板楯蛮の兵士たちを率いていただろう板楯蛮出身の蜀将・王平に少なからずの警戒心を抱いていたことは想像に難くありません。
が、とはいってもこのことだけをもって街亭において張郃が王平の一軍に近づこうとしなかった理由…とするのは、ちょっと弱いですね。

街亭において王平の一軍が孤軍奮闘できた理由、張郃が伏兵を恐れた理由…それは、この街亭という土地柄に隠されていました。
街亭から離れること直線距離にしてわずか約20kmという近接地・略陽には、当時板楯蛮がこぞって移住し、生活を営んでいたのです。
史書には記されています。

魏武定漢中…杜濩、朴胡…等、移於略陽。
(『華陽国志』「李特雄期寿勢志」)


曹操は漢中を平定し、杜濩、朴胡らを略陽へ移した、と。
杜濩、朴胡らは、前々回の記事にも登場した板楯蛮の代表的な統率者。
つまり、曹操の漢中侵攻に対し服従でもって応えた非漢民族・板楯蛮の多くは、故地である益州の宕渠から涼州の略陽という土地に移住させられていたのです。
王平ら蜀軍の板楯蛮にとって、街亭への進軍は同族が住まう土地への凱旋という意味合いがあったのかもしれません。
蜀の先鋒・馬謖軍のさらに先鋒を王平が担った理由も、ここにあったように思えます。

しかし、馬謖の失策で蜀軍は街亭において敗北。
馬謖を大破した張郃は、勢いに乗って王平の一軍をも一飲みにせんと迫ってきます。
張郃は

変化の法則をわきまえ、よく陣営を処置し、戦争の状況・地形を考慮し、計略どおりにいかないことはなかった。
(『魏書』「張郃伝」)


と、とくに褒め称えられる名将。
王平が拠るのは木々が鬱蒼と茂る山間の隘路という攻めにくい地形、そして王平と同族である板楯蛮のゲリラに晒される危険性を孕む街亭における特殊な戦況。
※略陽や街亭の地理的状況は、『三国志 正史と小説の狭間』(満田剛著/白帝社刊)に詳しいです。
王平の軍営内から不気味に轟く陣太鼓は、いつ出没するかもわからない「神兵」板楯蛮ゲリラとの連携の合図か?…歴戦の名将・張郃だからこそ、勝ちに奢ることなく慎重に戦場を取り巻く様々な要因(前述)を分析した結果、王平の一軍に手出しをしなかったのでしょう。

…いかがでしたか?
前中後編の3回に亘って書いてきた「王平非漢民族出身説」については一旦終了です。ご意見などあれば、是非お聞かせください。
次回、「おまけ編」で締めくくります。


AUTHOR: 曹徳 URL: http://blog.livedoor.jp/arrow12ds/ DATE: 03/22/2006 12:34:43 とても面白く拝見しました。
王平の印象もかなり変わりましたよ。
ところで、王平が非漢民族だったことと、
文盲だったことって多少は関係があったりするのでしょうかね。
「三国志」王平伝では、
平 生 長 戎 旅 , 手 不 能 書 , 其 所 識 不 過 十 字 , 而 口 授 作 書 , 皆 有 意 理 . 使 人 讀 史 、 漢 諸 紀 傳 , 聽 之 , 備 知 其 大 義 , 往 往 論 不 失 其 指 .
とありますが。
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