みなさん、こんにちは。
「尖閣諸島漁船衝突事件」で世論巻き込んで揺れに揺れた、ここ1週間でしたね。
外交(+戦争)、領有権問題は「にわかナショナリズム」が盛り上がるので、国民が日本という国家を考える、また他国を知るためのイイきっかけになりますね。
ただ、複雑怪奇な現在進行形の事象を正確に捉えて読み解くのは凡人には難しいことです。
だからこそ、人間は歴史を学ぶのですし、歴史の中にヒントや指針を見出そうとします。
私や拙BLOGをご覧いただいている方々だったら、とくに三国志から多くのことを学べますし、ヒントを見つけることができるはずです。
ということで、「尖閣諸島漁船衝突事件」を三国志という眼鏡を通して捉えてみると…とくに
魯粛の思考、行動にヒントがあると、私は考えますよ。
いろいろ触れられることはありますが長くなるので、以下3点に関して、
魯粛に学ぶ「尖閣諸島漁船衝突事件」への対応を書かせてもらいます。
■二国間ではなく日中以外の第三国を巻き込むべし
魯粛だけが、荊州の土地を劉備に貸し与え、協同して曹公を拒けるのがよいと、孫権に勧めた。曹公は、孫権が土地を分け与えて劉備の後ろ楯となったとの知らせを聞くと、ちょうど手紙を書いていたのであるが、その筆を床に取り落とした。
(『呉書』「魯粛伝」)
曹操の敵を多くし、味方の勢力を強力にするのが、最上の計略でございます。
(『呉書』「魯粛伝」)
魯粛版「天下三分の計」です。
強大な
曹操に対して、
劉備との同盟関係を構築して二国で抗する、そして無理に中国を統一するでなく一角で独立国家を形成するという、
諸葛亮版「天下三分の計」よりも現実的な「天下三分の計」です。
今年にも日本を抜いて世界第2位の経済大国となる中国と、経済的には斜陽国家である日本。
ナメるとかナメられるという点では、日本は中国にナメられて当然というのが、客観的に見たときの情勢です。
だったら、利害の一致する第三国を巻き込んで問題に対応していくというのが現実的です。
第三国とはどこか…言わずもがな、まずはアメリカです。
東アジアの安全保障は、日米にとって利害が一致します。
中国は、政治的にも経済的にも日米同盟を恐れます。
中国は、今回の事件を日米同盟の実効性をチェックするための試金石にしているかも、とすら思えます。
一方、日本にとっても、鳩山政権時にズタボロになってしまった日米同盟をアメリカとの間で再確認するのには、むしろうってつけの好機と捉えるべきです。
さらに、視野を広げてみると、南沙諸島、西沙諸島などで中国は領有権を巡って、台湾、ベトナム、フィリピン、マレーシアなどの諸国と小競り合いを展開しています。
第三国とは、アメリカだけではなくこれら諸国にも当てはまります。
尖閣諸島という極めて狭い領域で物事を捉えるでなく、視野を広げてみると、袋小路のような事象にも新たな展開が見え、むしろ好機に映ることもあり得ます。
このあたりが、政治、外交の真髄ですよね。
※ちなみに、魯粛は「天下三分の計」実現に向けて
劉備に土地を貸与しましたが、今回の問題において尖閣諸島をどこかに貸し与える必要はまったくありません…念のため。
■領有権の帰属を本質と考えることなかれ
今回の事件を巡っては、尖閣諸島の領有権を問題の中心に置いた議論を多く見聞きします。
が、魯粛版「天下三分の計」のことを念頭に置けば、「尖閣諸島が日本の領土であるか否か」は本質でないことがわかるかと思います。
尖閣諸島には幸い居住者がいない(はずな)ので、冷たい言い方をすると、領有権は固定的なモノではなく流動的なモノですし、政治、外交上のカードのひとつです。
「うちに領有権が帰属するんだ!」と日中両国が主張し、かつ並行線を辿ることは明白ですから、そもそもそんなに簡単に解決できる問題ではありません。
となると、中長期的な戦略にこの問題を落とし込んで、日本の国益に寄与するよう舵取りをすることが現実的です。
そのひとつが、上述した日米同盟など第三国を巻き込んだ東アジアにおけるパワーバランスの構築です。
■日中両国をつなぐ人的なパイプを構築すべし
諸葛亮が劉備のそばにあったので、魯粛はその諸葛亮に、「私は子瑜どのの友人です」といい、二人はその場で交わりを結んだ。
(『呉書』「魯粛伝」)
魯粛は
諸葛瑾・
諸葛亮兄弟がもつ太くかつほぼ唯一のパイプを利用することで、
劉備・
孫権両陣営の心理的ハードルを下げ、劉備が「すこぶる喜んだ」という最高の形で初対面を終え、その後の交渉をも円滑に進めることができました。
現在の日中間には、両国を公式・非公式につなぐ太いパイプが決定的に欠けています。
このことが事あるごとに事態の把握を困難にさせ、収拾を妨げている大きな要因です。
偉大なる魯粛さまの思考や行動を「尖閣諸島漁船衝突事件」に当てはめて、あることないこと書いてきましたが、最も重要なことは以下の点です。
はじめて豫州どのと長阪でお会いしたとき、豫州どのの軍勢は一部隊にも満たず、将来への展望はまったくなく、意気も力もつき果てて、遠くへ逃げかくれたいとのみ考えておられた。
(『呉書』「魯粛伝」)
現在の日本が抱える諸問題の最も本質にあるのは、魯粛が語る「将来の展望がまったくない」という状況です。
魯粛の各思考、行動はすべて魯粛版「天下三分の計」という大志、将来への展望に基づくものです。
将来への展望がなければ、それは場当たり的な、節操のない対応にしかなり得ず、十中八九国益を害することにつながります。
現在の日本に魯粛のような「軍略家」が現れますよう…叶わないのであれば、国民一人ひとりが魯粛から学び、より適切な思考と行動ができますよう。
たとえいたとしても、無名の士を国の表舞台に立たせる器量の人がいるとも思えない…
クーデターでも起こらない限り、この国は変わらないと思います。