映画
『おくりびと』を観てきました。
ミーハー? そうミーハーですとも、弁解の余地もありません。
万全を期して前日に座席予約をしていたんですが、正解でした。
田舎の映画館にもかかわらず、ほぼ満席状態。
ここ数日のアカデミー賞受賞報道は、効果抜群のようですね。
そして、これまた完全に術中に嵌ったというか…『おくりびと』さすがアカデミー賞受賞するだけはある、メチャクチャいい映画でした。
大の男が
泣きました、
涙しました、
頬を濡らしました。
とくに小山薫堂さんの脚本と、山崎努さんの演技力がヒカリまくっていました。
純朴で透明な日本の人々と文化を背景に、喜怒哀楽、様々な感情を揺さぶり続ける隙のない緻密な脚本に全編グイグイ引き込まれます。
そして、いつもは飄々としているけれど、一旦納棺師の顔になるとスクリーン越しにでもその凛とした空気がビンビン伝わってくる山崎努さんの演技力。
ホント素晴らしかったです。
しかも、『おくりびと』以外にも、意外な刺客が潜んでいました…本編が始まる前の予告編で、不覚にも涙ぐんでしまったのです。
3/27公開の
『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』という映画の予告編…「犬モノ」にホント弱いんです。
たった数分の予告編で、もろ涙腺を刺激されてしまいました…この映画は観に行きません、絶対に泣きっぱなしになるから。
ということで、1本の映画で数回泣くという失態を演じてしまったのですが、『おくりびと』を観ながらも、どこかで三国志のことを考えているもうひとりの自分がいました。
三国志における“おくりびと”とは、まさに『三国志』の著者である
陳寿その人じゃないでしょうか?
『おくりびと』で演じられた納棺師は、故人の旅立ちの身支度(衣装を着せたり、死化粧をしたり)を極めて簡潔に、手際よく行います。
人の死に際して見せる納棺師の簡潔で純度の高い所作の中に、時間も文化も超越する普遍性があるからこそ、日本のみならず世界各国から高い評価を得ているんでしょう。
さらに、納棺師の所作は「作業」ではありません、故人を「おもいやる心」が添えられています。
このあたりの納棺師の仕事ぶりが、
陳寿の『三国志』の筆致に似ているのです。
陳寿の著した『三国志』は、その簡潔な文章を特徴に挙げられることが多いです。
過度な装飾が排除されたミニマルな彼の文章は、だからこそ現代の私たちに三国志の無限の広がりを提供してくれているともいえます。
しかも、ミニマルな文章、言葉遣いの中には、彼の故郷である「蜀」への愛惜の情が込められてもいます。
故郷への愛惜だけでなく、後漢末~西晋を生きた『三国志』に登場する数千人、『三国志』には表現されていない名もない無数の人々への、鎮魂の気持ちもきっとあったに違いありません…『三国志』のところどころに残している「賛」などがそのことを表現しています。
三国志な時代に生きた人々すべての“おくりびと”、それが
陳寿です。
陳寿が登場する映画やドラマがもし撮られるなら…若き日をモックン、晩年を山崎努さんに演じてもらいたいです。