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三国志漂流
すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。
人物列伝其の1 許靖
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正史三国志人物列伝
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[ 2003/07/21 17:59 ]
正史三国志人物列伝
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2003/7/21 第1号 発行者:ushisuke [ushisuke@hotmail.com]
-- 目次
[ 1970/01/01 09:00 ] [
編集
]
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【1】人物列伝其の1 許靖
【2】三国志言いたい放題
【3】おまけ~三国志情報
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【1】人物列伝其の1 許靖
[ 1970/01/01 09:00 ] [
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]
記念すべき第1回目は、許靖です。
ややマニアックかもしれませんが、面白味のある人物なのでお付き合いください。
許靖は、『三国志演義』では出てきたかどうかも定かじゃないくらいにうす~い存在ですが、正史上では蜀・劉備政権で太傅(三公の上位職)、司徒(三公の一)といった重職を歴任した重鎮中の重鎮です。
蜀の重鎮までに至った彼の「人物」を支えたのは、同時代の人士間に広く根を張った人脈と名声、長い流浪経験で培われた誰からも愛され敬われる人間的魅力にあった、と言い切っても過言ではありません。
以下、許靖の広い人脈と名声、そしてその人間的魅力を形成した流浪経験に焦点を絞って紹介します。
●NTT人事役員がJ-PHONEの会長に…そんな感じ●
許靖が優れた軍事能力、政治能力を有していたかというと、否です。
許靖の能力的な真骨頂は、その人物眼と、結果としての人脈形成にあったと言えます。
ここでは、許靖の活躍した世界を日本の電話市場に置き換えて俯瞰してみることにします。
日本の電話市場は、三国志の世界にちょっぴり似ているなぁ…と考えるためです。
…長い間、日本の電話市場では、固定電話が主流でした。
固定電話市場は、日本電信電話公社(NTT)がほぼ独占的に牛耳っていたので、それは言うなれば「後漢朝」に置き換えられるでしょう。
さらに、近年急速に発達して固定電話市場を旧に追いやったのが、携帯電話市場です。
これは後漢朝を、新興勢力である「魏呉蜀」が圧倒していく様子に置き換えられます。
圧倒的シェアを誇るNTTドコモ(約56%)が魏、シェア第2位のKDDI(約27%)が呉、そして第3位のJ-PHONE(約17%)が蜀といったところでしょうか?
どうです?似てませんか?…似てるからどうというわけではないですがね…。
※各携帯電話会社のシェアは、2003年6月の公表数値を元にしています。
さて、お話は、組織的腐敗の激しいNTT(後漢朝)に、豪腕をもってなる新社長代理の董卓が現れたことから始まります。
強引なクーデターによりNTT社長代理(相国)の座についた董卓の下で、人事役員として人事の大権を預かっていたのが許靖です。
許靖は、元々従弟の許劭(許子将)と並んで「人物評」で名を馳せていました。
生来、人間への興味・関心が高かったことが伺えます。
人事権を握った許靖は、董卓の意に反するように、反董卓派の人物を次々に主要支店の支店長(太守)といった要職へ就けていきます。
社長(皇帝)をないがしろに扱う董卓の傍若無人ぶりや、ブレーンに対する粛清の嵐に、許靖が恐怖と反感を抱いていたことは想像されます。
後に「独立不羈の精神をもった」人物と評価されていることも鑑みると、許靖は董卓首脳部の内部から抵抗の狼煙を上げんとしていたのではないでしょうか?
許靖の推挙により辞令を受けた支店長(太守)たちは、着任早々スグに反乱を起こし、本社(洛陽)を包囲します。
董卓は、勿論大激怒です。
許靖は身の危険を察して、人事役員を辞職し、スタコラサッサと夜逃げをします。
その後、許靖が目を掛けた支店長(太守)たちは一時的に団結し、社長代理・董卓を本社(洛陽)から追放してしまいます。
許靖の人物眼と人事権の執行が、固定電話市場(後漢朝)の没落と携帯電話市場の興隆(三国志)の幕開けに一役買ったのです。
ただ肝心の許靖は、以後約25年間に及ぶ長~い不遇の時代を迎えます。
不遇の時代にあっても彼の身を救ったのは、彼自身の人脈でした。
王朗や士燮といった旧友、知人のツテを頼っては、地方の小企業を転々として過ごします。
そんな彼も、新興勢力であるJ-PHONE(蜀)への転職を契機として、不遇の時代に幕を降ろします。
NTT(後漢朝)時代に培い、不遇の時代にも温めていた人脈と名声を、極端に人材の乏しい新興勢力J-PHONE(蜀)が欲したのです。
J-PHONE(蜀)社長・劉備は、正式に社長(漢中王)を名乗った折に、許靖を会長(太傅)の座に据えます。
関羽、張飛、孫乾、糜竺といった古参役員を押しのけての大抜擢です。
彼に会長(太傅)として期待されていたのは、何だったのでしょうか?
それは外に向かっては競合他社(魏呉)との大切なパイプ役として、内に向かっては社内の、とくにブレーンの求心力としての役割だったと考えられます。
『蜀書』は、諸葛亮他の名ある人物が許靖を敬してやまなかった、と伝えています。
会長(太傅)就任後、彼は70歳という、当時では超高齢に属する年齢になっても人付き合いに倦むことなく、「J-PHONE(蜀)の好々爺」として存在感を示し続けたようです。
●流浪で得た至宝●
その卓越した人物眼と人脈が持ち味の許靖ですが、刮目すべき軍事能力、政治能力のない彼に、人士は何故惹きつけられたのでしょうか?
