劉封って、可哀想ですよね。
彼と劉備との養子縁組は、恐らく政略的なものだったはずです。
つまり、赤壁での戦勝後、まだ荊州が落ち着く前に、荊州の豪族との人脈強化の一環として、劉備が政略的に養子縁組を行なったんだと思うんですが…劉封は結局、嫡子・劉禅が後継者に決定する中で邪魔者となり、消されてしまいます。
劉封が、義父・劉備から自殺を強要されたのは、荊州失陥後のこと。
すなわち、荊州豪族との関係を絶たれた劉備にとって、劉封の存在価値が激減したことも意味します。
「オヤジ、オレ自身を見てくれ!」…劉封の叫びが聞こえてきそうです。
それと、もうひとつ。
劉封を消すように仕向けたのは、諸葛亮です。
劉封抹殺は、諸葛亮の政治に対する現実主義者ぶりが窺えるエピソードでもあります。