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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

劉備と劉禅 

随分と日が経ってしまい…スミマセン。
さて、2度あることは3度ある
今回も、劉禅ネタです。
前回は劉禅の「大器」っぷりを記述しました。
この「大器」っぷりは、劉禅の専売特許というよりも、むしろ父たる劉備からDNAレベルで受け継いだものと捉えた方がすんなり理解できそうです。
しかし、同じ「大器」な2人でも、後世の劉備と劉禅への評価には雲泥の差、月とすっぽんくらいの差があります。
劉備がもてはやされ、劉禅がけなされてしまう、その原因に思いを馳せると、2人の「大器」としての性質以外に劉備にはあって、劉禅には足りなかったものがあったのではないか?というところに行き着きます。
劉備にはあって、劉禅には足りなかったもの…それは、劉備自身の不死鳥の如き生命力と意志、さらに「大器」を磨くための研磨剤ともいうべき艱難辛苦、そして「大器」の流行り廃り、つまり時代性(時代のニーズ)などではなかったのでしょうか?
400年に及ぶ旧社会の呪縛から解き放たれた、黄巾の乱勃発から三国鼎立頃までの時代の沸騰感や混沌…
曹操という超絶的マルチプレイヤーの存在が社会に巻き起こした、まるで磁石のNS極のような吸引と反発…
そういった劉備や劉禅自身の能力・性質以外の作用が、劉備という「大器」を天下に向かって押し上げていたのも事実だと思います。
また、それら一連の「物語」が、後世の人たちにも劉備を魅力的に見せて止まない原因になっているんじゃないでしょうか?
…ただ、劉備、劉禅父子を覆おう様々な装飾をひとつひとつ剥いでいくと、最後に残るのは…無垢で悪気のない「本能」のみです。
『蜀書』「先主伝」を捲ると、読書が嫌いで、馬や音楽、華美な服装に凝るという典型的な遊び人気質に溢れていた、若年の頃の劉備の姿が現れます。
またその息子の劉禅も、蜀滅亡後、「皇帝」という肩書きから解放された途端、躊躇なく音楽や酒に溺れます。
本来の気質は、まさにDNAレベルで父子同一。
ただ、劉備を人間的に研磨し、一代で「皇帝」の地位まで押し上げたのは、ひとえに数十年に亘る流浪と艱難辛苦、そして不死鳥の如き生命力と意志。
苦労の少ない劉禅には、純粋にDNAレベルで遺伝されている遊び人的気質(本能)や、「大器」だけが存分に備わっていただけです。
劉禅はその気質や「大器」な性質のみを背負って、三国時代の後半を牽引していた、とっても健気な皇帝だったといえます。
…以上で、劉禅3部作終了です。
果たして読者のみなさんに伝わってますでしょうか?

AUTHOR: urara99 DATE: 02/29/2004 01:54:45 劉禅は、生まれてきた時代が遅かったということにつきると思ってます。

父、劉備が流浪している時期、物心がついていなかったのではないかと・・・

そういう意味だと豊臣秀頼にも通じるものがあるのかな~とも思います。

いろいろな人が暗愚という烙印を押したりしますが
十分な経験をすることができずに、いきなり皇帝。
プレッシャーとかもあったのかもしれませんね。
[ 2004/02/12 00:04 ] その他雑談 | TB(0) | CM(0)
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