三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

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魏延、弁明。 

justmanさんから魏延についてコメントいただいていたので、今回は魏延で。
勇猛、豪胆、剛直…魏延は、蜀建国以来数々の戦を潜り抜け、五虎将他の勇将が次々に亡くなった後の軍事を支えた武将です。
しかし惜しいかな、後世の評判は芳しくありません。
なんといっても諸葛亮亡き後の叛乱疑惑が、魏延最大の汚点と考えられているからです。
楊儀との確執の末、本人だけでなく三族(父母、兄弟、子孫とか、父母、兄弟、妻子とかそんな感じ)まで処刑されるという最悪の結果となりました。
…しかしです。
私は、魏延を弁護します。
これはあくまでも「叛乱疑惑」であって、魏延の心の中に蜀を裏切るなんて気持ちは欠片ほどもなかったと、私は考えます。
根拠は、自身の軍兵に見放された魏延がとった行動です。
楊儀との抗争に敗れ、絶望的な状況になってなお、彼は蜀(漢中)を目指しました。
決して、魏を目指すことはありませんでした。
こういった行動に結びついた魏延の心中は、彼の経歴を追うと明らかです。
…魏延抹殺から16年前、劉備は漢中王を名乗りました。
その直後、張飛が最有力と考えられていた最重要ポスト・漢中太守の座に魏延を大抜擢。
魏延の出世街道が、華々しく幕を開けました。
魏延にとっては、彼の立身出世の舞台となった蜀の国はであり、劉備につながる蜀漢・劉家の血は父でした。
どんな状況にあろうと、魏延が蜀を裏切る素地は、微塵もありません。
魏延にとって、ただ楊儀と馬が合わなさ過ぎたことが災難の元でした。
馬謖、費イ、魏延…貴重な人材ほどつまらないミスやいざこざで消えていく…魏延の死は、蜀にとってもまた災難だったに違いないですね。


AUTHOR: 紋次郎 DATE: 01/19/2004 02:57:57 「母」の画像に笑いました。いつもネタが挟んであって、楽しみにしてます。
魏延て確か、とても劉備に心酔していて、超雲と同じように放浪の末に劉備の元に辿り着いたんでしたっけ。
それをいきなりあの軍師が「反骨」のレッテルを・・・
彼の不幸というか、後世の扱いは人気者に嫌われたせいだったりして。
や、演義しかしらないので、ほんとのとこは知りませんが。
[ 2004/01/18 02:32 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)
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