「この地は楽しく蜀を思い出すことはありません」
…この暴言に、どれだけの「三国志」読者がムカーッ!としたことでしょう。
言うまでもなく、魏に降伏した後、洛陽へ強制的に移住させられた蜀の後主こと劉禅の口から漏れた言葉です。
劉禅はただの暗愚な君主ではなかった…と私は思っているのですが(今回は詳しく触れません)、それにしても数十年に亘るめくるめく英雄譚にドップリと浸かってきた読者にとって、あまりにも胸締め付けられる切ない言葉です。
…さて、この劉禅、男子だけでも少なくとも7人の子どもがいるという子沢山のお父さんでした。
上述したように、洛陽で酒と音楽に囲まれた安穏とした平和な生活をおくっただろう劉禅は、彼なりの幸せな人生を満喫できたのでしょう…が、この劉禅のお気楽人生の報い(?)は、彼の子孫が享受しなくてはいけませんでした。
蜀の降伏から約50年後に起こった「永嘉の乱」(311年頃)。
悲劇は、この大乱で起こりました。
大混乱の中で、劉禅の子孫は根こそぎ、一人残らず絶滅してしまったのです。
ねずみ算式に、結構な人数の子孫がいたはずなんですが…蜀に身命を賭した者の怨みでしょうか?
死して屍拾う者ナシ。