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三国志漂流

すべての「三国志」にLOVE&RESPECTが大前提。さらに自分の価値観や解釈でどこまで切り込んでいけるか…のんびりと「新しき三国志の道と光」を模索するBLOGです。

約1,850年前の「細眉ブーム」 

BOOM BOOM
90年代の「細眉ブーム」。
流行とかに疎いので間違っているかもしれませんが…私が知る限りでは、安室奈美恵(あるいはwith スーパーモンキーズの方)あたりが火付け役になっていたように思います。
今では、「細眉」なんて時代遅れかもしれませんね。
ま、兎に角、この「細眉ブーム」なんですが、なんと約1,850年前の後漢時代に、既に同じような大ブームが世間を席捲していたようです。
火付け役は、後漢の大悪役「跋扈将軍」こと梁冀の奥さんである孫寿さん。
当時、孫寿がやっていた「細く曲げて引いた眉」が、「愁い眉」として国都・洛陽で大流行。
猫も杓子も眉が細くなるという、大流行っぷりでした。

このお話も前回のBLOG同様『捜神記』に収録されていたんですが、お話のタイトルは「亡国の装い」。
「細眉」=「亡国の装い」。
そう言われてみれば…90年代の「細眉ブーム」も、バブルがパン!と弾けて日本の景気が急速に低迷していく時期に重なります。
「細眉ブーム」は、まさに、「亡国の装い」だったのかもしれませんね。
歴史はくり返す。

[ 2004/11/16 00:23 ] トリビア三国志 | TB(0) | CM(0)

【スクープ】盧植は幽霊の子孫! 

時候は、晩秋。深まる秋、読書の秋。
みなさん、どんな書物に親しんでいますか?
私は、昨日『捜神記』という本を読んでいました。
東晋時代の干宝という人が、古今東西の故事を編集した書物です。
内容は神怪霊異、奇々怪々、超常現象etc.様々な珍奇なできごとを集めたもの。
荒唐無稽なお話も多く、ニヤニヤしながら目を滑らせていたのですが…驚くべき内容に目が釘付けになりました。

なんと、あの盧植が、こともあろうに幽霊の子孫だったなんて!?
盧植は、若き日の劉備、公孫瓚の学問の師匠であり、また黄巾の乱の際は討伐軍を率いて大功を立てた知勇兼備の驍将。

その盧植の祖先である盧充という人物の物語。
…ある日盧充は狩りに出て夢中になり、道に迷った末に一軒の邸に招じ入れられます。
家の主は、崔という県尉。
崔県尉曰く「以前、盧充の亡くなった父から、崔家の娘を盧充の嫁にいただけないか?との手紙をもらっていました。大変光栄なことなので、ぜひ娘と婚礼をあげてもらいたいと思い、邸に招いたのです」とのこと。
盧充はそのまま崔家の娘と結婚するのですが、婚礼の3日後突然、崔県尉から実家への帰宅を促されます。
そして、別れて帰宅した盧充は家族から、知らされます。
崔県尉も崔家の娘も今は亡き人であり、盧充が訪れたのは崔家の墓だったことを…。
尋ねる術もない妻を想い、嘆き暮らすこと4年後のある日。
川辺で禊をしている盧充の視界に、川をわたってくる2台の牛車と、牛車に乗っている妻の姿が飛び込んできました。
胸躍らせて妻との再会を喜ぶ盧充。
しかし妻は、抱いている3歳になる男の子を盧充に渡し、
「…妻と呼ばれんすべもなし されど嬉しきさだめあり 賢しき君とめぐり会う…」
という詩を残し、その場から永遠に姿を消してしまいます。
盧充が抱いている男の子は、3日間という短い新婚生活で授かった2人の間の子。
その後男の子は立派に成長し、郡の太守などを歴任。
以後、子孫代々高官に就くことになり、その子孫の1人が誰あろう盧植その人だったのです。

