「何」が決まっていた!?…のかというと、後漢末の覇権争いを勝ち残っていくための「席」が決まっていたということです。
三国時代を形成した立役者である3人、
曹操、孫家は反董卓連合内で名声を上げ、劉備も義勇軍ながら末席に参加していました。
袁紹、袁術、公孫瓚…も「席」に坐ることができる権利はもっていましたが、あえなく争乱の中で滅んでいきました。
劉表、劉焉(劉璋)、張魯…といった「反董卓連合」への積極的参加が見られなかった人々、もしくは後発組は覇権を争うところまでいけずに、一方的に討伐される立場に留まった感があります。
190年前後、後漢末の大乱初期時点の態度が、それぞれの人物の将来を決定的に左右したといえそうじゃないですか?