252年に呉の大皇帝・孫権が逝く…。
「三国志」の最後の巨星が堕ちたその後、呉では皇族を軸とした“殺るか殺られるか”のヤクザな世界が展開されます。
まさに、
仁義なき戦い。
前代未聞の、国を挙げた茶番劇です。
主要な部分だけでも列挙してみると…
★「ベラベラしゃべらんと、ひっこんどれい!」編
孫権逝去の翌年に早速、孫峻(孫堅の弟・孫静の曾孫)が諸葛恪を暗殺。
そしたら、254年には孫英(孫権の長男・孫登の子)が孫峻の暗殺を計画し、逆に露見したため自殺させられ…。
さらに255年、孫峻と同じく孫静の曾孫・孫儀による、孫峻の暗殺計画が露見し、またしても孫儀自殺。
★「あがな
馬鹿に
2代目づらされてたまるか!」編
258年、皇帝・孫亮自身が、孫峻死後に実権を握った孫綝(孫峻の従兄弟)の誅殺を企て、露見。退位させられるという事態へ。
★「呉にヤクザは二つもいりはせんのじゃ!」編
孫亮退位後、新皇帝に就いた孫休はその年のうちに、自分を皇帝に推してくれた孫綝を処刑。
★「もう、わしらの時代はしまいで」編
呉最後の皇帝・孫晧が就任後もドタバタ劇は続き、孫秀(孫堅の四男・孫匡の孫)、孫楷(孫策の孫)…と次々に皇族が晋へ逃亡。
そして、孫権逝去から28年後の280年、呉滅亡。
晋にあっけなく滅ぼされた原因は、国内の長年にわたる不安定さがとっても大きかったと思われます。
つまり…自滅。