盧充と崔家の娘の結婚は「幽婚(冥土での結婚)」と呼ばれ、東アジア一帯に広がっていた物語の一種もしくは習俗だそうです。
なんとはなしに漂う儚さと哀しさが、思わず胸をキュンとさせる物語。
盧植もその子の盧毓も、盧充と崔家の娘の子孫の名に恥じぬ高潔無比な人物であり…秋の夜長に、とっても良い読後感を残してくれました。

[ 2004/11/14 07:46 ] トリビア三国志 | TB(0) | CM(0)

関羽が人妻に横恋慕!~後日談中編・杜氏~ 

随分日が開きましたが、「関羽の横恋慕話」後日談中編です。
今回は、関羽の大失恋の相手・杜氏の後日談。
電撃的な横槍で、曹操の側室となってしまった杜氏ですが、その後、曹操の寵愛を受け、皇后に次ぐ序列である「夫人」に列せられることになります。
女性としては、「出世」したといっても過言じゃないですね。
いわゆる「玉の輿」に乗ったってやつです。

さて、杜氏には、前夫・秦宜禄との間に儲けていた子どもが1人いました。
秦朗、字を元明といいます。
秦朗は連れ子にも関わらず、曹操に大層可愛がられます。
同じ連れ子仲間の何晏(後漢朝末に大将軍となった何進の孫)とは対照的に、秦朗は謙虚な性格かつ無為無能な人物だったようです。
そのおかげか、曹操の孫・曹叡の時代には大変重用されました。
秦朗が曹叡という権力者にとって「無害」な存在だったゆえに、逆に重用されたのかもしれません。
一世を風靡することになった秦朗も、曹叡死後に失脚するのですが、その子・秦秀は晋代において『晋書』に名を残す程度に出世をしています。

また、連れ子の秦朗以外にも、杜氏は曹操との間に曹林、曹袞という子を儲けます。
杜氏自身、沛王・曹林の母ということで「沛王太妃」と呼ばれることになり、一定の権勢を誇っていたようです。
三国時代の女性は、「勝ち組」の男性と結ばれることで、より「幸せ」を享受することができ、またその男性の子を産むことで「幸せ」の期間を保つことができる…これが当時の暗黙知。
だとすると、杜氏は大乱世において、権力者たる一族・曹氏の庇護の下で「女性の幸せ」を十分満喫できる人生を送ることができたのでは?と思うのです。

前夫の秦宜禄は、ふとしたことであっけなく張飛に斬殺され…
熱烈な求愛を示した関羽も、乱世の濁流に揉まれた末に塩漬けの白髪首ひとつとなり…
杜氏は、秦宜禄の死、関羽の死を、どのように受け止めたのでしょうか?
杜氏自身の記述はとても少ないです。
ただ、息子・曹袞がとくに「平素より敬虔で慎み深い」と評されていることから、母親である杜氏自身も慎み深い性格だったのではないかと思われます。
秦宜禄、関羽の死に対しても、若かりし頃を思ってそっと心で手を合わせる…そんな心境だったのではないか、と男である私は願望も交えてそう思うのです。

[ 2004/10/24 01:05 ] トリビア三国志 | TB(0) | CM(0)