それは、彼自身の人間的魅力で語るしかないように思います。
ある意味、晩年の主君・劉備とその点では通じるものがあります。
人間的魅力というものは先天的な部分もあるようですが、許靖の場合、天性のもの以上に人生における艱難辛苦が人間的魅力を磨き上げた部分も大きいです。
許靖にとっての艱難辛苦とは、約10年に渡る稀有な流浪経験を指します。
董卓政権を出奔した後、許靖は長い流浪時代に入ります。
約10年に渡って、洛陽から蘇州、交州、成都へと直線距離でも約3,400kmをテクテク流浪。
日本縦断で約3,194kmなので、その流浪距離たるや驚愕に値するということがよく分かると思います。
何故そのように長い距離を流浪しなくてはいけなかったのか?
それは、広い人脈をツテに各地の知り合いを頼って渡り歩くも、頼る先が常に悉く滅ぼされてしまったからです。
人脈は広くとも、ちょっぴり頼りない知り合いが多かったんですね…。
また、許靖は1人で流浪していたのではありません。
都会暮らしに慣れた一族親類を引き連れての流浪でした。
交通手段が極度に未発達な時代に、不服従民や風土病の多い中国南部での流浪暮らし。
漸く交州に至ったときには、出発時に比べてナント5分の4もの人が死に絶えてしまっていたという壮絶なものだったようです。
一族親類を率いた長として、彼の心痛はいかばかりだったでしょう…。
まさに涙も枯れ果てたに違いありません。
さらに、流浪は彼自身にとっても痛恨事でした。
流浪期間は、彼の30~50歳台の時期に当たります。
30~50歳台といえば、脂の乗りきった男の働き盛りであり、また当時の平均寿命に達せんとする年齢でもあります。
中央政権の中枢に関わったこともある男が、そのような大切な時期を、流浪の空の下で無為に過ごす…その気持ちはどのようなものだったでしょう…。
深い悲しみを知り、強い忍耐力を備え、常に将来への希望を失わなかった許靖の人間としての魅力は、流浪の中で壮年期に磨き上げられたものでした。
蜀での目を見張るような栄達ぶりは、流浪というどん底からの連続性でのみ語ることができるのです。
人生の酸いも甘いも知り尽くしたうえで、希望を失うことなく「人間好き」をやめなかった男の稀有な生き様を、許靖の人生に見ます。
[ 1970/01/01 09:00 ] [
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許靖DATABASE
[ 1970/01/01 09:00 ] [
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[名前]
許靖 文休
[生年]
143~152年頃
[没年]
222年
[出身地]
汝南郡平輿県
[主な血縁]
子:許欽
孫:許游
従弟:許劭(許子将)
若き曹操を「治世の能臣、乱世の姦雄」と評した人物。後漢末を飾る人物評の名士中の名士。従兄の許靖とは、仲が相当悪かったらしい。
兄の外孫:陳祗
蜀臣。董允亡き後、劉禅の筆頭侍臣となった人物。彼の在官中から宦官・黄皓の専横が始まり、蜀滅亡の原因となる。
[主な年表]
189年頃:
董卓政権下で人事を担当。韓馥、孔チュウ、張バク、劉岱などの面々を各地太守に次々と抜擢。結果、後の反董卓連合軍の素地を作ることになる。
190年頃:
董卓の怒りを怖れ出奔し、孔チュウの元へ。長い流浪生活が始まる。
201年頃:
劉璋の招聘で、士燮の元から蜀の地へ入国。約10年に渡る流浪生活が終わる。
214年:
劉璋と共に劉備に降伏。以後、蜀・劉備政権で太傅(三公の上位職)、司徒(三公の一)といった重職を歴任。
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【2】三国志言いたい放題
[ 1970/01/01 09:00 ] [
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さて、第1回目はどうだったでしょうか?
次回以降も、『正史三国志』全8巻ちくま学芸文庫刊のみに頼って、極力事実を元に想像力をたくさん膨らませて、三国志の世界を彩る海千山千の人物を記述していければなぁ…と思っています。
そうすることで、巷に溢れる三国志情報とはちょっぴり毛色の違う情報を提示でき、読者のみなさんがもつ三国志世界観に違った角度から光を当てられればと思います。
「もっとこうしてほしい!」「ここは違うんじゃないか?」etc.…当メルマガに関するご意見やご希望はBBSにドシドシ書き込んで下さい。
第2回目は、士燮一族を予定しています。
乞うご期待!
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【3】おまけ~三国志情報
[ 1970/01/01 09:00 ] [
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]
毎回ちょっとした三国志情報を書いていきます。
第1回目の今回は、当メルマガのタネ本としている『正史三国志』全8巻のご紹介です。
ちくま学芸文庫から出版されています。
文庫のクセして1巻1,500円くらいするので、全巻揃えようとすると結構値が張ります。
しかし、『正史三国志』ではほぼ唯一の邦訳版だったりするので、かなり重宝。
著者・陳寿の簡潔な文章と、後補者の詳細な注記は、読むたびに読者の想像力を掻き立てます。
三国志に興味があって『三国志演義』に飽き足らず、今まで読んだことがないけど正史にも触れてみたい…というかたには是非おススメします。
[名称]
正史三国志 全8巻
[出版社]
ちくま学芸文庫
[価格]
1,500円/1巻(税抜)
[ 1970/01/01 09:00 ] [
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]
トラックバック有り難うございます。僕は思いつきから書き殴っただけですが、USHISUKEさんのように教養がバックボーンになっていると、文章が自分のと雲泥の差だなあと痛感致しました。
[ 2005/02/12 10:57 ] [
編集
]
ブ王さん、ようこそいらっしゃいませ!
教養とかそんなのはとんでもないことです…これからもどうかご贔屓に。
ブ王さんのBLOGのタイトルバック、POPかつ可愛いですね。
[ 2005/02/15 02:30 ] [
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