夏の甲子園、大熱闘ですね。
仕事中も気がそぞろで…NETの高校野球速報ページをひっきりなしに更新したり、同じ高校野球好きな人とメールのやりとりしたりして仕事になりません。
そういえば
前回記事で触れたウラムくん率いる香川西、負けましたね…でもナイスゲームでした。
さて今回の記事は、1冊の書籍から。
『古代中国と倭族』鳥越憲三郎著/中公新書という書籍を最近読んだりしました。
「倭(わ)」といえば、俗に言う「魏志倭人伝」などで連想されるように「古代日本人」あたりを限定的に指す単語だと、私は思っていました。
が、著者は「倭族」を
「長江を原住地とする…広域に移動分布した…文化的特質としての稲作と高床式住居を共有し伝承している民族」
という新概念で捉え、黄河流域に限らず中国各地の古代王国の存在を実証していきます。
書籍の内容自体はなかなかマニアックで、でもグッとくるところが多かったりしたのですが…「三国志」に関わる記述もちょっぴりながらありました。
蜀の諸葛亮による南征に関する記述です。
蜀漢の建国初頭の建興3年(225)に、宰相の諸葛亮(諸葛孔明)が大軍を三路に分け…滇国の郡である滇池(晋寧)を討伐した。こうして倭族の古代王国はすべて壊滅した。現・四川、雲南、貴州省の各地には紀元前後、滇国以外にも夜郎国(「
夜郎自大」の由来になった王国)、昆明国などなどの「倭族」が建国した古代王国が存在していました。
ただ、秦以降の黄河流域に勃興した文明国家に徐々に圧迫されていき…トドメを刺したのが諸葛亮だったのです。
倭族の王国を滅ぼしたのは、諸葛亮!
…この文章だけを読むと、結構衝撃的じゃないですか?
卑弥呼率いる邪馬台国を諸葛亮が攻め滅ぼす…そんな妄想的な錯覚に陥る感じ。
最近はすっかり三国志の調べものをサボっていますが、やっぱり、自由な解釈と際限ない妄想は、こういうときにポッと顔を出します。
ムズムズします。
ちなみに、私、8、9年ほど前に、ぶらり旅で滇池を訪れたことがあります。
滇池は雲南省最大の湖。
滇池および周辺はだだ広い大湿地帯で、今でこそ住居が湖畔に押し寄せてはいますが、古代においては自然の利を活かした漁労、稲作などが行われていたんじゃないか…と想像させてくれました。
旅行話ついでに…雲南省の省都である昆明などで気軽に喰べられる「過橋米綫(グオチャオミーシェン)」は、激ウマです。
昆明滞在中は、朝昼晩ずーっと過橋米綫ばかり喰べていました。
膜の張った鶏のスープのおかげで、いつまで経っても冷めない細めの麺と具を楽しめます。
あー、書いてたら喰べたくなってきた。
AUTHOR: 仁雛
EMAIL: keijiban@inter7.jp
DATE: 11/06/2006 23:25:09
こんばんは。ごぶさたしております。
実は東京で「過橋米綫」を食べられるお店、発見しました。もしよかったら今度ご一緒しませんか?^^;
AUTHOR: 仁雛
EMAIL: keijiban@inter7.jp
DATE: 11/06/2006 23:25:09
こんばんは。ごぶさたしております。
実は東京で「過橋米綫」を食べられるお店、発見しました。もしよかったら今度ご一緒しませんか?^^;