関羽が人妻に横恋慕!~後日談前編・秦宜禄~ 

儚く破れた、関羽の人妻・杜氏に対する恋心。
この関羽のスキャンダルには、関わった人々の後日談が用意されていました。
それを、3回に分けてご紹介。
まずは、事件の発端を作った杜氏の夫・秦宜禄。
彼は、このスキャンダルを理由に、関羽の義弟・張飛から殺害されてしまいます…可哀想に。
いきさつは、以下の通り。
秦宜禄は、下邳陥落後に袁術の元より帰還。
主・呂布亡き後、そのまま敵将・曹操に帰順し、一地方都市の市長に任ぜられます。
新妻との慎ましやかな新婚生活スタート…と思いきや、幸せな日々はそう長くは続きませんでした。
200年、一旦帰順したかのように見えた劉備が、曹操から独立宣言
そして即曹操に敗れた劉備は、またもや逃亡。
劉備に付き従っていた義弟・張飛は、逃亡の途上で秦宜禄の元に立ち寄ります。
おそらく劉備と呂布が親密だった折に、顔見知りになっていたのでしょう。
立ち寄った張飛は、いきなり秦宜禄に向かって
「貴様の妻(杜氏)を奪い取ったのは、誰だ?そう、曹操だよなぁ。なのに、妻を奪った張本人の元でせっせと働いているとは…貴様は、なんて愚かなんだ!ち○ち○付いてんのか?あ?秦宜禄、オレに付いてこい!」
と、わめき散らしました。
張飛のほぼ恐喝に近いラヴ・コールに、秦宜禄は泣く泣く従うことしかできませんでした。
袁術に勧められれば新妻を娶るし、曹操に杜氏を奪われても文句言えないし、張飛に脅されたら従うし…どうも秦宜禄という男はキモが小さいというか、流されやすいというか、意志が弱いというか…あんまり好人物ではなかったようですね。
いきさつはどうあれ、気が進まないうちに張飛に従うことになった秦宜禄。
しかし、数里進むうちにやっぱり後悔の念が強くなり、結局
「張飛殿、ボク、やっぱりおうちに帰りたいんですけどぉ…」
と、精一杯の勇気を振り絞って張飛に願い出てみました。
張飛、大・激・怒。
今は敵となった曹操の元に、わざわざ秦宜禄を戻せるはずがありません。
ということで、その場で躊躇なく秦宜禄を殺してしまいました。
強者に流されることを唯一の処世術とした男の、あっけない最期でした…南無。
「人間なら理念や理想をもって生きよ!」ってことでしょうか?

[ 2004/06/13 08:33 ] トリビア三国志 | TB(0) | CM(0)

【スクープ】関羽が人妻に横恋慕! 

【下邳=198年12月】
堂々とした体躯に美髯を蓄えたスタイルで大人気の関羽(推定35)に、初のスキャンダル
お相手がなんと「人妻」との情報に、関係者は2重のショックだ。
お相手の人妻は、呂布軍団に所属している秦宜禄の妻・杜氏さん(年齢不詳)。
きっかけは、これまた珍しい秦宜禄の「重婚騒動」。
198年、居城である下邳を曹操(42)に包囲された呂布は、袁術に救援を申し入れるために配下の秦宜禄を使者に立てた。
主君・呂布の生死を握っているに等しかった秦宜禄。
なのに、袁術の元に至った秦宜禄は、何を考えたのか袁術から皇族の娘を勧められ、ついに結婚してしまったのである。
夫・秦宜禄の「2重結婚」によって前妻(?)となってしまった杜氏さんは、そのまま下邳で一人ぽっち。
これを聞いてすぐさま動いたのが、誰あろう関羽その人。
密かに抱いていた道ならぬ恋心に、火がつき、炎となり、関羽の心身を燃え滾らせた。
関羽は、包囲軍の総大将である曹操に対して
「今、呂布は秦宜禄を使者として援助を求めに行かせております。秦宜禄は、袁術の元で新妻をあてがわれたとのこと。私は彼の前妻・杜氏を娶りたいと存じます!」
と、一度だけでなく何度も願い出た。
曹操に要請するその執拗さは、並大抵のものではなかったようだ。
鬼気迫る関羽に対して、一度は申し出を許可した曹操。
しかし、曹操は稀代の女たらし
下邳落城後、「杜氏とは、そんなに美しい女性なのか?」と気になり、関羽よりも先に使者を送って杜氏を迎え入れ拝顔するや、そのまま彼女を手許に置いてしまった。
さすがの関羽も曹操に対して抗議するわけにもいかず、泣き寝入り
関羽一世一代の大恋愛は、大失恋で幕を閉じた…。

[ 2004/06/10 23:54 ] トリビア三国志 | TB(0) | CM(1)
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